第3話 黄昏時の意外な出会い

結人は自宅近くのスーパーに夕食の材料を買いに向かっていた。


 一人暮らしの身であるから当然、食料は自分で調達しなければならないのだが、ここ最近は作り置きや残り物だけでやりくりしていて調達を怠っていた。その結果食糧がほぼ尽きてしまって、買い物をしなければご飯が食べられない状況にまで陥っていた。

 それに本来の予定ではもっと早くに家を出るつもりだったが、ペティの寝ている姿に誘われるように寝落ちしてしまったせいで、本来の外出予定時刻を一時間ほど超過してしまっていた。夜ご飯を要求するペティにのしかかられながら起こされて、ご飯を与えてから部屋を飛び出てきて今現在というわけである。


 普段登下校でお世話になっているバスが循環する大きな通りを結人は少し早歩き気味に進んでいく。


 開けた通りの上空では白縹の底にコーラルピンクが沈みつつあって、それが美しく見える反面、寝過ごした分の時間経過も如実に感じられて足の回転は自然と早まった。


 しばらく道に沿って歩いていって、緑色の案内板を目印に左に曲がる。入口のボラードを抜ければ、目的地である植え込みに囲まれた広い敷地に入る。


 結人が普段頼りにしているスーパーはハンバーガーショップやカフェと同じ敷地内にあって、立体ではないが便利なことにパーキングエリアも併設されていた。

 スーパーは入り口から見て右最奥にあるので、いつも通りに正面向かって右にあるカフェを路側帯に沿って回り道して行く。


(…………ん? なんだあれ?)


 カフェを回ってスーパーの入り口が見えた時、なにやら異様なものが視界に飛び込んできて結人は眉を顰めた。


 スーパーの入り口近くに小柄な女子と体格から男と思われるシルエットが近い距離にいたのだが、どうも様子がおかしい。結人には女子が男に絡まれているように見えたのだ。

 スーパーの向こう側に沈みつつある太陽があって、スーパー越しにその大きな影が二人に覆い被さっているので顔までは見えなかった。


「はは、そんなに警戒しなくていいって」


 スーパーの入り口に向かう足を緩めながら様子を伺っていると、男のものと思われる圧力のある低い声が聞こえてくる。


「君かわいいね。この後時間ある? もし良かったら俺と遊ばない? 絶対楽しいからさ」


 有無を言わさない口調で捲し立てながら男が女子に一歩近づく。それに対して女子の方は「いやです。失礼します」と冷たくあしらってスーパーの入り口に歩き出した。


「すげぇ、ばっさり……」


 女子の毅然とした対応に結人は思わず心の声を小さく漏らしてしまった。歩き去る後ろ姿も心なしか格好良く見える……と感心していたのだが、どうやら事の決着はまだ付いていなかったようだ。


「おい! まだ話は終わってねえぞ!」


 思い通りにいかない苛立ちからか、男は態度を急変させる。

 あまりにそっけなく振られてプライドが傷つけられたのだろう。男は去っていく女子を無理矢理にでも引き留めようと背後から女子の腕に手を伸ばした。


 道徳的な観点で男の行為は見過ごせないし、一度きっぱり断ってきた相手に執拗に迫る男の様子が結人には気に食わなかった。


 割と近くまで来ていたのもあって、駆け足に近づいて女子の腕に伸びていた手を自然と形になっていた手刀で横から弾く。そのままの勢いで結人は男を通せんぼする形で二人の間に身体を滑り込ませた。


「あの、俺の彼女に触れないでもらえますか?」


 結人は正面からガラの悪そうな男を見据える。

 勝手に彼氏を騙るのは申し訳なかったが、ナンパを退がらせる方法として真っ先に浮かんだのがこの方法だった。変に対話を試みるよりリスクを回避できるし、自分という連れがいると装って相手に諦めさせた方が穏便に済むだろうという算段だった。


 突然の第三者の乱入に男は一瞬怯んだ様子を見せるも、すぐに「ああ? なんだてめぇ!」と凄んでくる。

 もちろん結人は反応しない。目前の男が呼吸するたびに酒気を帯びた空気が鼻先に触れてきても、結人は眉一つ動かさずに男をじっと冷徹な目で見つめた。

 

 背後にいる彼女は今どんな表情をしているだろう。驚いて固まっているかもしれないし、冷静に状況を眺めているかもしれない。もしかしたら彼氏を騙ったことに怒りを覚えているのかもしれない。…………もし本当に怒っていたら、後でしっかり謝り倒せば許されるだろうか。


 真正面から見つめ続けていると決まりが悪くなったのか男はチッと舌打ちをする。それに続いて「んだよ、連れいんのかよ」とぼやくように吐き捨てて去っていった。




「……あの、助けてくださってありがとうございます」

 

 緊張感から解放されて一件落着、と深呼吸していると背後から声をかけられた。その声が助けた女子から発されているのは言うまでもないのだが、至近距離でより鮮明に聞こえた丁寧な物言いと淡白で透き通った声音に結人はある種の引っかかりを覚える。


「気にしないでいいよ。それより怪我とかしてな…………えっ!?」

 

 とりあえずで放った心配の言葉が途切れたのは、振り返って視界に捉えた女子に見覚えがあったからだ。


 ストレートで長い滑らかな髪に、整っていてどこかあどけなさが残る顔立ち。独特とも言える清純な佇まいは見間違えるはずもない。


「…………もしかして小鳥遊さん?」


 まさかの遭遇に驚いて、結人は反射的に合っているだろう苗字を口にしてしまった。

 それに答えるように彼女はほんの一瞬目を大きく見開かせたが、すぐに隠すように眉を少し下げて困惑の表情を浮かべた。


「…………確かに私は小鳥遊ですけど、なんで知ってるんですか?」


 そう言う彼女の口調は硬く強張っていて、表情にも見るからに警戒の色が浮かんでいた。


 反射的に彼女の苗字を呼んでしまったのは失態だった。というのも、今の結人は学校の時とまったく異なる容姿をしていてまるで別人同然だったからだ。

 涼音からすれば知らない人に一方的に自分を知られているという状況は警戒せざるを得ないし、現にそのせいでこうして警戒態勢を敷かれてしまったのは当然の結果だろう。

 警戒の度合いが少しばかり過剰な気もするが、さっきのナンパ男への慣れた対応を思い出すに、涼音にとってこのような経験が珍しくないこともなんとなく察せた。


 とにかく、涼音によくない印象を持たれたままでいるのは結人としても気持ちの良いことではない。なのでそれらを一度払拭する必要があった。


「怖がらせてごめん。俺は小鳥遊さんと同じクラスの来栖結人っていうんだけど……」


 できる限りの優しい口調で素性を明かすと涼音はぱちぱちと目を瞬かせる。それからこちらの容姿を上から下へとゆっくり眺めて、おずおずといった様子で柔らかそうな唇を開いた。


「同じクラスの来栖さんですか……? 私が知ってる来栖さんは眼鏡をかけた大人しい感じの方なのですけど……」


 目を瞬かせた様子からもしかしたら名前すら認知されていないのでは? だとしたら気まずいな、と懸念していたのだが、それは杞憂に済んだようだ。むしろ逆に涼音が名前だけでなく"眼鏡をかけていて大人しい"というおおまかな外見を覚えてくれていることに結人は軽く安堵を覚えた。


「よく覚えてるね。そう、その来栖で合ってる」


 涼音の確認口調の言葉を肯定してからか涼音の表情に浮かぶ警戒の色が薄まったようには見てとれたものの、完全にその色が消えるとまではいかなかった。

 クラスメイトらしいことは分かったけれど、それを決定づける証拠が無いので信じていいのか分からない、といったところだろうか。


「……あ、そうだ。ごめん少し待ってて」


 何か物的証拠はないだろうかと考えたところ、財布の中に学生証が入っていることを思い出したのだ。


 早速財布からカード類と一緒にしまってある学生証を取り出して表面を見ると、結人の想定通りにそこには長髪で眼鏡をかけた暗そうな生徒の証明写真が貼られてあった。

 これを見せれば涼音にも納得してもらえるだろう。


「これで証明できると思うから」


 涼音に学生証を差し出してみる。

 涼音は最初きょとんとしていたが、差し出された学生証を取り敢えず……と言った様子で受け取って目を通し始めた。


 十秒程の間があった後、涼音が顔を上げる。


「あなたが来栖さんだというのは分かりました。……それにしても、学校とは容姿がかなり変わってますね」


 既に表情から警戒の色は無くなっていたが、今度は先程とは違う色が彼女の表情を占めていた。

 不思議な物を見たような、そんな表情。


 生徒手帳の写真とこちらを見比べているあたり、容姿のギャップは涼音にそれなりの衝撃を与えているようだった。まあ、そう気付くよう仕向けたのは自分なのだが。


「ん、まあ。プライベートを楽しんでる、みたいな?」


 いざ実際にまじまじと見比べられると羞恥心が湧いてきて、誤魔化すような返事が口をついて出た。


「それは良いですね。あとこれ、お返しします」


「ああ、うん。どうも」


 学生証と一緒に返ってきた言葉は簡素なものだ。それでも頷いている様子を見るに、涼音は納得しているらしかった。


「小鳥遊さんも買い物でここに?」


 気恥ずかしい容姿の話題は程々に切り上げて、新しく簡単な話題で上塗りしようと結人は試みる。


 涼音がぺしゃっとした持ち手の長いトートバッグを片手に持っているので買い物に来ていることは誰が見ても分かるだろうし、スーパーに用事がなければここにいることもないだろう。なんなら先程のいざこざで一度スーパーの入り口に向かって歩いていたから間違いようがない。だから聞く口調は確認するものとなった。


「はい。夕食の材料を買いに来ました」


 想定内の返答に「立ち話もなんだからさ」と結人がスーパーの入り口に歩き出すと涼音は少し遅れて付いてきた。

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