第10話 テスト期間の合間の密談

 しばらくは結人にとって変わり映えのない日々が続いた。

 強いて変わったと言えば、テストの日が刻々と近づくに連れてクラスの雰囲気もそれ相応にピリピリしてきたことくらいだろうか。

 学年集会やらHRやらでテストの話がよく出るので、皆その影響を受けているのだろう。


 テストが近づいてきているからといって結人は別に緊張するわけでもなかった。

 出題範囲をしっかり覚えて普段通りに復習していれば直前に詰め込むことも、焦燥に駆られることもない。

 そういった感じなので、勉強のメニューがテスト範囲集中型になったくらいで、一日を通してすることとしては家事を含め特に何も変わらなかった。

 涼音から連絡が来たのはそんな変わり映えのない日々の中、結人が自宅のキッチンでクッキーを焼いている時の事だった。


 勉強の集中力が切れたから一旦休憩を設けようという判断の下、コーヒーに合うお手軽で甘いものが欲しくなった結人は気分転換にキッチンでバタークッキーを焼いていた。

 なぜ市販の完成品を買わずにわざわざ一から作るのだろうと疑問に思うかもしれないが、それはクッキーに限らず甘いものを作ることが結人の趣味であるからだ。

 それを趣味とするようになったきっかけは中学生の時期に読んだ小説で、確かその小説は『とある喫茶店とそこに通う常連客の探偵を軸に展開する推理小説』だったと思う。

 その小説で定期的に出てくる"主人公である甘党探偵が寂れた雰囲気の喫茶店でコーヒーと一緒にお菓子やスイーツを味わいながらマスターと談笑するシーン”は、当時の結人にとって甚く憧れや羨望の類に映っていたのだ。


 当時両親が共働きだったこともあって、食事は渡された予算をもとに自身でやりくりする形式だったし、そこで結人は出前や外食に頼らず食材を買ってきて一から自分で作るよう努力してきた。


 料理は科学の実験みたいで結人の好奇心を刺激したし、ネットで調べれば様々な料理のレシピが無数に手に入るので、その好奇心が尽きることはなかった。それに将来のためにも料理はできたほうがいいだろう、とも思っていた。

 お菓子を作るようになったことはその延長戦で、小説に影響されてすぐにクッキーやドーナツのレシピを調べたのは懐かしいことである。

 そして、それらの経験だけで今の一人暮らしが成り立っているわけではないが、少なくとも成し得た要因の一部であると考えると、何とも言えない達成感があった。


 IHコンロの下にあるオーブンにスマホを向けて、耐熱ガラス越しにオレンジのスポットライトを浴びている、クッキーになりつつある生地にシャッターを切る。

 すぐに撮れた写真を確認し、静止画の中に熱の温かみとクッキーの香ばしさを見出して結人は満足する。この写真は後で撮る完成したクッキーの写真と合わせてSNSに投稿する予定なのだ。


 結人が密かに動かしているSNSのアカウントは、もとは自身が作ったお菓子を記録するための自己満足のメモ帳のような扱いで、別に他人の評価は求めていなかった。

 しかし、いつしか自然と結人のアカウントをフォローする人が出てきて、次第にその人数は増えていき、継続してある程度のフォロワーを抱えた今では時々おまけにペティの写真や動画を投稿したりしていて、それがかなり好評だったりする。

 ちなみに母親には別のSNSの知り合いを提示する機能のせいでアカウントがバレていて、"一人暮らしの息子の生存確認方法"として勝手に利用されていたりもする。


 クッキーが焼けるまでの合間を使って結人は吊り棚から淵がボタニカルな柄に彩られた角皿を取り出し、続いて肌色のバタークッキーがよく映えそうな赤と白、緑と白のポルカドットのキッチンペーパーをそれぞれ一枚ずつバックカウンターの引き出しから取り出す。

 お試しでキッチンペーパーを角皿の上に斜めになるよう二枚をずらしながら重ねて敷いてみると良い感じに色や柄、形のバランスが取れていて見た目も悪くなかった。              あとはクッキーの出来上がりを待つだけとなる。


 バックカウンターに寄り掛かって主役の完成を今か今かと待っているとワークトップに置いておいたスマホが震えた。

 暇を持て余していたので結人は取り敢えずスマホを手に取って画面を覗き込む。

 目に飛び込んできたのは『次の日時はどうしますか?』という内容の通知で、送り主は涼音だった。


(……そういえばまた小鳥遊の家に行けるんだっけ)


 あの朝以来、挨拶はもちろん、結人はそれなりの頻度で涼音とやりとりをするようになっていた。主に話すのは連絡事項の確認や、学校での出来事に関する話など。

 学校で直接話せないのは仕方ないが、かといってプライベートで会うことも特にないので、会話の手段といえば専らコミュニケーションアプリに頼りきりだった。


 肝心の夕食のことだが、すぐそこにテストが控えていることを考慮すると後回しにした方がいいだろう。

 結人の親友とは違ってまともな人間であろう涼音はテスト勉強もしっかりしていて忙しいはずだ。


 少し考えてから『テスト最終日の夜はどうだろう。テスト終わりで豪勢にしてみては?』と送ってみると、数分も掛からず『良いですねそれ。採用です』となかなかに良好な返事が返ってきた。


『じゃあそれでよろしく』


『分かりました』


『テストを終えた後のご褒美が豪勢な夕食ときたら、頑張らないわけにはいかないな』


『ええ、お互いに頑張りましょう』


『おう』


というやりとりがあって涼音との間接的な会話は幕を閉じる。


「……こりゃ酷い点数を取るわけにはいかないな」


 スマホをポケットに仕舞って結人は呟く。

 要は慰労会をするということなので、互いの努力を労い合うならば結人も労ってもらえるほどの努力をして点数という形で結果を出す他なかった。


 出来上がったクッキーをコーヒーと並べて撮ってSNSに上げ、おいしくいただいてから、「……よし、やるぞ!」と気合いを入れ直して結人は机に向かうのだった。

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