9-2
剣を構えたクロードを、狼に似た獣たちが取り囲んでいた。
顔は猪に似ていて、下顎から上に向かって突き出した牙が禍々しく映る。体は狼に似ているが、やや小柄で、尾は極めて短い。
野犬でも狼でも猪でもない。――森に迷い込んだ人間を襲う、小型の魔物だ。俊敏で、群れで狩りを行う。普段ならば決して、この
群れの中に、一際大きな個体がいる。おそらく集団の長だ。
――獲物を確実に狩ろうとしている。
「クロードさん……っ!!」
メディが声をあげると、弾かれたようにクロードが顔を向ける。新緑の目が一瞬見開かれたかと思うと、険しく歪められた。
「来るな! 逃げろ!!」
そう叫んだとき、クロードの意識は一瞬、完全にメディだけに向かっていた。
――人よりもずっと俊敏な魔物は、それを逃さなかった。
クロードを取り囲んでいた魔物が四方から一斉に飛びかかる。
(だめ!!)
メディは声にならぬ声をあげ、地を蹴っていた。
クロードのうめき、あるいは短い叫び声が耳をつんざく。
遅い体、非力な腕、もどかしい足、ままならぬ心――このままでは救えない。
一瞬、恐怖が陰のように心に射した。ここで変じてしまえば、きっと。
だが、そのすべてを振り払った。
メディは、悲鳴のかわりに叫んだ。
「《
たちまち、全身に火のような熱さが巡った。体の奥に眠っていた力が急激に目覚め、メディという人間の枷を解き放つ。
聴覚、視力、そして嗅覚が人の限界を遥かに超える。
服が破けて地に落ちる。
メディの全身はしなやかな筋肉と艶やかな夜のような毛並みに覆われ、二足ではなく四肢で地を駆け、一気に距離を詰めた。
群がる魔物たちに躍りかかると、目の前にあった獣の首に噛みつき、放り投げる。
ギャン、と甲高い悲鳴を聞きながら、別の獣を前足の爪で切り裂き、更に飛びかかって噛みつき、魔物の群れを蹴散らした。
不意打ちを受けた魔物の群れは悲鳴をあげて退き、一歩離れたところで眺めていた長のもとに逃げ帰る。
一回り大きな体を誇る魔物が、警戒と冷ややかさを同時に帯びたような目で、突如現れた黒狼を睨む。
その周りのいくつもの目もまた黒狼を見た。
黒狼は背中に青年を庇ったまま、四肢で地を踏みしめ、やや前傾姿勢で臨戦態勢をとった。鋭い牙を剥き出しにして、グルルルルとうなり声をもらす。
魔物の群れたちも、数をたのむように威嚇してくる。
数では不利だ。――だがこの森の主は
(この人に手を出すな!)
たたきつけるように、吠える。
自分の許可なく獲物にするなど許さない――。
魔物たちは動かず、睨み合いが続いた。
それはずいぶん長い間のようにも、ほんのわずかな間のようにも思えた。
やがて、魔物の長が身を翻した。それに
群れが木々の向こうに消えても、メディはしばらく警戒態勢を解かなかった。視力の何倍もすぐれた嗅覚を研ぎ澄まし、敵が消え去るまでずっと森の中を睨み続けた。
やがて敵の臭いも消え、森の静けさと大地のにおいとが戻ってくる。
その均衡を、ふいに人の声が破った。
「……エクラ」
かすれ、震える響き。
黒狼はびくりと体を震わせた。耳が垂れ、尾が萎れる。
(ああ――)
体にみなぎっていた闘志が霧散していく。冷えていく。
――見られた。
ゆっくりと振り向く。高い位置に、緑色の目が見える。
大きく見開かれた目は、
熱を帯びているのに、まるで濡れているように見える光だった。
クロードがふらりと一歩踏み出す。近づいてくる。酔ったような、熱に浮かされたような足取り。剣をおさめることさえ忘れているかのように。
メディはとっさに後退する。
頭のどこかでわずかに、往生際悪く希望を見出そうとする自分がいた。
もしかしたら――変身したところは見られていないかもしれない。ただ探していた黒狼が目の前に突然現れたのだと誤解してくれるかもしれない。
そうすれば、まだ。
――まだ、彼の側に。
「メディ、殿……?」
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