9-1
数日が、何も手つかずのうちに過ぎていった。
毎朝あったクロードの来訪はぱたりと途絶え、メディを無言のうちに傷つけた。
仕方のないこと――そう頭では言い聞かせても、青年の姿が見えないことにひどく陰鬱になった。
どうやって自分の日常に戻ったらいいのかわからなくなっている。鍋を前にしても、吹きこぼれてしばらくするまでぼんやりとしていて、すり鉢の中で木の実を砕く手もすぐに止まってしまう。
クロードはどうしているだろう。
求めている狼を見つけられずにいることだけは、わかる。
散々無駄足を踏ませたのは他でもない自分だった。――その自分が、彼を案じるのも滑稽というものだ。
(……)
また、溜息がこぼれる。
やがて耳の奥から、ここ数日でなぜかまた思い出すようになった
『あ、あなたたちの無力をあたしのせいにしないでよ!!』
力を持ちながら、人に尽くそうとはしなかった異世界人。神殿の誰もが羨む力を、彼女は自分の欲のままに使っていた。
力があるのに――。
メディはかつてそれに激しい怒りを覚えた一人だった。
だが、いまは。
(……私だって、同じようなものじゃないの?)
そんな考えが浮かび、心を苛むようになった。
その狼をもっとも必要とし、探し求めているクロードを前にして隠している。
露見して、自分の身の破滅を招くのではないかとおそれているがゆえに。
メディはぎゅっと奥歯を噛んだ。
それにくらべていまの自分はどうだ。
無条件におそれ、拒み、隠している。――彼女の力とはまったく異なるとしても、自分のために隠していることにはかわりない。
自分とて、叶うなら再会をただ喜びたかった。だがそもそも狼の姿で出会ってしまったことが間違いで、もし人の姿であったなら……。
「……はあ」
また、口から重い溜息がこぼれた。
堂々巡りだ。過ぎたことを考えたところでなんの意味もないとわかっているのに。
あのとき人間の姿で会っていれば、などと深刻に悔いたのはずいぶん久しぶりだ。
ぺちぺちと自分の両頬をたたく。気を取り直して日常に戻ろうと自分に言い聞かせたとき、唐突にそれを引き裂く音があった。
(え……!?)
ぞわっと全身が総毛立つような声――獣の雄叫び。
森の中で
決して、普通の獣のそれではない。
すぐにクロードの姿がメディの脳裏に浮かび、思わず小屋を飛び出した。
その場にいったん立ち止まり、左右を見回す。音源の方向とその正体を確かめようとする。
幾度となく狼になったことで、人間のままでも感覚は常人より鋭くなっている。
また、獣声が聞こえた。どこからか聞こえてくる遠い叫び。いやな声だった。神経に障る。
ふいに――メディはざあっと血の気が引いていくような感覚に襲われた。
(まさか……)
このところ、クロードにずっと同行していたから狼形をとっていない。
狼にしては巨体なメディの獣形は、この森の主のような役割を担っていた。群れるでもなく、残虐な殺戮にはしるでもなく、ただ人間の糧を得るためにときおり獲物を狩る。
不当な侵入者は撃退する。それは森にとっては理想的な守護者だった。
――だが、その守護者がしばらく姿を見せていなかったということは。
何かが起きているというおそろしい予感がメディを急かした。
そしてクロードはいま、行方が知れない。今日も森に入っているのだとしたら。
そう思った瞬間、メディは駆け出した。衝動に突き動かされ、しかし狼の姿になることは寸前で留まる。クロードと鉢合わせしたらというおそれが脳裏をよぎった。
――この期に及んで保身を考える自分に心底嫌気がさす。
メディはもどかしい足で、音源の方向へ必死に走った。異様な雄叫びは断続的に聞こえてくる。
この周辺の地形は、クロードとの探索によっていっそう詳しくなっている。土地勘もある。体が枝葉にこすれるがさがさという音に、獣の声がまじる。
近づいてくる。
やがて、木々がまばらな場所に飛び出す。
そこに――剣を抜いた青年の姿があった。全身に緊張と戦意を漲らせているが、外套に何カ所も鋭利なもので裂かれた痕があった。
敵の攻撃を受けたことは明らかだった。
メディの全身が粟立った。
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