第8話 連休前の嵐!①
神薙さんは朝から不機嫌で、それでも僕を見付けると、ホームルーム前の騒然とした教室から僕を連れ出した。それから隣のクラスに辿り着くと、後ろの扉から半分身を乗り入れる。
そして大声で誰か、男子の名前を呼んだ。
コイコイと、彼女が手招き。ガキ大将だったという、岸谷さんの言葉が蘇る命令振り。
男子生徒は、おっかなびっくりこちらに近付いて来た。気弱そうなタイプらしく、顔にそれが滲み出ている。高校の制服がまだ馴染んでいない感じで、どこか病んでいるようにも見受けられる。
神薙さんは、彼は近所の知り合いだと僕に説明した。口にはしないが、小学校時代は手下みたいに引き連れて、外を遊び回っていたのだろう。
気弱そうな彼だが、中学時代は家庭の規則でゲーム禁止だったらしい。神薙さんは、ギルドのメンバーに入って貰おうと、そんな彼に白羽の矢を立てたみたいだ。
高校生になったのだから、解禁しても良いだろうと言う考えらしく。ところが篠宮君は、不機嫌そうに無理だとそっけない返事。僕もあまり、期待はしてなかったけど。
神薙さんは別だったらしく、益々不機嫌な表情に。
「なんでよ、拓也っ! あんた、そんなに親の言いなりで、本当にしたい事もしないで、いい加減後悔するわよっ!」
「ほっといてよ、沙耶ちゃん……だいたい、何で僕がゲームやりたいって決め付けるんだよ? そんな隣街の奴まで連れて来て、脅してるつもり?」
「何て言い草よっ! あんた、そんなひねくれた考え方だから孤立すんのよっ!」
売り言葉に買い言葉、事態は一瞬にして険悪になってしまった。なる程、彼も学校では孤立しているらしい。それを心配する神薙さんの気持ちも分からず、交渉の余地もなさ気とは。
僕の存在も、彼にとっては目の上のたんこぶ、晴天の
僕は中学生活をがむしゃらに頑張った結果、地元の生え抜きの生徒達からは、倒すべき魔王みたいな存在に捉えられている事実を最近知った。
そんな悪役的な存在が、皆の憧れの姫様的な女生徒の後ろに控えているのだ。幼馴染の彼でなくても、多少はイラッとするだろう。
それでも彼は頑張った方だった。最後まで突っ張って、僕に一睨み入れるという快挙まで果たして、その場を立ち去ったのだ。僕と視線を交える事が可能な同級生は、そう多くはない。
神薙さんは、完全に頭に来ていたようだ。僕は何とか宥めようと、彼女をその場から遠ざけつつも声を掛ける。思えば、ここから僕の失敗が始まったんだ。
僕はやっぱり、人を宥めるようなキャラじゃないのかも。
「神薙さん、無理にギルドの人数を増やそうと思わなくっても。第一、レベル1の初心者を入れても、こっちが大変なだけだよ……。
せめて、ゲーム好きな人でないと続かないよ?」
「分かってるわよ、そんな事! 拓也をギルドに入れようと思ったのは、あいつが本当はゲームが大好きだからよっ。
勉強の順位を保つのが大変で、親にガミガミ言われてるのよっ!」
「おまけに隣街から編入して来た奴が、成績上位に居付いちゃうしね。競争社会だもの、格差はどうしたって出来るさ。
トップを取る奴がいれば、落ちこぼれる奴も出るのは仕方が無いよ」
僕もいい加減頭に来ていて、彼女に言うべき事でない文句まで思わず口走っていた。普段から溜まっていた、同級生に対する鬱憤が形になってしまって。
気弱そうな彼にまで恨まれている自分に対して、どうしようもない苛立ちが溢れて来て。どうやっても、その苛立ちを止める事が出来なかったんだ。
悪役に見られるのに、いい加減うんざりしていた。気弱な幼馴染を仲間に入れようと奮闘する、彼女の優しさにイラッとした事も、後で冷静になってみると認めるざるを得ない。
そんな優しさが人を傷つける事もあるんだと、その時僕は初めて知った。
神薙さんも、かなり感情的にヒートアップしていた。落ちこぼれと言う言葉に、敏感に反応したようだ。取り消しなさいと、長身の僕の胸倉を掴む勢い。
どんな子供時代だったか、簡単に分かるその所業。
こうやって、拓也君とやらは勇ましい彼女に守られていたのだろう。だけども、この競争社会では、そんな手の差し伸べなど何の役にも立ちやしない。
トップもビリもどうしたって出来ると、僕は繰り返して言ってやった。それは決して、僕のせいではない。そういうシステムが、頑としてそこにあるのが悪いんだ。
責任転嫁だと、自分でも分かる。そんな理論で、彼女が納得しない事も。
その瞬間、彼女の本当に言いたかった事が、何故だか急に理解出来た。彼女の爛々と輝く瞳が僕を射据えて、そのせいで余計な思考が発生したのも確かだった。
僕らは息を荒げて、掴み掛からんばかりに距離を詰めて言い争っていた。彼女の顔が目の前にあって、憎々しく思いつつ賞賛の感情も心のどこかで芽生えていて。
後で謝らなければと、僕はその時点で既に負けを認めていた。負けと言うよりは、この論争は僕のコンプレックスの露呈に過ぎないと、早くも結論付けていたんだ。
喧嘩の場所が、渡り廊下に近い人気の無い場所だったのが、せめてもの救いだ。
それでも教室からは、複数の好奇の視線がこちらを見ていた。僕は普段から大人に混じって難しい話をしているので、論争や議論は得意と言うか大好きだ。
師匠の編集室には、毎回そういう人が集まるし、大学出の師匠の友達は大抵インテリだ。ミスケさんやハンスさんにも鍛えられているし、時には父さんとも熱く議論を戦わせる事もある。
僕は心では冷静に戻ったつもりだったが、議論の勢いは止まりそうに無かった。女々しい言い訳にも聞こえる、僕もシステムの犠牲者なのだと言う理屈が口から溢れて止まらない。
じっと聞いていた神薙さんは、僕がやっと喋り終わった後に冷たくこう言った。
「言いたい事は分かったわ、システムの犠牲者さん。昨日寝る前に、妹にこう言われたの。あなたが私に、キャラ強化のために色々とアイテム渡すつもりだって。
そう言うのは、貢がせ女みたいでみっともないから止めて頂戴って。……そんな事してまで、他人の好感度を上げたいの?」
授業は言うまでも無く、散々な気の散りようだった。つまり、僕が全く集中出来なかったって意味だけど。そんな感じで午前中は過ぎて行き、昼休憩がやって来た。
僕は1人で、毎度の如くトボトボと購買にパンを買いに出向く。高校の校舎内には立派な学食もあったが、僕はあの騒がしさがどうにも苦手だった。
騒がしさに紛れていれば、寂しさも多少は薄れると言う人もいるのだが。僕には一層、孤独を感じてしまう空間でしか無く。
そんな訳で、パンと紙パックのジュースを手に、僕は校舎内の静かな場所を見つけて腰を降ろした。しかしそんな孤独は、僅か1分で崩壊してしまった。
「は~い、リン君、朝は凄い喧嘩だったねぇ! 男の子で沙耶ちゃんにあそこまで言った人、私初めて見たよっ!」
「えっ、あっ……岸谷さん?」
「沙耶ちゃんに、リン君との仲直りのきっかけ作って欲しいかって聞いたら……多分、頷いたから来てみたよっ!」
岸谷さんはそう言って、ニコニコしながら僕の隣に腰を降ろした。中庭の渡り廊下は、人影も少なくて静かな場所だ。そう言う訳で、僕のお気に入りの場所。
さっそく小さな弁当箱を開きながら、相変わらずご機嫌な岸谷さん。僕に気を使ってくれているのか、それとも本当に昼ご飯が楽しくて仕方が無いのか。
判然としないが、今の僕にはその裏表の無さが有り難い。
強烈な一撃を受けて、僕の気概とかゲームへの愛情とかはメタメタだった。家に戻って筐体が壊れていたら、多分そのまま二度とゲームに触らないかも知れない。
それ程、神薙さんの言葉は痛烈だった。そんなつもりは無かったが、確かに彼女の機嫌を取る為に貢いだと、周囲の人に思われても仕方が無い。
それが凄く恥ずかしくて、僕は落ち込んでいたんだ。高校に進学して初めて親しくなった友達の機嫌を、まるでお金や品物で買ったような気がして。
例え師匠からお金を融通して貰って、データ収集に使ってくれと言われていても。やはり事前に、一言説明なりをしておくべきだったと猛省中。
「早速噂になってたねぇ、美女と野獣とか、氷の女王が家来を首にしたとか。痴話喧嘩って噂は無かったから、安心して?」
「そ、そう……でもやっぱり、僕が神薙さんを傷つけちゃったのが本当だと思う……」
「その位の事で、いちいち落ち込んでたら駄目だよ? うん、実は私も、喧嘩の理由を良く分かってないんだけどさ」
僕は少々肩透かしを喰らいながら、かいつまんで朝の出来事を説明する。岸谷さんは黙って聞いていて、時折思い出したように弁当のおかずを突っついた。
話し終わって、そう言えば今日は神薙さんと一緒にご飯を食べないで良いのかと僕が聞くと。岸谷さんは、あんな状態の彼女に近付くのは自殺行為だと身震いする。
どの道、クラスのお節介な女子連中が、朝の真相を聞こうと彼女を囲んでいるだろう。
「まぁ、無駄だろうけどね。沙耶ちゃんは、そんな事でリン君を悪者に仕立て上げたりしないよ。要するに、沙耶ちゃんが勝手にお節介焼いて、両方の男子から駄目出し喰らったんだね。
良くある事だよ、それにしても好感度上げるのにリン君が貢いだって皮肉は強烈だねぇ……」
僕は再び、胸に鋭い痛みを覚えた。食べかけていたパンの塊が、まるで砂のように感じられてしまう。慌てて飲み物で流し込みながら、空を見上げて気分転換を図る。
校舎の形に切り取られた空は、まるで僕らを閉じ込めるかのように狭く感じられる。
「昨日の夜にさ、リン君の師匠さんから、沙耶ちゃんが頼まれ事をされたんだよね。リン君を、今後ともどうぞよろしくって。
沙耶ちゃんはそういうの真に受けるタイプだから、直に行動に出たんだねぇ」
「……そうだったんだ、知らないで悪い事したな。喧嘩の最中に、僕は咄嗟に分かったんだよ。彼女が、その、岸谷さんの言うガキ大将になった理由。
彼女はトップに立つ人が、そうでない人を助けるのが当然と思ってて。みんなで助け合える、そんな関係を理想に持ってるんだって」
その言葉を聞いた時の岸谷さんの笑みは、とても優しくて素敵だった。良く出来ましたと小さく呟いて、僕にそっと卵焼きを差し出してくれる。
良く分からなかったが、彼女の感謝の証なのだろう。僕は有り難く受け取って、それを口の中に放り込む。さっきと違って、甘くてフワリとした感触が口の中に広まった。
それから彼女は、条件を呑めば神薙さんとの仲直りを橋渡しすると提案して来た。
「それは……もちろん、したいけど」
「そうだねぇ……今日中にしとかないと、連休がとってもヘビーな事になっちゃうよ!」
「それで、条件って何? ちなみに今日の放課後は、子守りのバイトが入ってるよ?」
「ふむっ、それはちょっとこっちの案を修正しないと……条件はね」
岸谷さんは、ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべて、勿体つけるように一度言葉を止める。可憐な唇に、僕は思わず視線を止めてドギマギしてしまう。
彼女の出した条件は、それ以上に魅惑的だった。
「私の事は、優実って呼ぶ事!」
放課後になってしまい、僕はバイトをサボる訳にも行かず、仕方なく席を立って歩き出した。あれから優実ちゃんの接触は無く、説得に失敗したのかも知れないとの重い予想に。
足取りも自然と鈍くなり、それでも保育園で待っているサミィの事を思いながら。外履きに履き替えて、ゆっくりと目的地に向かう。
保育園はすぐ近くなので、急いでもあまり意味がないのだ。
通りを隔てた運動公園の端っこ、住宅街へ続く坂道の近くに保育園はある。高校の授業より終わるのが早いので、僕が迎えに行く頃にはいつも閑散としていて。
迎えの母親の群れと顔を合わせたくない僕なので、それは良いのだが。
それでもあまりサミィを待たせて、寂しい思いをさせたくない。僕は保育園前の横断歩道前まで、真っ直ぐ向かって行った。それから信号待ちで、ふと異変に気付く。
後ろから、神薙さんらしき人影が尾行らしき事をしていたのだ。僕が立ち止まると慌てて歩道の端に寄り、隠れるべき障害物が無い事にあたふたしている。
僕は声を掛けるべきか迷ったが、意外に距離があってそれも叶いそうにない。それでもあの目立つ風貌は、神薙さん以外に他ならないだろう。
カバンは優実ちゃんにでも預けたのか、手にしていない。
信号が進めに変わったが、しばらく僕は歩き出すべきか彼女を待つべきか迷った。それでも彼女が近付いて来ないので、諦めて横断歩道を渡りに掛かる。
この道は、普段から車の流れは極端に少ない。街の中心のオフィス街と駅前に通じる道だが、線路の反対に通り抜けが不可能なのだ。
反対は田舎道だし、街のパイプラインとしての機能しかないのだ。
だから、信号待ちの車もほとんど皆無で長閑なモノ。気楽に横断歩道を渡りながらも、僕は後ろからの追跡者に意識を集中する。
昨日とはまるで反対のシチュエーション、どうするべきか混濁した思考の中で考えている内に。僕はついうっかりと、保育園の敷地に入ってしまった。
しまった、これで2人っきりで話すチャンスが潰れてしまった。
「サミィちゃん、お迎えのお兄さんが来たわよ~」
送迎ムード一色の保育園では、先生の1人が目聡く僕を見付けてサミィを呼んだ。ここ1ヶ月で完全に顔を覚えられていて、まぁ変質者呼ばわりされるよりはマシなんだけど。
園内は案の定、閑散としていて人影はほとんど無い。迎えに来た母親達は、今頃帰路についているか、隣の運動公園で散歩しながら歓談しているのだろう。
この時間に運動公園の芝生のグランドを見れば、そういった集団があちこちに見受けられる。気が向いたら、サミィも友達と一緒にここで時間を潰したがるのだが。
お姉ちゃんのメルが一緒の時には、素直に帰路につく事が多い。今日は小学生のメルは、友達の家にお邪魔していると先ほどメールがあった。
少しだけ負担は減ったが、子供はたった1人相手するにも大変な作業なのだ。
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