第3話 ダイナーディナー

ストルグと別れて、ドーナツを食べて、他愛のないような雑務をこなし、携帯を見るといつのまにか夜になっていて、約束の時間が迫っていた。


「遅れ‥‥ない…か?急ごう……」


セレウスは個人の車を持っていない。

人の数も少し減ってきた地下鉄に乗って、揺られながら、約束の店を目指すのだった。


降りて地下鉄の階段を上り、小走りに夜の街を行くと、飲食店が並ぶ通りに入っていった。

高級というより、どこか庶民的な風が吹いている。

飲んだくれはもちろん、家族連れや学生カップルもちらほら見えた。


東洋のドラゴンがチカチカ光る、あの中華屋を左に折れるともう目の前に目的の店が飛び込んでくる。


『NAMIBU☆DINER』

派手な看板が印象的なアメリカ料理を提供するレストランである。


なんといってもそのレトロな雰囲気がたまらない。

時間に限らず、朝食用の料理も食べられ、軽食だけでなく多くの卵料理やミートローフも出す。

店名とは裏腹に、メニューの種類が多く、そして値段が安い。

天井にあしらわれた星座の天体図が店長自慢のオシャレポイントらしい。


夜空には程遠い、ポップで明るい壁色なのだが。


入店するやいなや、そこまで広くない店内をせわしなく見渡してみる。

結局5分ほど遅れてしまったのだ。

奥の角の席で、眼鏡をかけた女性が、手をヒラヒラと振っているのをすぐに見つけた。


色褪せた感じの薄い色のデニムに、柔らかい素材で作られたベージュのニットというラフな服装だが、足元のヒールが凛としていて、印象に締まりが出ている。

ミディアムショートの暗い茶髪の女性が足を組んで座っていた。


「ご、ごめん仕事が長引いてしまって……」


「まだ5、6分しか経ってないわ。気にしないで。急いで来てくれたんでしょう?」


セレウスの乱れた前髪とスーツの襟を見て、彼女はクスクスと笑っている。


「ひとまず座ったら?こんな時間まで仕事って、は大変なのね」


「ま、まぁ‥‥・それなりに」


歯切れ悪く、セレウスは向かい側に腰かけた。

カジュアルな恰好と、分厚い眼鏡で、その雰囲気は幾分か抑えられていたが、実は目の前の女性、ノエル・ライトニングは最近メディアにも出始めた若手女優であった。


そして、半年ほど前に映画館で知り合ったセレウスの恋人でもある。


2人してメニューに目を通してみるが、それはもはやただの儀式であり、彼女はAセットのハンバーガー『ナミブスペシャルⅡ』を、セレウスはスープとサンドウィッチの『オリオンセット』と決まっている。


夜のダイナーでは簡単な酒類も提供されるのだが、2人は頼んだことが無い。


ノエルの生態は肉食性である。

セレウスのセットより、明らかにボリュームのあるものを注文していた。

店員がオーダーを聞いて、奥に引っ込むのを見届けて、セレウスは少し小声で話した。


「…で、今日はどういう仕事を?撮影とか?」


「今日は……そうね、舞台の稽古に雑誌の取材くらいかな。最近ちょっとは知られるようになってきたけどまぁ、こんなもんね。…そうだ、今度うちの劇団で舞台をやるのよ。見に来ない?」


ノエルは自嘲気味に笑い、小さめのカバンからチラシを取り出した。チラシを見ると、公演日は来月の第二週目の水曜日からで、劇場もそう遠くはなかった。

配役の欄に目を通してみると……


「すごい、主要人物じゃないか」


メインヒロインというわけではなさそうだが、役柄的に、物語に重要そうな役どころにノエルの名前があった。


「ありがたいけど……複雑な気分ね。あ、ほら、これチケット」


「ああ……うん…‥」


行けるとはまだ言っていない。

しかし、彼女の、この強引さがセレウスは好きだった。


「多分……ああ、いや……絶対行くよ」


「本当に?保険屋さんってイソガシイんじゃないの?」


イタズラっぽく笑うその口元で、白くてきれいな歯が輝いている。

奥歯から前歯まで…その美しい歯並びもセレウスは狂おしいほど好きだった。


「ねぇ、保険屋さんって一日何をしているの?」


質問を遮るように丁度、注文していたドリンクが先に運ばれてきた。

口に含んで喉を潤すが、セレウスの口からなかなかストローが離れていかない。


「あ、あーーーいやぁ……デスクワークだよ。こういうのは顧客の個人情報保護の観点から詳しくは言えないキマリなんだけど‥‥いろいろさ。あ、でも今日はを直したよ」


「や、屋根?屋根って……何かの隠語?それともこの屋根?」


「あっ……」


キョトンとした顔で、ノエルが細い人差し指を天井に向けている。

完全に失念していた。

どこの世界に、屋根を直す保険屋がいようか。

浮かれすぎて、口が滑った。


「あ、ああうん。その屋根だよ。お客様のお店のね。そういう助け合い?みたいな心のつながりを大切にするのが、保険屋には大事なんだよ。……そう思ってやった」


「へぇーあなたって器用で…優しいのね。そういうところが私、好きよ」


「ッッッ……あ、うぇ‥‥その……」


……おれの方が君を好きに決まってる!

なんて眩しくて、穢れ知らずで、美しい笑顔。

太陽だ。いや‥‥…渇ききった味気ないこの世界に、潤いを与える……


キミはおれのオアシスだ。


セレウスの体をなんとも甘い稲妻が駆け抜けていった。

乾いた心に雨が降る。

彼女と過ごす、この時間こそが生きる時間なのだと思った。

しかしセレウスはひどく寡黙クチベタな男であった。


怪訝そうな顔で料理を運んできた店員のことも気にせず、セレウスはただ惚けて、何も言えずにトリップしていた。


料理がきた。そうすると、しばらくの間2人は無言だった。

いまさら味の感想を言い合ったりしない。

ただ、セレウスに関しては、ハンバーガーを口に無理やり押し込むノエルを見るのに気を取られているだけだった。


「屋根のこともそうだけど‥‥…私ってあなたのこと、思い返せば何も知らないのよね。男の人って、もっとこう……自分語りが好きなもんじゃないの?」


大方食事も佳境に差しかかったところで、ノエルが思い出したように、先ほどの話を掘り返した。


「……人によりけり?だと思うよ。でも、どうして……?」


「‥‥…あー、いや、その‥‥…実はこの前劇団の先輩に食事に誘われてね。……あ、言っとくけど、ソッコーで断ったんだからね?でもその人、結構な自信家ですごく自分の話ばかりしてて困っちゃって……ねぇ、聞いてる?」


セレウスの頭は突如真っ白になった。

新進気鋭の若手女優なのだ。恋人がいるなど、身近な人物にだって知られない方がいいことは間違いない。


しかし、セレウスはどこか能天気だった。


魅力的な彼女に寄って来る男の存在を、今の今まで懸念していなかったのだ。

ノエルには自分がいるのだと自惚れていた。


「その人は……やっぱりカッコイイの?…いや……そうだよ、俳優できっとお金持ちに違いない。食事だって……もっとこう高級な……」


ふさぎ込むように暗くなってしまったセレウスの顔を、心配というより、どこか寂しそうな目でノエルは見つめ返している。


「ごめん‥‥…話題が良くなかったわね。軽い感じだったんだけど……でも、私の言葉に嘘偽りはないわ。私は。保険屋だからとか、そんなんじゃないわ。食事だって『どこで』じゃなくて、『誰と』食べるかが大切なのよ?」


彼女に気を使わせていることが、セレウスにとって輪をかけて情けなく思えた。

しかし、これ以上ふさぎ込むと、彼女の、あの美しい笑顔が失われてしまう。


ありのままのセレウス・リーブス……ね…


「…おれってそんなにミステリアスかな?」


思うところあったが、無理やりにでもセレウスはおどけてみせた。


「…ええ…ええ、そうね!自分語りがスゴイ人よりはマシだけど…あなたは私にとってジョー・ブラックだわ。だけど‥…」


だけど映画の趣味が合うのは知ってる。

……これって相手に求める、一番重要な条件だと思わない?


彼らが座る席の近くに、年代モノのレコードがある。それがちょうど甘いバラードを囁き始めていた。























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