第2話 ものすごく目が合った

 平日の昼間はビジネスマンたちの仕事時間である。オフィスにはスーツ姿が集い働く。

 SNSのヅヴィッダーでは『みるく』のハンドルネームで親しまれる女装ネットアイドルもリアルでは外資系IT企業『BLACK』の課長をしているので『みるく』ではなく『逢坂吉治』でいなければならない。

「課長……今度の飲み会には……」

 ギロッ。そのような擬音語が似合うような視線を吉治は、問いかけてきた部下の高須明に自然と目をやってしまう。

「あ……。行かないですよね……いつも……」

 見るからに高須は恐れている。

「必ず行かないと決めつけるのか」

 吉治としては毎回に決められては困るので念のために言ったことが厳しい言葉になってしまい更に高須を萎縮される。

「すいません……! 課長の分の予約、取りますね……!」

「行かないが」

 それでも行かないものは行かない。

「わ、わかりました……! ヒィ……!!」

 生まれたての子鹿のように震えられる。なぜか恐れられている吉治だった。


 僅かな休み時間にて社食を食べに行こうと廊下に出たら、その先の方に離れたところから女性社員二人の会話が聞こえてきた。

「逢坂課長、絶対パワハラしてそうだよね」

「怖いよー……目つきとか」

 女性社員たちのあることないことの噂話に対して吉治が思ったことは一つだった。

 ──本当は俺の目つきぐらい化粧で直せるんだけどね。


 ☆


 そしてその日の仕事が終わり吉治は直帰する。

「あら、おかえりなさい」

 吉治が自宅の玄関に上がると、なんだか嬉しいことに吉治の妻こと藍が前まで出迎えてくれたので「ただいま」の一言を笑顔で返す。

 因みに吉治の現在における目つきは悪くない。仕事中に関しては慣れているとはいえ緊張しているからだろう。


「あのね……吉治さん……」


 藍が頬を染め恥じらいながら告げようとする。


「千春は実家に預けたし、だから今夜──……」


 ──え。なにこの展開。俺たちずっとしてなくない?


「約束の女装デートして!!」


「そっち!?」


 吉治は先程までの自分を大いに恥じたのだった。

「そっちってどっちのそっち?」

「いや……気にしないでくれ……」

 仕事よりも今のやりとりでドッと疲れた気がする吉治だが、藍から告げられた「女装デート」の話で我に帰る。

「とりあえず書斎に行きましょ!」

 乗り気な藍に対して足取りの重い吉治なのは、彼は外で女装をしたことがないからだ。


 ☆


 書斎に藍が入るのは引っ越し当初以来で、勝手に千春が入る時──吉治が把握していないだけで千春はなんだかんだで書斎に侵入している──以外は吉治の個室である。そこに藍と共に吉治はいる。

「いつの間にクローゼット、こしらえたのね」

 立派なクローゼットを前にして藍は感嘆する。

「申し訳ないと思ってる」

 現在、吉治は椅子に腰をかけながらも心身共に藍へ頭が上がらないでいる。

「悪いと思ってないわよ。でも本当に私が選んでいいの?」

「頼む。むしろ選んでくれ」

 自撮り用の服しかないので外に着ていく、それもデートでの服は吉治にはいまいちわからないので藍に頼むことに。

「じゃあ開けるわね?」

 ──うわぁ。緊張してきた。

「……どうぞ」

 そして藍はそっとクローゼットの中の衣服を確認する

 ──えっ……この状況、意外とつらい。

 ──妻に女装服を漁られるの、かなりつらい。

 ──無我の境地に達したくてたまらない。

 ──何も考えない。ナニモカンガエナイ。なにもかんがえない。

 ──…………。

 吉治が明後日の方向に瞑想せんとしていたところ、藍が「あ!」と声を上げる。


「おわあああああああぁぁぁぁ!?」


 瞑想に入りかけてた最中、突然の藍の声に驚き叫ぶ吉治。

「えっ!? ええっ!? どうしたの吉治さん!!」

 困惑と心配の入り混じった感情で声をかけてる藍。

「え、いや。ちょっとビックリしただけ!!」

「ちょっと!? ちょっとでそんなに!?」

 二人が落ち着くまで数分かかった。


「この浴衣とかどうかしら」

 そう言って藍が出したのは、ピンクがベースの青い花柄の浴衣だった。

「藍さん……その格好でどこへ?」

「今日は二駅、行った神社でお祭りやってるからちょうどいいから行きましょ」


 ──電車。


「ジョソウ、デンジャ、ヒトゴミ、ヤダヤダ」


「そういえば『みるく』ってハンドルネームの人が女装で人気よね? 可愛くって思わず画像、保存しちゃった。アシにもシェアしていい?」


「行こう。エスコートするよ。ピンクの浴衣で」


 ☆


 ──死にそう。

 ──人って視線だけで死にかけるんだなぁ……。

 ──いや。気を確かにしろ。視線は被害妄想だ、多分。

 混み合った乗客のほとんどがお祭りに行くのだろうということが砕けた空気から見てとれた。

「私も浴衣、着たかったかな」

「……あ、はい」

 電車内で隣り合い座っている夫婦──傍目から見たらそうは見えないが──は夫の方は気まずそうに俯き小声で返答するのだった。

「そろそろね」

「……はい」

 最早その関係は夫婦を通り越して罪人と処刑人の域だと吉治は感じ得た。


 ☆


 大きな神社に、たくさんの人。お祭りは賑わっている。

 そんな中で、吉治と藍は屋台を見ながら進んでいった。そうして歩いていたら藍が「ねえ」と吉治の手を引く。

「綿飴、食べたいのだけれど貴方も食べたい?」

「……はい」

 藍が指差す先は綿飴の屋台。

「あと、かき氷も食べたいかな」

「……どうぞ」

 それから吉治は沈黙しながら、藍に促されるままに綿飴の屋台に並ぶ。そして二人分の綿飴を買い、黙々と食べる。

「もう! エスコートするって約束は!」

 綿飴を食べ終わった藍は開口一番そう告げた。

「……声で女装がバレたら嫌です」

 小声。

「大丈夫! ハスキーボイスの美人だから自信を持って! SNSの自分はどこにいったの!?」

 藍による謎の鼓舞は吉治にとって鼓舞ということにはならなかった。

「ええと……それは、画面越しとはワケが違って──」


「さあ! かき氷の屋台までエスコートするのよ! みるくちゃん!!」


 ──ハンドルネームやめてえええぇぇ!!

「え、ええと。こっちだよ。藍さん」

 ──考えてみれば男姿でもエスコートとかマトモにしたことないから……ヤケクソかな!?

「な、何味がいいの?」

 吉治は藍の手を引きながら、とりあえず頑張って笑顔で問いかける。

「いちご味がいいかな」

 幸いなことに藍はにこにこと機嫌良さそうにしていた。

「貴方は? 何味がいいの?」

「えっ」

 自分がかき氷を食べることを想定していなかったので困惑する。

 ──こ、こんな時は『多分』切り札の口説き文句!

「藍さんと同じ、いちご味かな。気が合うね……!」

 ──どうだ!


 藍はその口説き文句らしきものに対して「貴方がピンクのいちご味とか女子力あって可愛い……!!」と頬を赤らめた。


 ──あっ……。俺、男として見られてないとか……?

 ちょっと傷ついた吉治はそれでも妻にエスコートを続けようと試みる。

「藍さん、かき氷が溶ける前に落ち着いて食べられるところへ──」

 わいわい、がやがや。スーツ姿の団体が歩いていく。その日に吉治が部下として見た姿。彼らはBLACKの社員。彼らは吉治のことを知っている。

 ──アイツら飲み会に行ったんじゃないのか!?

「貴方?」

 固まる吉治。どうしたのかと不思議そうにしている藍。距離が縮まるスーツ姿の団体。

 そして。


 ──目が合った!


 部下の高須は吉治を目を見ながら通り過ぎて行く。その口許はなにか一声かけようかとしているようにも見える様子だった。

 だが誰もなにも言わずにスーツ姿の団体こと吉治の部下たちはすれ違うだけだった。


 ──ものすごく目が合った!!


 ☆


 それから次の月曜日のこと。吉治はこの上なく億劫に出勤した。

「……そういえば」

 吉治は勇気を振り絞り──社員から見れば目つきの所為で勇気ではなく圧力に見える──高須に問いかける「飲み会はどうだったか」と。

「飲み会の前に近くでお祭りやってたんで、みんなで行ったんですが楽しかったですよ……?」

 それだけ聞いて吉治はバレていないであろうことにフと溜め息を吐いた。

「そうなのか……。だが、私はお祭りに行っていないな。……断じてお祭りには行っていない」

 殺気立った吉治に、高須はその言葉の意味はよくわからないものの恐れおののく。

「は、はい……」

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