女装がバレたよ吉治さん!

詩森右京

第1話 バレから始まる

 逢坂吉治は傍目から見れば、妻と娘に恵まれたあたたかい家庭を築き、仕事では優秀で若くして課長に昇進するという、家庭も幸せで仕事も順風満帆な人生を送っている。

 だが、その吉治には秘密がある。


 ☆


 日曜日の自宅、リビングでコーヒーを飲み終わった頃にて。

「じゃあ、これからしばらく書斎にこもるから」

 妻の藍に、吉治の自室とは別の書斎に行く旨を伝える。広めの一軒家で高かったローン完済まであと少し。

「わかったわ。千春の面倒なら任せて」

 今はお昼寝タイムの千春。可愛い盛りではあるが暴れたり甘えたりたしたい盛りでもある愛娘を進んで引き受ける藍に毎度のこと助けられる。無論、吉治も千春の面倒を見るのだが。

 家事と漫画家を兼ねている藍だが、漫画の仕事の方は一段落したとのことで今は千春の面倒を心置きなく見てやれるとのこと。

 因みに吉治は藍がどのような漫画を描いているのかは知らない。教えてくれないのだ。

「いつも悪いね」

「なによ。可愛いじゃない千春。だから悪くないの」

 ──いや悪いのはそういう意味じゃなくて。

 とは言えず「そうだね」の後に「じゃあね」と藍に告げて吉治はリビングから書斎へ向かった。


 ☆


 書斎は吉治の世界だ。そこは吉治だけが使う部屋。鍵をかけられる部屋といえばトイレとバスルームと書斎だけなので、書斎は吉治だけが自由に使えるというメリットがある。ついでに二階なので何気に眺めがいい。

 本棚には吉治の好きな本が並び、座り心地の良い椅子と、丁度よく読書に集中しやすい机。全体的にシックな雰囲気が醸し出す。

 それから、全身が優に映る姿見、多くの服を収納できるクローゼット、そして化粧品の類。

 吉治は下着姿になりメイク──やや厚めの化粧──をし更にメイド服を見に纏い猫耳カチューシャを装着する。


 逢坂吉治。


 趣味は、女装。


 そして──。


 姿見に映る吉治。彼の持つスマホからシャッター音が鳴る。

 自撮りである。そしてより良く加工してからSNSこと『ヅヴィダァー』に投稿した。

 大反響。即ちバズった。

 しかしそれは吉治──ハンドルネーム・みるく──にとってはいつものことだ。吉治が女装画像を投稿するたびに特定のファンによりバズる。

「あー! 気分いー!!」

 投稿した画像が未だにお気に入りや拡散にコメントなどを貰っていることにストレスが浄化されるかのように発散される。

 いくら家庭も仕事もうまくいっていてもストレスはたまるので吉治はこうして解消している。要は趣味だ。

『男の娘萌え!!』

『みるくにゃんのネコミミメイド!!』

『画像は秒で保存しました!!』

 今回のバズりは何度目かもわからないのに、リアルの吉治は笑いが止まらない。人気なのも嬉しい、だがそれに伴い背徳的な人気であることが吉治にとって気分がいい。

 妻、藍のことは──我が子ができてから無沙汰とはいえ──ラブだ。離婚する気はさらさら無い。吉治は女装が好きなだけであって恋愛対象は女性しか考えられない。オマケに、大恋愛という歳でもなければ、浮気なんてもっての外。やはり女装趣味なだけだ。

 ──バレなければ問題ないレベルだろこんなの。

 男は男らしくとかもトレンドではなくなっている時分、それが理由なら天罰など下りはしないだろう。その証拠に一定のファンがいる。

 となると最後の問題は──。

「藍さんには、読書か仕事か自家発電してるだろうぐらいにか思われていないだろ。書斎一部屋で浮気の余地なんてないし」

 罪悪感はある。バレたら問題だろうとは思っている。だが藍とて吉治に秘密があるのかもしれないのだから。

「まさか女装自撮りしてるなんて思ってな──」

 書斎と廊下を繋ぐ扉が開く音がした。

「──い」

 音と共に「あれー? お姉ちゃん、だれー?」と書斎に侵入し吉治もとい現みるくに突撃してきたのは愛娘の千春だった。


 ──鍵、閉め忘れた!!


「お姉ちゃん、お姫様みたいー!」

 ──そういえばこの間、千春に買った絵本のお姫様の衣装にこころなしか似てるかな? まあメイド服だからお姫様に仕える側だが。

 純粋な瞳で吉治の女装姿を見つめる千春。

 ──いや、それよりどうするこの状況!

 その瞬間、吉治の脳内に三つの選択肢が浮かんだ。

 ──壱、千春をうまく懐柔する。

 ──弐、このままドアを閉める。

 ──参、二階だが窓から逃げる。

「お母さーん! お父さんのお部屋にお姫様がいるー!!」

「げっ!!」

 遠くから殺気立った気配がした。殺気立った吉治の妻の気配がした。夫が他の女を連れ込んだと思い込んだ殺気立った女の気配がした。もう近くに殺気立った気配がした。

 殺気立った藍が来た。


 ☆


「それで? その『お姫様』みたいな女はどこの女?」

「ですから……俺です……」

 ──なんで俺、正座でひれ伏しつつ敬語で喋ってるの? ああ、現在の藍さんのラスボス感は異常だからか。

 藍は立ちながら吉治を詰問する。千春には千春の部屋で遊んでいるように言っておいた。吉治はメイド服に猫耳のまま、化粧も落とさずひれ伏している。

「そんなわけないでしょう? 千春が『お姫様』って言ったから吉治さんがその格好を慌ててしたのでしょう? だって今のあなた『お姫様』じゃなくて『メイド』でしょう」

 暴論。

 四捨五入切り上げ十年での結婚生活で吉治はここまで藍を怒らせたことはなかったが、何度かは夫婦で争ったこともある。その際に藍が優勢だとよく暴論を掲げてくる傾向にある。

 しかしこの暴論に反論してもいいのだろうか。

「千春にはまだ難しいのではないでしょうか……?」

「そうね。千春はまだわかっていなかった。それは認めるわ」

 藍が納得したことに対して一縷の望みのようななにかを吉治は覚える。

「でも私の推理では、その女が窓から逃げて、咄嗟に吉治さんがそれっぽい格好をしたのよ!」

 ──やっぱ暴論だぁ!!

 吉治は藍が推理モノの漫画は描いていないんだろうなと一瞬だけ現実から逃げから「……あの」と変わらずひれ伏しながら消え入りそうな声で、そして全てを諦めた顔をして──。

「ヅヴィダァーの……『みるく』という女装男子が俺です……」

 真実を告げた。


 間。間が長い。藍がヅヴィダァーで『みるく』のアカウントとを確認している間。

 変わらず正座で脚が痺れてきた。

「色々と説明してくれる?」

 スマホを置いた藍はただそれだけを問いかけた。

「はい……。あれは千春が生まれる前か……女装した男子の……その……漫画が何故かリビングのソファに置いてあって……好奇心で読んでみたら女装に興味、持ちだして……それからはメイクの練習や、似合う服選び、違和感のない声の出しかたの練習とか……していくうちに……SNSで自分を表したいと思うようになった……なりました……」

 この懺悔の告白をして気まずくならないほうがおかしいかもしれない。現に、少なくとも吉治は気まずいと感じているのだから。

「わかったわ」

 その藍の声と相貌には名状し難い色が浮かんでいた。

 ──ああ。離婚かな。離婚だなこれは。確かに黙ってて悪いことをしたから、せめて慰謝料もろもろ払おう。

「女装趣味、あるなら教えてよ……!」

「ごめんなさい! 慰謝料払います! あと千春の養育費とか!」

「そうじゃないの……! 私は……!!」

 幻覚だろうか。藍の頬が赤く染まっている。まるで恋を知ったかの乙女のように。

 幻覚だろうか。藍がモジモジと恥じらっている。まるで恋する人を前にした乙女のように。


「男の娘が好きなの!!」


「……え?」

 幻覚でも幻聴でもなかった気もする。脚の痺れは忘れて、思考は停止した。


「だから今度、私と女装デートしてね。吉治さん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る