第6話 期待しちゃいそう

 無事に食事を終えた俺たちは、次の目的地である映画館に来ていた。


 後方の席に並んで座る。


「あのさ……、大丈夫だった?」


 七海さんは首を傾げる。


「えっと、ファミレスで」

「? わたしファミレス好きだよ?」

「じゃなくて」


 オーガニックカフェレストランに行きそびれた俺たちは、結局本通りにあるファミレスに入ったのだった。


 だから心配だったのだ。ファミレスのメニューはジャンクとまでは言わないけど、栄養のバランスがいいほうではない。


 それに、七海さんが注文したのは玉子スープとイチゴパフェ。明らかに量が少ない。しかもパフェを食べていた彼女は一度、つらそうに顔をしかめた。


 まさかあの程度の量も食べられないのだろうか。


「疲れてないか?」

「大丈夫。楽しすぎて走り回りたい気分」

「いや館内では座っててほしいけど」

「了解です」


 と敬礼した。


 たしかに七海さんは今にも走り出しそうなほど上機嫌だ。今日は体調がいいのだろう。


 と、館内の照明が落ちる。映画が始まるようだ。俺は口を閉じ、スクリーンに集中した。





「はあ~……、面白かったねえ」


 上映が終わり、メインロビーに戻ってくると、七海さんが感慨深そうに言った。


「そうだな、面白かったな」


 俺は棒読みにならないよう、できるだけ抑揚をつけて返答した。


 別に嘘をついたわけではない。たしかに面白かった。


 《一回目は》。


 そう、俺がこの映画を見るのは二回目だった。いや、三回目と言っても過言ではない。


 犬や猫や馬、その他多種多様な動物たちが冒険を繰り広げるCG映画。いかにもハッピーな内容を期待させる明るい色調の映画だが、こういったものにも物語を盛り上げるためにシリアスなエピソードを挿入してくることはよくある。


 とくに死が絡んでくるのは最悪だ。だから俺は事前に、動物が死ぬかどうかだけを限定的にネタバレしてくれる動物好き向けのサイトで検索し、この映画で動物は死なないことを確認した。


 しかし暗喩の場合には見逃されるおそれがあるので、フルのネタバレサイトを熟読し、冒頭、主人公が家族に別れを告げて旅立つ場面以上に悲しいエピソードはないことを確かめた。


 しかしその情報も書き手の勘違いかもしれない。そう思い、結局俺は平日の夜、この映画を自分で鑑賞した。その結果、ネタバレサイトの情報に間違いはないと分かり、デートで観る映画はこれにしようと決めたのだ。


 その努力が報われた形だ。俺は心底ほっとした。


「こういう映画が好きってよく分かったね」

「まあ」


 動物園が好きって言ってたから鉄板だろうと思っていた。


「また観たいって思ってたんだ」

「それはよかった」


 ――……ん?


「なんて?」

「なにが?」

「え、ええと……。『観たいって思ってた』んだよね?」

「うん」

「その前に『また』って言った?」

「言った」


 七海さんはこくりと頷いた。


 背中に嫌な汗が噴き出す。


「『また』っていうのは『再び』って意味の『また』で合ってる?」

「多分」

「ということは……、間違ってたら言ってほしいんだけど、――一回観たことある?」

「うん」


 七海さんは満面の笑みで頷いた。


「はふぅ」


 膝から力が抜けて倒れそうになるも、俺はなんとか壁に手をついて持ちこたえた。


「だ、大丈夫!? ――あ、暗い森に帰ろうとしないでね?」

「やっぱりくら――、え? あ、うん……」


 退路を塞がれてしまった。


「でも言ってくれれば別のにしたのに」

「もう一回観たかったから」

「いや、気を遣ってもらわなくていい」

「本当だってば」

「ミステリーならともかく、エンタメ映画の二回目はふつうにつまらないだろ……?」

「面白いよ。もう一回好きなキャラクターに会えるし」

「それにしても――」

「ぼーっと観てるから忘れてるところもたくさんあるし」

「なるほど」

「急な納得!?」

「あ、違うぞ? 七海さんが言うと説得力があるなって思っただけだから」

「違ってないよ!」


 むっと口を尖らす七海さん。


「馬鹿にしすぎ」

「馬鹿にしてない。むしろ――」

「『むしろ』?」

「……いや、なんでもない」

「???」

「それより、そろそろいい時間だな」


 腕時計は十八時過ぎを示している。なんだかんだとトラブルはあったものの予定の時間でスケジュールを消化できた。あとは七海さんを家まで送り届けるだけだ。


「うん。――あ、その前に」


 七海さんはぴんと人差し指を立てた。俺は釣られて上を見る。


「天井がどうした?」

「もっと上」


 このシネコンは複合商業施設の最上階に位置する。ということは。


「屋上?」

「そう! 屋上に観覧車があるでしょ? あれ、乗りたいな」


 目をきらきらにしてお願いする七海さんはまるで散歩を催促する子犬のようだった。


「……」

「あ、もしかして高いところ苦手……?」

「いや」


 暗い空が苦手なのだ。まして観覧車だとその夜空に中に運ばれていくような感じがして、想像しただけでも息苦しくなる。


 しかしそんなことを話せばせっかくの楽しい雰囲気に水を差すことになる。俺は小粋なジョークでごまかすことにした。


「空気薄くないかなって」

「酸素の心配……!? 考えすぎだよ」

「心配しすぎた。心肺機能だけに」

「……」


 余計変な空気になった。


「あ、あはは……。――じゃあ屋上に行こうか……」


 俺は逃げるようにその場を離れ、エスカレーターに乗りこんだ。


 一段下のステップに乗った七海さんが言う。


「黒森くん」

「ん!? な、なに?」

「さっきの」

「う、うん」

「どういう意味?」


 分かってないだけだった。






「わ~……、すごいきれい……!」


 七海さんは観覧車の窓にへばりつくようにして夜景を眺めていた。


「あれってわたしたちの学校じゃない?」

「休日に夜景になれるほど電気ついてたら怖いよ」

「わたしの家、見えないかなあ」

「厳しいと思う」

「そっか……。オール電化だったらなあ」

「オール電化はそういうものじゃない」


 隣に座る七海さんは俺のことを見もしない。でももうもやっとはしなかった。


 七海さんが俺の手を握っていたから。彼女に触れられているおかげか、恐怖心や息苦しさはやってこなかった。


「そうだ、一緒に写真撮ろうよ」


 七海さんはバッグからスマホを取り出し、フロントカメラに二人を収めてシャッターボタンをタップした。


「ほら」


 画面には満面の笑みでピースする七海さん。その隣にはこわばった表情の俺。


「黒森くん、がちがちだね。……やっぱり高所恐怖症?」

「じゃなくて」

「まさかトイレ!? わたしペットボトル持ってるよ。三百五十ミリリットルだけど足りるかな……?」

「でもなくて!」


 俺は照れくさくなって顔を伏せた。


「その……、誰かとふたりで写真を撮ったことがなかったから……緊張した」


 七海さんはきょとんとしたあと、ふわっと笑った。


「そっか。――でもじゃあ撮りなおす? せっかくの記念だし」

「いや、それでいい。あとで送ってくれ」

「いいの?」

「――あとで笑い話にできるだろ」

「……そうだね」


 会話が途切れ、七海さんは、


「はあ~」


 と、長い息をついた。


「今日は楽しかったね」

「本当に? 楽しい?」

「うん。人生の中で五本の指に入るくらい」

「ちなみに一位は?」

「う~ん……。生まれた瞬間?」

「覚えてるのかよ」


 昨日の夕飯も思い出せないとか言ってたのに。


 しかし楽しんでくれているのは事実のようで、ならば俺の目的は達成されたということだ。


 俺たちの乗ったゴンドラが乗降口に近づく。窓から下を覗いていた七海さんが言った。


「ねえ、このあとどこ行こうか?」

「もう暗いし、さすがに帰ったほうが」

「そっか、そうだよね」


 と残念そうにつぶやく。


「……」


 ――俺も……。


 こんな時間がずっと続けばと――。


 ――いや。


 俺はかぶりを振る。


 ――期待するな。期待は裏切られる。


 七海さんを満足させられたのならそれでいい。


 ドアが開かれた。


「さあ、降りよう」


 七海さんの手を引いてゴンドラを降りる。


 そして俺たちは帰宅の途についた。


「また絶対行こうね!」


 自宅まで送り届けた別れ際、周辺に響き渡るような声で七海さんは言った。


 俺はなにも言わず小さく手を挙げて応え、その場をあとにした。

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