第7話 ハズレ

 その後も俺と七海さんは、一緒に登校し、昼食をとり、下校し、帰宅後はスマホで「おやすみ」を言う、ほとんど毎日を共に過ごすような日々を送っていた。




 ある日のホームルーム、先日行われた体力測定と健康診断の結果が渡された。


 通知書を見るに、体力は平均、体格も平均。うん、実に俺らしい。血圧が高いのは測定のときに緊張したせいだろう。


 授業の合間の休み時間、クラスメイトたちもこの話題で盛り上がっていた。とくに身長、体重について。


 トイレから戻ってくると、七海さんが隣のクラスの鎌形さんと廊下でおしゃべりをしていた。


 鎌形さんが言う。


「そういやさ、健康診断の結果どうだった?」


 ――おおい!?


 俺は思わず声が出そうになる。


 ――そっとしておいてやれよ……!!


 しかし事情を知らなければ仕方のないことかもしれない。俺は七海さんが傷つかないことを願いながら、それとなく聞き耳をたてる。


「うん……」


 七海さんは曖昧に頷く。鎌形さんは腕まくりをして力こぶを作る。


「見てよ、部活のせいで腕が太くなっちゃってさ。体重も増えてたわ。まあ筋肉の重さだし、いいっちゃいいんだけど」

「……」

「身長も伸びてたし、すくすく育ってる。――で、凪紗は?」


 七海さんは沈痛な面持ちでうつむいた。


 ――ああ……、早く、早くチャイム鳴れ……!


 もういっそ俺が横槍を入れてやろうかと身構える。


 七海さんがぼそりと言った。


「……た」

「うん?」

「……した」

「なんて?」


 七海さんは制服の裾をぎゅっと握った。


「増えて、おりました……!」

「なんで政治家口調? っつかやっぱり増えてたんだ」

「まだなにが増えてたか言ってないでしょ」


 そうだ、なにかやばい数値かもしれない。


「体重でしょ?」


 鎌形さんはにべもなく言った。


 七海さんは絶句する。口をぱくぱくさせるが反論の言葉は出てこず、やがてがっくりとうなだれたあと、こくりと頷いた。


 ――……え?


 体重が増えた、だけ? 深刻そうにしていたのはそれだけ?


 いや、まさか。でも、しかし――。


「まあうちら成長期だからね。BMIが増えてなければ問題ないって」


 鎌形さんの言葉に、七海さんはほとんど泣きそうな顔で言う。


「なんかね? 身長はあんまり増えてないの。でも体重は増えてたの……」

「ああ……。まあ、オブラートに包んで言うと――デブった?」

「オブラート薄い!?」

「オブラートは元から薄いけど。でもいいじゃん、不自然に痩せるより健康的で」

「わたしは健康的に痩せたいの……!」

「部活やればいい。ダイエットなら運動よ運動」

「でも知ってるでしょ。わたし――」

「おおおおおおおい!!」


 突然会話に割り込んだ俺に二人はぎょっとした。


 鎌形さんは俺の顔を見て「おっ」と声をあげる。


「彼ピッピじゃん。じゃああたしはこのへんで。あとは若い二人に任せて」

「同い年だろ。というかそれはどうでもいい。――どういうことだ」

「なにが」

「健康的ってなんだよ」

「え、聞き耳たててたの? キモピッピじゃん」

「ポケ○ンみたいに言うなっ。それよりどうなんだ」

「言葉どおりの意味でしょ」

「じゃなくて――」


 なんて聞けばいいのだろう。


「七海さんは、その……、健康的、なのか?」

「はあ?」


 鎌形さんはしばし考えたあと、にやっと笑った。


「凪紗の身体のことはあんたのが詳しいでしょ」

「セクハラJK……!」


 スポーツ少女だしもっとさっぱりした性格だと思っていた。


「七海さんも抗議して!」

「えっと……、なにを?」


 やはり分かってなかった。七海さんの援護は期待できない。俺は鎌形さんに視線をもどす。


「そういう意味じゃなくて、もっと内臓とかそっちの話だ」

「ええ? マニアック……」

「どう勘違いした!?」

「勘違いはしてない。確信をもってからかってる」

たち悪ぃ……」


 鎌形さんは七海さんに目を向けた。


「凪紗、なんか病気してんの?」


 七海さんは首を横に振る。


「だよね。健康的すぎて体重が激増したんだもんね」

「っ! 微増!」

「まあそれは置いといて。――あたし、小学四年のころから凪紗と一緒だけど、風邪すら引いたことないはずだよ」


 風邪? その言い方だと今も昔も身体に異常はまったくないというふうに聞こえてしまうが。


「あたしの記憶だと唯一学校を休んだのは、道端に生えてたよく分からない木の実を食べて腹を壊したときくらいかな」

「杏ちゃん!?」


 鎌形さんの名を叫ぶ七海さん。その声はほとんど悲鳴だ。鎌形さんは腹を抱えて笑っている。


 このやりとりに嘘はないように見える。


「本当に……?」


 俺は七海さんに尋ねる。


「う、うん」

「どこも悪くないの?」

「悪くない」


 鎌形さんが言葉を継ぐ。


「まあしいて言うなら脳が」

「杏ちゃん!」

「あっはっは」


 じゃれあう二人。しかし俺はそれをどこか遠くの出来事のように感じていた。


 本人と幼なじみの証言が一致した。


 と、いうことは、もしかして――。


 悪い予想が、はずれた?


 膝から力が抜けて倒れそうになり、壁にもたれる。


「だ、大丈夫? 黒森くん」

「あ、ああ。それより七海さんに確認したいことが」


 鎌形さんがへらっと笑う。


「お、あたしはお邪魔みたいだな」

「いや別に邪魔ではないが」

「でも、七海の身体の外から中までつまびらかに探り尽くすんでしょ?」

「言い方!」


 と、そのときチャイムが鳴った。


「じゃ、あたし戻るわ」


 去り際、いやらしい笑みを浮かべて言う。


「やりすぎんなよ?」

「早く行け……!」


 ようやく鎌形さんは去ったが、ゆっくりと話す時間はなさそうだ。


「昼休み、話そう」

「うん」


 俺たちは教室にもどった。しかし授業が始まってからもそわそわして、とてもじゃないが集中などできはしなかった。







 昼休み、中庭のベンチに座って昼食をとる。隣には七海さん。ここ最近はだいたい一緒に昼休みを過ごしている。


『たくさん楽しんでもらわなければ』『嫌な思いをさせてはいけない』……。そんなふうにいつも緊張していたが、今日の緊張は種類が違った。


「確認させてほしいんだけど」


 紙パックのりんごジュースで喉を湿らせてから俺は問う。


「身体、どこも悪くないの?」

「悪くないよ。――もちろん脳も」


 気にしていたらしい。


「本当に?」

「もう! 黒森くんまでそんなこと言う!」

「いや脳のことじゃなくて、身体のこと」

「本当になんともないよ」

「で、でも、じゃあそれ」


 俺は七海さんの膝の上に載っている弁当箱を指さした。


「その手のひらサイズの弁当箱はなに」

「こ、これは、その……。これで充分だから」

「いや無理だろ。チワワでもおかわりを要求するわ」


 七海さんはしばらく苦い顔で黙り込んだあと、重々しく口を開いた。


「わたし――、――質だから……」

「え?」

「わたし、太りやすい体質だから……!」

「……もしかしてそれだけ?」

「わたしには重大だよ!」

「じゃあ全然食が進んでないのは?」


 箸でイチゴをつまみ上げたまま、まったく口に運ぶ様子がない。


 七海さんは気まずそうな顔をする。


 ――やっぱりなにか隠し事が……。


「これは」

「これは?」

「――癖」

「……癖?」


 七海さんはこくりと頷く。


「おしゃべりに夢中になると食べるのを忘れるというか……。お行儀が悪いって分かってるんだけど……」

「……ええと、じゃあつまり、とくに意味はない?」

「ない、と思うけど」


 そんな。じゃあ全部、俺の思いこみだったということか。


 いや、でもまだ疑問がある。


「俺が告白をオーケーしたとき」

「う、うん」


 七海さんの顔にさっと赤みが差す。


「どうして泣いた? オーバーじゃないか?」

「え? そ、そうかな。わたし、嬉しいと泣いちゃう人だから……」


 嬉しいと泣いちゃう人だから……? それだけ?


「じゃああれは! 動物園でくしゃみをした」

「そうだっけ? 多分、鼻がむずむずしただけ」

「なにか重篤なアレルギーがあるんじゃないのか」

「アレルギーはあるけど、重くないし、みんなあるよね?」

「体育のときは! めちゃくちゃつらそうだった」

「あ、あれは……」


 七海さんはうつむく。


 ――やっぱり……!


 なにかあるのだ。


「明らかに走るのが遅かったし、異常なほど疲労してた。あれはどういうことだ」

「……わたし」


 七海さんは力なく箸を置き、うなだれたまま言った。


「わたし……、――すごく運動音痴なの」

「運動、音痴、だと……?」


 俺はしばし呆気にとられた。


「そんな馬鹿な。いくら運動音痴といったってあれは度を越してる」

「度を越した運動音痴なの……!」


 悲痛な声。


「すごく咳きこんでた」

「つばが気管に入って……」

「表情が冴えなかった」

「一位から最下位になっちゃって、申し訳なくて」

「た、体操服に赤い染みがあった! あれは血じゃないのか!」

「あれは……、――ケチャップ」

「ケチャップ……!? 昼飯前だったのに?」

「その日は体育があるから制服の下に体操服を着てたの。で、朝ご飯を食べたときに目玉焼きのケチャップが……」

「そんな馬鹿な! 目玉焼きには醤油だろ!」

「そこはよくない!?」

「じゃ、じゃああれは! 放課後デートに誘ったとき、病院に行くからって」

「歯医者さんの予約をしてて」

「ファミレスでイチゴパフェを食べたときつらそうだったのは!」

「アイスが虫歯に染みたの」


 悪い予想に至った根拠がことごとく否定されていく。それも、どうしようもなくくだらない理由で。


 しかし、まだ最大の疑問がある。


「どうして……、どうして俺なんか好きになったんだ」

「……」


 同じクラスというだけでほとんど話したこともない俺を好きになる理由なんてないはずだ。容姿だってふつうだし、特別頭がいいわけじゃないし、行事で目立った活躍をしたこともないし。


「妖精さん」


 七海さんはぼそりと言った。


「妖精さんって、噂になってるやつ? なんでここで妖精さんが出てくる」


 七海さんは人差し指を俺に向けた。


「な、なに?」

「妖精さん」

「俺の肩に乗ってるのか?」


 冗談交じりの俺の言葉に、七海さんは至って真面目な顔で言う。


「妖精さんは黒森くん」


 ――……。


「は、ははは……。なに言ってるんだ。俺はただの人間だぞ?」

「委員会がやろうとしてた仕事を知らないうちに終わらせてくれてる。図書室で放置されてた雑誌が棚にもどされていて、きちんと整理までされてる。プランターの花に水やりされてる。屋上の階段室に積まれてた机やイスが整理されて、掃除までされてる」

「……く、詳しいな」

「見てたから」


 七海さんは改めて、噛んで含めるように言う。


「妖精さんは黒森くんだよ」

「……」


 たしかにそれらをやった覚えはある。しかし――。


「別に善意とかそういうのじゃない。あのまま放置してたら誰かが不幸になるだろ。そしたら社会の秩序が乱れて余計に不幸な人が増える。だからだよ」

「社会や人のために、見返りを求めずに頑張れるってことだよね」

「そんな美談じゃなくて――」

「だから好きになったの」

「……」


 俺は七海さんの視線から逃れるように顔をそむけた。


 心臓がどくどくと跳ねている。


 七海さんが俺を見てた? 誰でもよかったんじゃなくて、俺を好きだから告白した?


「そ、それなら、最初からそう言ってくれれば――」

「なんで好きになったかなんて、言うの恥ずかしいし……」


 今度は七海さんが顔をそむけた。


「でも、そっか。黒森くんは、わたしが重い病気だと思って、かわいそうだから付き合ってくれたってことだよね」

「それは……」


 そのとおりだ。


「黒森くんっぽいなあ」


 と、苦笑いする。


「すまん……」

「なんで謝るの? わたしは黒森くんのそういうところが好きなんだよ。付き合ってくれてありがとうね」

「……」

「よし、友達にもどろうか。あ、前はほとんど話したことなかったんだっけ。じゃあ『もどる』はおかしいか。恋人をやめて、友達になろう」

「でも」

「このままじゃ申し訳ないし。……友達になるの、嫌?」

「それは全然!」

「よかった。じゃあ今日からよろしくね」


 少し寂しそうな笑顔。


「――でも、好きでいていいかな?」

「……うん」


 会話が途切れる。


「よーし! じゃあ友達として初めての昼食会だ!」


 いただきます、と手を合わせてプチトマトを口に運ぶ。


「ちょっと待ってくれ。その前に」

「? なに?」

「ひとつ言っていいか」

「うん、どうぞ」


 七海さんは箸を置く。俺は咳払いをして、告げた。




「七海さんが好きです。俺と付き合ってください」




「……………………」


 長すぎる沈黙。いや、絶句か。


「……へぃ?」

「聞こえてはいただろ。二回は言わないからな」

「……告白?」

「そ、そうだよ」

「なんで……?」

「なんでってそんなの、す……、――好きだからだろ」

「わたしがかわいそうだから付き合ってくれたんじゃないの?」

「最初はな」

「今は?」

「い、いいだろもう。根掘り葉掘り聞く気か」

「だって理由を言ってくれないと、またすれ違うかもしれないし」


 それはそう。俺の勘違いが招いたことだけに反論できない。


「……石橋を叩いて渡るって言葉があるだろ? 俺の場合、叩くだけじゃ不十分で、超音波検査までしてようやくおっかなびっくり渡れるんだ。でも七海さんはその横を鼻歌まじりのスキップで渡っていく。『きっと大丈夫』って感じで」

「わたしスキップできないよ」

「やっぱり! というか今それはどうでもいい!」


 腰を折られかけたが俺はなんとか持ちなおす。


「俺にとってそれがすごく……、好ましかったというか、まぶしかったというか。と、まあ、そんな感じで」


 ああ、なんだこれ、すごい照れる。


「分かったろ。つまりそういうことだよ」

「どういうこと?」


 また分かってなかった。


「だから! デートのとき俺がいろいろ失敗しただろ。それを七海さんは全然気にしないどころか『そっちのほうが楽しいかも』って言ってくれた。そんな考え方したことなくて、でも実際本当に楽しくて……。――いつも悪い予想ばかり当たって、だから期待なんてどうせ裏切られるって思ってたけど、七海さんといると『そんなことないかも』って感じられるんだ。だから、その……、好きに、なった」


 ――顔あつっ。


「で、返事は!」


 照れ隠しにキレ気味で問う。


「うん、もちろん、はい、よろしくお願いします」


 俺は大きく息を吐いた。知らず知らずのうちに息を止めていたようだ。


「でも」


 七海さんが表情を曇らせる。


「な、なに? まさか、まだ俺の知らない問題が?」

「ううん、そんなんじゃない」

「じゃあなに?」

「ええと……、わたしが言うのもなんだけど」


 七海さんは周囲を見回した。


「告白は、人目のないところのほうがいいかなって」

「え……?」


 俺も周りを見る。


 中庭に十以上あるベンチも、植え込みを囲う石垣も昼食を食べる生徒たちでほとんど埋まっている


 彼らは興味津々という目で俺たちを観察していた。そればかりかスマホを向けている者もいる。


 誰かが拍手をした。すると別の誰かが追随し、その輪がどんどん広がっていく。


 その輪は拍手喝采となった。それを聞きつけた生徒たちが校舎の窓からこちらを覗く。


 七海さんは手で顔を覆った。


「さすがにこれは恥ずかしいかも……」

「たしかに」


 すごく恥ずかしい。でも同時に、ベンチの上に立って「ありがとう!」と叫びたい気持ちもどこかにあった。まあそんなことをしたら、それこそ七海さんが恥ずかしさのあまりどこか悪くしてしまうかもしれないからやらないが。




 ともかく、こうして俺たちは自他ともに認める恋人同士になったのだ。

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