第5話 目一杯楽しませたいのに

 週末。今日は七海さんとのデートの日だ。


 待ち合わせ場所は駅前に約束の時間の三十分前に到着すると、駐輪場の自転車が将棋倒しになっていた。


 これはまずい。このままでは世界のどこかで戦争が起こる。



・自転車が倒れる

・帰ってきた持ち主が発見する

・気分が荒む

・イライラして家族や友人に当たる

・家族や友人もイライラする

・その周囲の人々もイライラする

・やがて世界中の人がイライラする

・戦争が起こる



 ただでさえ世界は厳しいというのに、このままでは俺みたいな奴がもっと増えてしまう。


 俺は折り重なった自転車をひとつひとつ起こしていった。ひしゃげたカゴもできるだけきれいに直す。


 腕を組み、きれいに整列した自転車を眺めた。


「よし」


 これで不幸が入りこむ余地はない。


 そのとき突風が吹き、別の列に並んでいた自転車がばたばたと将棋倒しになった。


「くっそ……!」


 なんなんだ。なぜ駐輪場の看板はあるのに柵はおろか車輪止めもないんだ。どうして都会はオシャレ感を出すために利便性を犠牲にする。そんなに戦争を起こしたいのか。なんて愚かなんだ人類は。


 俺はまた自転車を起こしていく。また同じことを繰り返さないよう、自転車の前面を風上に向けて。これで突風を受け流せるだろう。多分。


「今度こそよし」


 デート前に無駄な体力を消耗してしまった。


 腕時計を見ると約束の時間ぴったりを差している。


「やべ……!」


 俺は慌てて駅前広場に移動した。


 が、七海さんはまだ来ていないようだった。


 ほっとすると同時に、別の懸念が湧き上がってくる。


 ――大丈夫か……?


 まさかここへ向かう途中に発作でも出たのではないか。やはり家まで迎えに行ったほうがよかったか。


「おはよう」


 そのとき横合いから声をかけられた。七海さんだ。俺は胸をなでおろす。


「よかった、ちゃんと来れたんだ」

「わたし高校生だよ!? それに遅刻とか一回もしたことないし。意外と」


 自分で意外って言っちゃってる。


「じゃあ今日は初めての遅刻か」

「ちゃんと時間前に着いてたよ。合流が遅れただけ」

「じゃあなにやってたんだ」


 七海さんは口元に悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。


「妖精さんを見てた」

「……多幸感の出るタイプのやつ服用してる?」

「そういうのは飲んでないけど!?」


 薬のせいではなく素だったか。よかった。


 ……いや、いいのか?


「ともかく、ここからバスで動物園に向かいます」

「引率の先生みたい。家に帰るまでが動物園です、みたいな」

「獣臭そうだな帰り道だな」


 バス停に移動し、しばらく好きな動物について語りあっていると、時間きっかりにバスがやってきた。


 中扉が開く。先にステップに上がった俺は七海さんに手を差し出す。


「紳士だね」


 と、はにかむ彼女。


「いや、転ばずに上がれるかなって」

「おばあちゃんへの優しさ……! さすがに大丈夫だよ」

「そうか、すまn――」

「あ! や、やっぱり念のために手を借りていい?」

「そりゃ構わないけど」


 引っ込めた手をもう一度差し出すと、七海さんはためらいがちに手を握った。


「えへへ」


 照れくさそうに笑う。


「えへへ、えへ、えへへへへへへへへへ……!」

「怖い怖いっ」


 笑いすぎだ。


 乗りこみ、二人がけの席に並んで座る。


 バスが走り出した。


「ええと……、七海さん」

「なに?」

「もう手を離してもいいのでは?」


 七海さんはいまだに俺の手をしっかり握っていた。


「離してもいいということは、離さなくてもいいということだよね?」

「ま、まあ」

「じゃあ離さない」


 と、はにかんで言った。


「……」


 その仕草、セリフ。なんという破壊力。ふつうの男子ならば簡単に心を盗まれてしまうことだろう。


 でも俺は違う。セ○ムすら尻尾を巻いて逃げる厳重な警備システムに守られた俺の心は、ルパンでも触れることすら叶わないのだ。


「ふふ、逃さんぞルパン」

「え、ルパン?」

「あ、こっちの話」

「そう……?」


 七海さんは小首を傾げた。





「見て、チンパンジー! チンパンジーの赤ちゃん! わあ……!」


 七海さんはパシャパシャとスマホのカメラで撮影しまくる。


 もやっとする。


 ――チンパンジーより俺を見ちゃうんじゃなかったんかい……。


 はっとした。


 ――なにをチンパンジーに嫉妬してるんだ。七海さんが楽しいならそれでいいじゃないか……!


 俺は自己嫌悪にうなだれる。


「どうしたの?」


 気がつくと七海さんが怪訝な顔で俺を見ていた。


「俺は……、チンパンジー以下のクズだ……!」

「本当にどうしたの!?」

「彼らのように人を楽しませることもできなければ、そんな彼らに嫉妬までして……。俺なんて霊長類を名乗る資格もない、霊短類だ! 黒森の名のとおり暗い森に帰ったほうがいいんだ……!」

「あの……、もっと気楽に楽しもう?」

「そ、そうだな、すまん」


 俺が塞いでいたら七海さんに気を遣わせてしまう。


 大きく深呼吸をし、彼女に微笑みかける。


「もう大丈夫。チンパンジーより劣るということを受け入れたら気が楽になった」

「そういう気楽じゃないよ!?」

「それよりほかに見たい動物は?」

「う~ん……。じゃあ――」


 そのとき。


「くしゅっ!」


 と、七海さんはくしゃみをした。


 俺は息を呑む。


「大丈夫か!?」

「え? ただのくしゃみ――」

「寒いか? 安心しろ。ユニ○ロのライトダウンを持ってきてる。これを着ればいい」


 俺はリュックからダウンの入ったポーチを取り出して渡した。


「あ、ありがとう。でも――」

「まさかアレルギーか!? でも安心しろ。マスクを持ってきてる。ほら」


 リュックのポケットからマスクを出して渡す。


「あと、のど飴と点鼻薬もある」

「う、うん」

「あ、すまん。それよりまずティッシュだな。鼻セ○ブのポケットティッシュが――」

「……ふふっ」


 七海さんが不意に笑った。


「え、なに?」

「やっぱり黒森くんだなあって」

「? はい、黒森ですが……?」


 七海さんはくつくつと肩を揺らす。


 よく分からないが楽しませられたようだ。檻の中のチンパンジーも、はしゃぐ人間たちを見て今の俺みたいな気持ちになっているのかもしれない。






 その後、七海さんは体調を崩すこともなく、無事に動物園を回ることができた。


 次のプラン――軽食のために俺たちは繁華街へと移動した。


 この近くにオーガニックカフェレストランがある。激務で身体を壊したオーナーが脱サラして始めた店で、そのテーマは『健康』。これほど七海さんにぴったりの場所があろうか。


「こっちだ」


 路地に入ると目的の店が目に入った。一軒家の一回部分を改築して作られたこじんまりとしたレストランだ。


「落ち着いた雰囲気の店だろ?」

「へえ~……、黒森くん、おしゃれなところ知ってるんだね」


 俺もつい数日前までは知らなかったがな。必死に探したのだ。その努力が実り、俺はちょっと得意な気持ちになる。


「さあ、さっそく入ろ――」

「あれ? でもこのお店、閉まってない?」

「へ?」


 ドアノブに手をかける。しかし開かない。というか、ドアにしっかりと『closed』の札がかかっている。


 俺はフリーズした。


「黒森くん……?」


 七海さんの心配そうな声。


 俺は糸が切れたように膝から崩れ落ち、地面に手をついた。


「黒森くん!?」

「俺は、無力な人間だ……!!」

「そこまで!?」

「いい感じの店を見つけて浮かれ、定休日を確認するのをすっかり失念していた……。この詰めの甘さ……、やはり俺なんか暗い森に帰ったほうがっ!」

「ちゃんとおうちに帰ろう?」


 七海さんは俺のそばにしゃがんだ。


「わたしはこういうのも楽しいと思うけどな」

「嘘だろ? 痛恨のミスだぞ?」

「そこまでじゃないよ。明日にはもう笑い話だよ」

「笑い話……」


 話す人も頼る人がいない俺にとって、ミスはミス以外のなにものでもなく、そんなふうに考えたことすらなかった。


「別のところに行こう? そこのご飯もきっとおいしいよ」

「……」


 俺はぽかんと七海さんを見つめた。


「な、なに?」


 彼女は照れくさそうに髪をいじる。


「いや……。そうだな、行こう」


 俺は立ち上がり、膝を手で払った。

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