第3話 トントン拍子すぎて怖い

「一緒に帰ろう!」


 ホームルームが終わり放課になったとたん、七海さんが小走りに駆け寄ってきてそう言った。


 教室が『ざわっ』とした。


「やっぱり」「え、やっぱりって」「朝の――」「中庭で――」「バレー部の奴らが噂して――」


 いろんなひそひそ声が聞こえてくる。俺はしばし天を仰いでから七海さんに言う。


「人目を気にしてほしいと指摘したはずだけど」

「でもこれは告白じゃないよ」


 教室が『ざわっっ』とした。


「七海さん」

「はい」

「これがサッカーならイエローカードだ」

「やった、まだ退場じゃないんだ」


 ――ポジティブ……。


「じゃあ一緒に帰ろう」

「うん、レッドカード」

「なら二試合目開始。――あ、一試合出場停止だから三試合目か」

「いや、もう活動停止処分」

「なら野球やろう」


 ポジティブの無間地獄か。


「……時間が欲しいって言ったはずだけど」

「それは告h――」


 はっと口を手で押さえる。


「じゃなくて、アレの件でしょ?」


 いまさら感がすごい。


「まあそうだけど」

「わたしのこと知らないって言ってたし、ちょうどいい機会」


 たしかに判断材料が欲しいとは思っていた。


「――分かった」


 教室のあちこちから「おお」という声が聞こえた。


 ――なんの歓声だ。


「よっし!」


 七海さんは拳を握った。


「急いで帰ろう! ――あ、今のなし。急いで準備して、で、ゆっくり帰ろう」

「鞄持ってないみたいだけど」


 七海さんは空っぽの手を見て「あ」と声をあげ、照れ笑いをした。


「絶対に黒森くんを逃してなるものかって思って」


 ――こえーよ。


 飢えた子を抱えた親ライオンのモチベーションだ。


 七海さんは小走りで自分の席に鞄を取りに行った。


 ――なんで俺に執着を……?


 この唐突で激しいアプローチにはやはり違和感がある。一緒に下校することでその一端でもつかみたいところだ。


 俺は急いで授業道具を鞄に詰めた。





「黒森くんの家ってどのへん?」


 隣を歩く七海さんが先ほどからひっきりなしに質問してくるので、こちらから情報を引き出すことがまったくできていなかった。


「この橋を渡りきってもう少し行ったところ」

「そうなんだ。じゃあ次は――」

「な、七海さんの家は!」


 俺は強引に質問をねじ込む。


「わたしの家? ええと……」


 少し言いよどんだあと、観念したように言う。


「この橋の手前の路地を入ったところ」

「なぜ渡ってきた!?」

「気づかなかった」

「そんなわけあるか……!」

「そんなわけないよね」


 天然、というわけではなさそうだ。


「も、もう少し一緒にいたかったから……」


 消え入るような声。


 ――これは……、そうか!



・もう少し一緒にいたい

・まだ帰りたくない

・帰りたくない事情がある

・家庭になにか問題がある



 まさか七海さんも俺と同じで家庭環境が複雑なのか?


 気持ちは分かる。寝泊まりする場所はあっても、そこは『家』ではなかった。でも子供である俺には逃げ出すこともできない。八方塞がりだった。


 俺は立ち止まり、七海さんを見る。


「な、なにその切ない感じの顔」

「俺たちがもう少し大人だったらな……」

「え?」


 七海さんははっとして、大慌てで否定した。。


「違うよ!? そういう変な意味じゃないからね!」

「分かってる。もし嫌じゃなかったら俺の家に来るか?」

「本当に分かってる!?」

「大丈夫、親はいない。いろんな意味で」

「いろんな……?」

「こういうのは早いに越したことはない」

「ええ……? 進んだ考え方……」

「まあいろいろ経験してきたからな」

「結構意外……」


 七海さんはしばし黙りこんだあと、言った。


「その……、まだちょっといろいろ心の準備とかができてないというか。嫌ではない――、というか将来的にはそういう感じになりたいし、むしろ毎日でもどんと来いっていうか――。い、いや! 本当に毎日は無理かもだけど、気持ち的にはということで……、って、わたしなに言ってるんだ……」


 しどろもどろだし顔は真っ赤だ。


「まあ無理にとは言わない」

「うん、少し待ってもらえると」


 七海さんは両手で顔をぱたぱたと扇ぐ。


「は~……。今日は負けちゃうかもなあ」

「なんの話だ?」

「ゲーム」

「ゲーム?」

「毎日の習慣なんだよ。パパと」


 ――ゲーム? パパと?


 どういうことだ? さっきの会話と整合性がとれていない。これじゃあまるで家庭に問題がない、どころか仲よしみたいじゃないか。


 はっ、そうか。


「負けたら家を追い出されるとか?」

「そんなペナルティの重いやつじゃないよ!? ただ対戦するだけ。サッカーのテレビゲーム」

「? ――ええと。傷つけたら申し訳ないんだが、今の話だと家族と仲がいいように聞こえる」

「みんな仲いいよ。なんで傷つくの?」

「じゃあ本当にパパさんと仲よくゲームをするだけ……?」

「そう。ちなみにわたしの七百十四勝三十六分け八敗」

「パパさんの根性エグいな!?」

「八敗はわたしが体調不良のときだから不戦敗」

「実質負けなしかよ……」


 むしろパパさんに同情せざるを得ない。


 というか家族仲がいいならさっきまでの会話はなんだったんだ。


 頭の中で時間をさかのぼり、反芻する。


 大人、変な意味、家への誘い、進んだ考え方、経験。


 ――……あ。


 まさか。


「誤解だ!」

「な、なにが?」

「俺は断じて経験豊富などではない! いや皆無だ!」

「……へ?」

「もちろん変な意味で家に誘ったわけでもない。というか告白を保留しておいて、どんな鬼畜の所業だ」


 七海さんはぽかんとしたあと、くすくすと笑った。


「信じてくれ……!」

「もちろん。――なんか安心したかも」


 よかった。俺はほっと胸を撫でおろす。


 しかしその後、お互い照れくささのせいで沈黙の時間が流れた。


 ――気まずぅ……。


 なにか話すことはないかと頭の中の引き出しを開けるがなにも見つからない。


 ――あ、一個だけある!


「そ、そういえば、妖精さんって知ってるか?」

「妖精さん?」

「なんか生徒会の仕事を手伝ってくれるらしい」

「へえ、黒森くんってそういうの信じるんだ?」

「いやまったく信じてはいないんだけど、実際に委員会がやろうとした仕事が事前に終わってるらしい」


 七海さんはちょっと考えたあと、なぜか悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「わたし妖精さん見たことあるかも」

「え!? ――あ、ああ、でも、そうか。そうかも」

「? どういう意味?」

「七海さんはしょっちゅう妖精さんを目撃してそう」

「わたし不思議ちゃんじゃないよ!?」

「ああ、うん。ほんと……、ははは」

「否定してくれない……!?」


 七海さんはショックを受けたようだった。自分が天然である自覚のないところがマジもんの天然っぽい。


 ともかく、このやりとりで緊張がほぐれたのか七海さんがまた饒舌にしゃべりだした。井伊野に感謝だ。


 そんな調子で会話をしながら歩みを進め、橋を渡りきったところで七海さんはぴたりと立ち止まった。


「じゃあ、切りがいいからここまで。一緒に帰ってくれてありがとね」


 敬礼のような仕草をし、いま来た道を戻っていく。しかし何度も振りかえってはぶんぶん手を振るから、俺はなかなかその場を離れられない。


 シルバーカーを押した御婦人がまぶしいものでも見るみたいに目を細めて、そんな俺たちの様子を眺めていた。


 七海さんは黙っていても目立つのに、あんなアグレッシブに行動をしたら目立って目立ってしかたがない。


 しばらく手を振ったり振られたりを繰りかえし、ようやく彼女の姿が見えなくなった。


 俺は大きく息を吸った。


「どういうことだ!!」


 びくりとした御婦人は「青春の叫びね……」とつぶやき、俺の横を通りすぎていった。


 青春……。そうだろうか。リアルな青春ならもう少し障害があるべきじゃないか。現状、不幸だった男子が可愛い女子に惚れられた以上のことが起こっていない。


「絶対おかしい……!」


 シリアスラブコメであれば、ヒロインがいきなり好意を示してくるパターンの場合、家庭――両親かそのどちらかへの反発や、逆に逃避であることが多い。とくに父親は主人公とヒロインの、最初に乗り越えるべき壁になりがちだ。


 しかし七海さんの家庭環境は良好。ゲームの戦績を聞いたかぎりパパさんが悪い人とも思えない。というかめっちゃ良い人そう。


 ではいったいなぜ俺に告白したのか。きっとまだ気づいていない裏の事情がある。明日以降も七海さんの観察を続けていかねば。


 ふと見上げると空が薄暗くなりはじめていた。


 暗い夜空は苦手だ。帰る家がなく、お寺の境内で夜を明かした数日のことを思い出してしまう。


 俺は目を伏せたまま家路を急いだ。

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