逢桜遺文

鷹羽 玖洋

一、はじめに

 この文は書状として直接藩侯はんこうへ奏上するものではない、という点をしたためておく。これは万一、私の帰還が叶わず終わった日のため、自ら我が家へ言伝てたものにすぎないこと。

 もし長らく我が消息が絶え、上様よりのお申しつけについてお城より喚問のよしあれば、事の次第を私にかわり嫡男、咲次朗さくじろうに申し開きさせるよう取り計らうように。そのさい、いかにお伝えすれば家とおたなを守れるかをまず第一と心得るよう、しかと申し伝えておく。

 世にあやしの事象は数あれども、百聞は一見にしかずとはよく言ったもの。

 こたびの買付けに先立ち、私は先々代藩主の弟君、浪平隼人正なみひらはやとのしょう様の著した旅日記『月は朦朧もうろう』を拝読した。それは植木商としての私の習い性だけでなく、古来より歌に名高き怪異の都の、伽羅薫煙きゃらくんえんにくゆる薄羽衣、小路こうじに手招く蠱業師まじわざしの枯れた指先、また蛍売りのひそかな灯火、とりわけ煌めかしい闇の雅に惑わされぬためでもあった。

 だが、かの大君のおわします洛都らくとは、私のような凡夫が思い描く以上に絢爛豪華、かつ複雑怪奇、この世に二つとない奥深き都であった。

 数限りない天守楼閣がそびえ立ち、大店おおだなの屋根屋根に睨みをきかせる、風雨にれた金箔張りの鬼神や狛獅子。大路おおじをゆく人々の衣装は優美にして醜美に飾り立てられ、裳裾に縫いとられた銀鈴ぎんれいの音、艶夢えんむにも似た金襴きんらんのひらめきがいざなうように、試すように、方形街の絡み合った支道、脇道の闇底へと消えてゆく。月光に濡れそぼる黒銀のいらかの幾重にも連なる街並みは、まさに川霧と謎に満ちた本州最古の都としてふさわしいものであった。

『月は朦朧』の題辞に、詠み人知らずの今様いまようが一部、献ぜられている。


幾百の辻また小路に有象無象うぞうむぞう妖魅ようみを抱え、

幾千の小祠御堂しょうしみどう八百万やおよろず神霊みたまを宿す、

豊葦国とよあしこくけの洛都らくと迷霧めいむのうちなる魔について――


 まこと明けの洛都とは、白塗りに薄墨眉うすずみまゆの堕落した貴族だけでなく、饐えた水路の暗がりに走る痩せ鼠や幸福な酔っ払い、命知らずの武士もののふや肥えた僧侶や金歯の商人のものだけではなかった。

 これより記すのは、私がいかに熱意を持って、上様のご要望を果たそうと尽力したか。いかにして愚かにも最初の買付けを、一人の若くさかしい夜盗やとうに騙されたかの経緯だ――いや、騙されたといって、洛都の習いを学ばせてもらった面もあったのかもしれない。

 ともかく何が起きたかを簡略に記すものである。ただし、その内容がどれほど奇異に思えたとして、白面九尾の狐にけて私はかたく誓っておこう。

 洛都の辻占つじうら甘露丹かんろたん、白拍子の胡蝶の鞠香炉まりごうろ、黒衣の尼僧の金色附子こんじきぶすや、およそその類いの陶酔のまじない薬には、私は決して、決して手出ししなかったことを。

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