第43話 面倒な騎士 その1

「エルノ王国へようこそ」


一週間以上森の中を彷徨い、やっとの思いで見つけた国の入国審査で魚の頭の形をした兜を被る兵士にそう言われたあの瞬間は、目の前が晴れたような気分でした。


その日は雲一つない晴天で、国の外では頭が茹で上がりそうでしたが、至る所にある川や噴水のおかげで、少し身震いするくらい涼しかったのを覚えています。


普段なら街並みを観察して中に入っていくのですが、その時はもう、お腹が減ってどうにかなりそうだったので、私は会う人すべてに商業区の場所を聞き、走ってそこへ向かいました。


並ぶお店の前を、肉にしようか、魚にしようかと行ったり来たりしていると、香ばしい私の大好きな香りがしたので、私はその香りのするお店に吸い寄せられるように入っていきました。そうです、もちろんパン屋さんです。私はパンには目がないのです。


そして、出来立てアツアツのパンの入ったほんのり温かい紙袋を抱えて、どこで食べようかなと考えながらお店から出て、少し歩いて角を曲がろうとしたとき、誰かにぶつかりました。


ガシャンと大きな音を立てながら後ろにひっくり返っていったので、私は謝りながら倒れた人に駆け寄り、その人の身に着けている鎧を見て思わず「あっ」と声が出てしまいました。その鎧というのは、この国の門番が身に着けていた、貝殻の裏のような光沢のある白にうっすら虹色が見えるような鎧に、細かい金色の装飾が施されているといったもので、このパン屋さんに来るまでに沢山ほかの兵士とすれ違いましたが、明らかにこの人の鎧だけ立派というか、上等といいますか。とにかく位の高い兵士だと一目でわかるものでした。


倒れる兵士を前に逃げようか、いやでも逃げたら後が、と葛藤してその場を右往左往していると肩にカシャンという音とともに重い手が掛けられました。恐る恐る後ろを見るといつの間か立ち上がっていた兵士が私を見下ろしていて、ちょうど太陽の光で逆光になり、狼頭の兜の顔にうっすらと影がかかっているのを見たときは「あっこれぼこぼこにされる」と直感的に思いました。


「あぅ、あぇ、な、なぁんでひょうか」


こんな感じに、緊張で変に声が高くなり、明らかに自分が悪いのにそんなことを聞いてしまい、今のは聞くべきじゃなかったと後悔をしながら狼頭と見つめ合っていると、私の肩から重い手がふわっと浮かび上がり、禍々しい狼の兜を私の目線まで下げると「君、来てもらえるかな」と言いながら兜の奥から覗く、冷たく光る紫色の瞳で私を見つめてきました。


声を聞いて「この人、女の人だったんだ」と思っていると、腕をぐんと引っ張られ、そのまま私は半ば強引に引きずられながら連れ去られ始めました。


「あっ、あの!」


ずるずる引きずられながら彼女のほうを無理やり見上げ、声を掛けますが返事はありませんでした。


ああ、兵士の機嫌を損ねてしまった。きっとどこか路地裏とかでぼこぼこに殴られるのかなと思いながらまるで川を流れる丸太のように流れに身を任せ、引きずられながら変わっていく景色をぼんやりと眺めていました。どうせこの国に居れなくなるならと思い、流れる景色を肴にパンを食べていると、人々が引きずられる私を見ながらくすくすと笑っていました。


笑いたければ笑え、いつか粗相をすればこうなるぞと心の中で笑う人々に唱えながら私は引きずられていき、ピカピカで綺麗な白いレンガの家を見て手入れが大変そうだなとか、金色のツタが絡まったような凝った装飾の魔力灯が並んでいるのを見てお金かけてるなと思っていたり、噴水の横を通った時には水しぶきで顔が濡れて服の袖で顔を拭いていると、水遊びをしていた子どもたちに後ろ指…いや、この時は正面指を指されましたね。


パンを食べ終わりそうな頃、急に空が見えなくなり薄暗いトンネルの中を引きずられていました。パンを食べ終わり、お腹の上のパンのカスを払おうと思った瞬間、首根っこを掴まれて持ち上げられました。


「ぐぇ」


首吊り状態になり、もがき苦しんでいると椅子に座らされ、大きく深呼吸をしながら解放された首を撫でました。すると、狼頭の兵士が私の前に椅子を置き、「ふー」と息を漏らしながら座りました。


逃げ道はあるかなと周りを見ると、どうやら訓練場に連れてこられたようで、周りには綺麗に手入れされた木の剣と棒の先に布を巻き付けた練習用の槍がずらっと武器棚に並べられていて、この国はちゃんとしているなと感心していました。それと同時に、奥に並べられたボロボロの人の形を模した大きな藁人形見て、自分も今からあれと同じになるのかと身震いしながら自分に防御魔術をかけていました。


まあ、少なくともあんな風にはなりたくなかったので、早急に話をつけて、せめて罰金で済ませてもらおうと狼頭の兵士の方に向き直ると、その兵士が一生懸命にガチャガチャと音を立てて兜を外そうとしているんです。正直、笑いをこらえるのに必死でした。


笑ったら殺される、笑ったら殺される。


そう何度も心の中で唱えながら奥歯で下の側面を噛んでいると、やっと兜が外れました。そして、彼女の顔を見てぶん殴られたような衝撃が私を襲いました。兜の下からは私と同じくらいの美少女が現れ、兜を床に置いた彼女は「ふぅー」と息を吐くと、香水でもない甘い花でもないいい匂いが私の方へと運ばれてきました。白に近い黄金色に染まった肩ほどの長さの髪を耳にかけ、腕を組み、少し前かがみになるとその明るい紫色の瞳で私の顔をじっと見ながら微かにはにかみました。


その顔を見て、きっと私をどんな方法で痛めつけようかと考えているんだなと思いながら自分に防御魔法を重ねていると「君、強いよね」と少女は言いました。


「え、いや、何のことやら…」


私が遠回しに否定すると、少女は「いや!絶対強い!何よりもこの私が吹き飛んじゃう位だもん」とケラケラと笑いながら前髪を掻き上げると、急にハッとした表情をして自己紹介を始めました。


「私はキャロル、見ての通りこの国の兵士!よろしく!」


キャロルはそう言うと手を差し出してきました。


「私は、マチです…」


これだけ笑顔で自己紹介をするなら殴られなさそうだなと思いキャロルと握手をすると、彼女は籠手を外し、両手で私の手を揉み始めました。


何か変なところがあるかと聞くと「やっぱり君、強いだろ」と子供がおもちゃでも見つけたかのような目で私の手をまじまじと眺めていました。


ぶつぶつと何かをつぶやきながら自分の手をこんなに観察されていると、さすがの私でも恥ずかしくなり、手を引っ込めようとした時、武器棚の奥にあった扉からぞろぞろと兵士が出てきました。そしてキャロルと私を見るや否や「キャロルまたかよ~」と皆口々に言い始め、あっという間に私たちを囲みました。


「この子はかなりの逸材だぞ!」


キャロルが私の手を握りながら周りの兵士たちに言うと、彼らは「またいつものが始まった」という表情をしていました。


「今回は本当にすごいんだ!」


キャロルがそういうと彼の中からぽつりと「何がすごいんだ?」と言葉が飛んできました。


「この子…マチは、こんなにちっこいのに私がぶつかってもビクともしなかったんだ。むしろこの私が吹っ飛ばされて、最初は壁か岩にでも当たったのかと思ったよ」


そうキャロルは笑いながら、とても女性に使う言葉じゃないことを言ったので少し腹が立ちましたが、まあ、私はこの子に比べて大人なので、寛大な心で許してあげました。


キャロルの言葉を聞いて、周りの兵士たちは「ほー」「この子がねぇ」「魔術師じゃないのか」と疑いの目を向けてきましたが、キャロルが何度も何度も私のことを岩だの大木だのトロールだのと言い続けた結果「キャロルが言うなら」と半ば強引に納得させられていました。


周りの兵士が納得したのがわかるとキャロルは両手で手を強く握り、私の視線まで顔を下げてきて。


「君、剣を握っていたことがあるよね!」


と期待の眼差しで私を見つめてきました。私は、数百年程使っていた時期があったがもう振り方すら忘れたと言うと、キャロルは嬉しそうに「はーっさすがエルフだ!」と笑顔で頭を押さえました。


このあたりで私は「あ、めんどくさいな」と思い始めていましたが、逃げたら何をされるかわからないうえに、気に障ってしまってこの国全体に追われるなんて嫌だったので黙って言うことを聞こうと思っているとキャロルが私の手を引いて立ち上がりました。


そのまま訓練場の中央に連れていかれ、キャロルがいつの間にか持っていた木製の剣渡され「よし、勝負しよう」と眩しい笑顔で言われました。


何をいっているんだこの小娘はと思いましたが、周りの兵士達も乗り気のようで、なぜか私を応援している人が沢山いました。


周りを見渡し、歓声を上げる兵士たちを見てから前を向くと、キャロルが剣を構えいて、うずうずしていたので試合を始めることにしました。

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