第42話 虫の国

初めて読めない文字があったんです。


誰が作ったかわからない、森と平原の間に敷かれた石の道を進んだ先の地面に、地中に向かって大きな穴が開いていました。雑に整備されている穴の横に、看板が刺さっていて、そこにまったく見たことのない字が書かれていたんです。


最初は何かの店か、それとも何かの暗号かと悩んでいましたが、考えれば考えるほど頭が熱くなり、頭を水に突っ込みたい気分になっていました。


そのまましばらくその場で看板を睨み付けていると、がやがやと人の声が聞こえたので近くの草むらに隠れました。


草むらに飛び込み、顔を出すと、ちょうど五人の男性が穴の中へと笑って会話をしながら穴の中へと入っていきました。


服装も普通の人のようで、冒険者や商人、野盗の類にも見えなかったので、少し後ろを追って、私も穴の中に入っていきました。


魔力灯の青白い光で照らされる洞窟の中を進んでいくと、先に入っていった五人組が見えてきたので足を立てないように後を付けました。どこまで続くんだと思っていると、曲がり角を曲がって彼らの姿が消えました。


この洞窟自体、所々枝分かれになっているので、ここままだと迷ってしまうと焦った私は彼らを見失わないために走りました。ちょうど彼らが曲がったところを曲がろうとしたとき、急に人が出てきてぶつかり、私はしりもちをつきながらぶつかった人を見ると、さっき前を歩いていた五人組のうちの一人でした。


「ほら、やっぱり誰かいたでしょ?」


私がぶつかった男性はそう言って、後ろにいる残りの四人に振り返りました。


立ち上がり、服についた土を払っているとぶつかった男性が「君、もしかしてここはじめてなの?」と笑いかけてきたので「はじめてってなんですか?」って私は質問に質問で返しました。すると彼は「看板に書いてあったろ?」と私の後ろを指しました。


看板が読めなかったなんて言いたくなかったので、看板は見たと伝えた後「この先にはなにがあるんですか?」と聞くと、彼は「んー」と何かを一瞬考えた後、自分の目で見た方がいいと言って、手招きをしました。


彼らの後ろについてしばらく歩くと、洞窟の出口が見えてきましたが、奥からの逆光が強く、真っ白で何があるのかは見えませんでした。そのまま洞窟を出て目が慣れ、周りが見えるようになった瞬間、私は驚きで思わずわあと声が出てしまいました。


沢山の人で賑わっていて、何よりも驚いたのは巨大な宝石、しかも一つや二つじゃないんです、壁から何から、上から下まで全部カラフルでギラギラと輝く宝石でした。正面と左右に道が分かれていて、どこを見ても先が見えないほど続いていました。宝石は所々に穴が開いていて、その中から大きな虫が出てくるとほかの穴へと入っていったり、背中に人を乗せて壁を移動したり、飛んでいる虫もいます。


綺麗で痛いほど明るいこの場所は、まるで巨大な地下都市のようで、心が躍りました。


その場に立ち尽くし、目の前の異常な景色を眺めていると肩を叩かれました。振り向くとさっきのぶつかった男性が「じゃあ、あとはあそこの人に聞いてね」と言って人込みへと消えていきました。


彼が指さした方には、この場所には似合わない木で作られた小屋が建っていて、私がその小屋を眺めると扉が開き、中から大きなバッタが出てきました。


それもただのバッタじゃないですよ、シャツとズボンを着て、二本足で立って歩いているバッタです。


彼を最初に見た時、怖い夢の中のような異様な感覚になり、のしのしと私に近づいてくる彼を見つめて固まってしまいました。


「おう、虫人族は初めてかい?」


目の前のバッタは、港町の人のいい漁師のおじさんのような鼻にかかるような剽軽な声で言葉を発しました。


「ターだ、ここの案内役をやってる、よろしくな」


そう言いながらターさんは、トゲトゲ前足を差し出し、大きな鳥の鉤爪のような手をぎしぎしと動かしました。見た目は怖いですが、話し方と仕草でこの人は大丈夫だと思えたので、彼の大きな鉤爪の先を握って上下に振りました。


「ターさんっていうんですね、驚いてしまって申し訳ありません。私の名前はマチです」


「いやぁ、いいんだいいんだ、みんな初めは同じ反応さ。それでなんだ、アヂ?」


「マ、ですマ」


「マ?」


「そう、それです」


「マヂ?」


「そうです!」


私も名前を言って、最初はちゃんと発音できてなかったんですが、何度も教えるとしっかり私の名前を言えるようになりました。


それじゃあ宿まで、とターさんが言ったのをきっかけに、私たちは宝石の建物が並ぶ道を歩き始めました。ターさんは大股でぐんぐん歩くので、私は彼の横を小走りで着いていると、そんな私に気がついたターさんは足を止めて、すみません、と言って人混みの中で頭を下げてきたんです。


「すまねぇな、気をつけて歩くよ」


「いえいえ、大丈夫ですよ」


カリカリと頭を掻きながら謝ってくるターさんが罪悪感を感じないように、私は冷静を装って浅く息を吸って彼に答えました。


「しかし、すごい所ですねここは」


四方八方どこを見ても、キラキラと光る穴の空いた角ばった宝石の家がそこら中に建っていて、上を見れば壁の家から反対側の壁の家へと、巨大な棒のような虫人が自分の体を橋代わりにして、人間や他の小さな虫人を歩かせています。周りをくるくると見ながら歩いていて、何度も転びそうになりましたがとてもやめる気にはなりませんでした。それほどあの景色が珍しかったんです、今度場所を教えますね。


それで、そのまましばらく歩いていると「止まって」とターさんが急に言ったので、何事かと前を見るとトゲトゲの彼の腕に顔をぶつけました。いや、刺さったの方が正しいですね。すごい痛かったです。


血が出てないか手で撫でて確認をしながら前を見ると、ちょうど目の前を体が長い虫人が背中に沢山の人を乗せて、沢山生えている細かい足をカサカサと一生懸命動かして目の前を通る瞬間でした。


周りの人達のように、私も物珍しく眺めていると、急にターさんが腕を上げて振ったんです。


「ウトさんお疲れ様」


するとそのウトさんという虫人は一度その場に止まり、顔だけこちらに曲げて「オツカレ」と言うと、前を向いて「アブナイ、ドケロ」と繰り返しながら進んでいきました。


「よし行こう」


再び進み始めたと思うと、ターさんは「あっ」と言って私の方を向きました。


「マヂ、さっきター悪いことしたよな?」


「悪いこと?」


「ほら、マヂを走らせちまって」


「え、いやそんな、全然気にしてないですよ?」


「いや、悪い事したら詫びをしろって教えられたからな、ここの一番の店に連れてってやる」


「えぇ…」


そのまま私はターさんに驚くほど優しくあの鉤爪で手を握られ、そのまま半ば強引に引きずられるように歩いていました。おそらく私の事より、何かお詫びをしたいという気持ちが先走ってしまったのでしょう。


悪い気はしなかったので流れに身を任せていると、一軒の宝石の家に辿り着き、そこで手を離されました。そこで私は、もう散々見飽きていたはずのギラギラと輝く塊に、初めて目新しさを感じたんです。おっきな看板が、人が出入りしている場所の上に掛かっていたんです。この商店街のような場所を散々歩いていましたが、初めてですよ、この、お店です!みたいな場所は。


もちろん、看板の文字は読めませんでした。


ほぼ壁にめり込んでいる宝石の塊なので、店内は狭いのかなと思っていたんですが、中は思っていたより広く、奥まで掘り進んでいるお陰で途中から岩になっていました。


人で溢れかえった店内を、親が子供を連れて歩くように手を引かれて奥に進み、少し恥ずかしい気持ちになりながら奥のテーブル席へと座りました。周りの視線が痛かったです。


それから間も無くして、テーブルの上に巻かれた紙がカサっと音を立てて降ってきました。上を向くと、子供ほどの大きさの黒い虫人、いや、蟻です、大きな蟻が可愛いリボンのついたフリフリのエプロンをお腹に巻いて、後ろ足だけでぶら下がっていました。ウェイターさんですね。


「ご注文は」


少女のような声で彼女がそう言うと、ターさんがキシィーカシャシャみたいな感じで音発し始め、ウェイターさんも同じようにキシャシャシャ音を発し始めました。多分虫人族の言葉だと思います。


最初は虫人族の言葉だと少し興奮しながら聞いていましたが、結局何を言っているのかわからないのでつまらなくなり、その時初めてちゃんと店内を見渡しました。


周りはほとんどの席が埋まっていて、どの席にも大体人が座っていました。冒険者のような格好の人もいれば、商人のような格好の人もいて、一番多かったのは普通の格好をした人達でした。おそらく、ここまでの道が整備されていたので、近くにそこそこ大きな街か国があるんじゃないですかね。


天井を見上げると、メニューを聞きに来た蟻と同じ見た目の虫人が沢山歩いていました。ちょうど宝石の天井と岩の天井の真ん中辺りに大きな穴が開いていて、そこから 沢山の蟻の虫人が出入りしていて、あの奥でどうやって調理をしているのか覗いてみたかったです。


「ご注文は以上ですか?」


上からそう聞こえたので正面に座るターさんの方を向くと、彼はウェイターさんに棒を渡していて、彼女はその棒を受け取ると一瞬私の顔を見てから大きな穴に向かっていきました。


「その棒状の物はなんですか?」


興味本位で私が尋ねるとターさんは小さな袋を取り出し、ジャラジャラと30本くらいの棒をテーブルに広げました。


「これはル、あれだ、人間で言えばお金だ」


「虫人族にも通貨の概念があるんですね」


「あぁ」


するとターさんは、細い棒を尖った鉤爪で器用につまみ、3種類の色ごとに並べました。


「緑が1ル、青が10ル、黒が100ルだ」


とにかくその「ル」を触りたかった私は、彼の説明に「へー」と適当に返事をして、鮮やかな青の棒を一本手に取りました。ツルツルしていて硬く、かといって程よく柔軟性あり木の皮程脆い感じはしません、金属や鉱石の類の様には見えず、なんか触ったことあるし見たことがあるなと思いながらまじまじとそれを観察しましたが、何かはわかりませんでした。


「これ材質はなんですか?」


「んぁ、それは死んだ奴らの体だよ、ほらターみたいにみんな硬いだろ」


ターさんはそう言いながら自分の顔をコツコツと二回、鉤爪の先で叩きました。


その話と彼の行動を見て背中に虫が這うような感覚になり、いつだか訪れた場所で、人間の骨を輪切りにして中をくり抜き、リング状にした物を通貨にしている国を思い出しました。


静かに手に持っていたそれを列に並べ直し、テーブルから手を下ろして彼に見えないように、最低限の動きで服で手を拭きました。


「あれ、もういいのか」


「はい」


一本ずつ袋にそれを戻す彼の後ろのテーブルで、大きなステーキを食べているの人を見てそういえば何を頼んだのか彼に尋ねました。


「ここの一番人気をたのんだから来てからのお楽しみだ」


「じゃあ楽しみにしてます」


そう言って私は、何が来るのかなと考えながら周りのテーブルを眺めていました。薬草の葉を盛り合わせたお皿に、何かわからない金色のツヤツヤしたソースがかけられているサラダや、果物を串焼きにしたもの、大きな肉塊に齧り付いている人もいました。


どの料理が多いかと他人のテーブルをジロジロと見ていると上から「お待たせしましたー!」と元気のいい男の子の声が聞こえ、声のする方を見上げると上からお皿が降りてきていました。そして私は、そのお皿の上に乗っているものを見て、口を開けたまま凍りつきました。


明るい灰色の塊、何か既視感があるなと思ったら、あれです、家とかを建てる時に使うちょっと硬めの粘土の色違いです。指で突くと跳ね返ってくるほど弾力があり、粘度とは違って指に粘りつく様な感じではありません。


「何かの冗談ですよね?」


半笑いで私がそう言うとターさんは首を横に振ってこれに齧り付きました。


私には粘度の塊にしか見えないそれを、ターさんはバクバク食べていくので、食わず嫌いは良くないかなと思って、ブチっとその塊をちぎり、一口だけ食べてみました。


食感は火にかけ過ぎてまる焦げになった肉のようにグニグニしていたのですが、驚いたことに味はとても良く、果物の様な優しい甘さがうっすらあり、木の実のような穀物のような風味がありました。


それがあまりにも美味しくて、さっきより大きめにちぎって口に運び、気がつけば両手で持って、もしゃもしゃとターさんの様に齧り付いていました。


美味しい美味しいと思いながら無我夢中で食べているとあっという間に食べ切ってしまい、お皿に残った最後のひとかけらまで食べ、ターさんにとても美味しかったと伝えました。


「口に合ってよかった」


「はい!とってもおいしかったです!ところでこれはなんですか」


「これは軟鉱で虫人が大好きな食いもんだ、宝石の周りにあるからみんなここみたいに集まるんだ」


「軟鉱、初めて聞きました!」


その後、満足した私はターさんと一緒にお店の外に出て余韻に浸っていると、本来の目的を思い出しました。


「あの、そういえば宿屋さんってどこですか?」


ターさんは一瞬なんのことだかという顔をして、顔の横をカリカリと掻いたあと「あっ」と言って私の後ろを指差しました。


「そうだそうだ忘れてた、宿屋はそこだ」


振り向くと、まあ見た目は変わらない穴の空いた宝石の建物があり、こっちは宿屋なのに看板はありませんでした。


「それじゃあターはこれで、あの小屋にいるから、帰る時に気が向いたら声かけてってな」


そう言って歩いていく彼の背中に手を振り、少し寂しい気持ちになりながら宿の中へと入っていきました。


部屋を取るのは驚くほどすんなり終わり、すぐに部屋に通されました。こういうところは人間も見習った方がいいと思いながら扉を開けると、ギラギラの部屋の中にポツンと不自然に普通なベッドが置かれていました。


この地下都市、最初は綺麗だなと思っていましたが、その頃にはいい加減目が疲れていていたので、少し寝てから他の場所を回ろうと思いベッドに潜りました。


この輝く落ち着かない部屋ではなかなか寝つけなさそうだなと思っていましたが、気がつけば次の日になり、店主さんに起こされるほど眠ってしまいました。

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