第32話 女神

 その日、私達は噂で聞いた聖なる泉を求め、森の中を進んでいました。


「マチ、本当にこの辺にあるの?」


「はい、ここら辺に…ん?」


「どうしたの?」


「静かに…」


 何かが聞こえた気がし、耳を澄ますとかすかに人の声が聞こえました。


 しかし、私の耳ではどの方向から聞こえてるかがわからず、おそらく私より耳のいいアミスターに頼ることにしました。


「アミスター、音のする方向を特定できますか?」


 私がそう言うと、アミスターは一瞬驚いた表情をした後、嬉しそうな顔をしました。


「うん!任せてマチ!」


「ふふ、頼もしいです」


 アミスターは尻尾を振りながら前傾姿勢で耳に手を添えて、集中して耳を澄まし始めました。


「………」


 時間が経つにつれ尻尾の揺れがだんだんと小さくなり、集中しているのが目に見えて分かりました。


 そして、ついに尻尾が止まるとアミスターは手を下ろして、私の方を振り向きました。


「アミスター!分かりましたか!」


「音のする方向…」


「はい!」


 アミスターは涼しい顔をしながら辺りを見渡した後、私の目を見てゆっくりと口を開きました。


「ごめん…わかんない…」


「えっ」


「なんなら、なんも聞こえない…」


「ええ…」


 何度も謝りながら落ち込むアミスターを宥めつつ、とりあえず歩くことにしました。


「ごめんねマチ…」


「大丈夫ですよ、気にしないでください」


「うん……ん?マチ、なんかいい匂いするよ」


 するとアミスターは「こっちから匂いがする」と言って右を指差しました。


「野営している冒険者でしょうか?」


「そこまでは…」


「そうですか…じゃあアミスター、案内お願いできますか?」


 私がそう言うと、アミスターは明るく笑いながらうんうんと首を縦に振りました。


「こっち!」


「アミスター、もう少しゆっくりでお願いします」



 しばらく歩き続けていると私の鼻でもうっすらと香ばしい香りがわかるくらいになってきました。


「いい匂いですね」


「うん…」


「冒険者の方に会えたら泉のことを…ん?」


「どうしたのマチ?」


「何か話し声が聞こえます、それもかなりの人数です」


「え、私には聞こえないけど…」


 大人数なら野盗や賊の可能性もあります、それに森の中なら尚更可能性は高い、リスクを負ってまで泉に行く必要も…。


「アミスター、あまり良くない相手の可能性もあるので少し離れましょうか…ってあれ?アミスター?」


 気が付くと、さっきまで横にいたアミスターが居ませんでした。


「まったくあの子は…」


 私はそのまま、声のする方へと走っていきました。


「アミスター!アミスター!」



 彼女の名前を呼びなが走り続けるとだんだん声はしっかりと聞こえてきました。


「はあ…はあ…」


 疲れて立ち止まった茂みの向こうからはっきりと喋り声が聞こえ、お金の取引をしている内容まで聞こえました。


「ふぅ…よしっ」


 息を整え、音を立てないようにゆっくりと茂みを抜けるとそこには、泉を囲むように沢山の屋台と、大勢の人間がいました。


 この光景に困惑し、立ち止まっているとアミスターが何かをもぐもぐと食べながら駆け寄ってきました。


「まひ、ほれおいひいよ」


「の、飲み込んでから喋りなさい」


「んっんっ…はあ、マチ!ここのご飯美味しいよ!」


「そ、それはいいんですけど、ここはなんですか、後お金は…」


 アミスターは手に持っていた串に刺さったお肉を頬張り、飲み込んでから話し始めました。


「よくわかんないけど、タダだったよ」


「ええっ?」


「ほらこっち」


 アミスターは私の手を掴んで一つの屋台の前へ行くと、屋台の店主さんと楽しそうに会話を始めました。


「おじちゃん!おいしかったよ!」


「おお、嬢ちゃん!そりゃあよかった!ほらっ、もう一本どうだい?」


「ありがとう!あ、後この人になんでタダで配ってるか説明できる?」


「おう、いいよ!」


 店主さんはそう言って一本の串を私に差し出してきました。


「お母さんかい!」


「いや、母というか…なんというか…」


「ここはな!女神様のおかげでみんな食い物にも住む場所にも困らねえんだ!」


「女神様?」


「ああ、女神様は美しい人で…あっほら!あれが女神様だ!」


 店主さんが指差す先を見ると、煌びやかなドレスを身に纏った、神々しいオーラを放つ女性が人々に囲まれていました。


「綺麗な人…」


 私が見惚れていると、その女性と目が合い、ゆっくりと優雅に歩きながら私達の前に立つと優しく笑いかけてきました。


「初めまして旅のお方、私はこの泉の女神、名をブーゼと言います」


 この女神、確かに神々しい雰囲気はあるのですが羽がないのが気になります、一旦話を合わせておきましょう。


「初めましてブーゼ様、私の名前はマチ、この子はアミスターと言います」


 私が挨拶を終えると、ブーゼは目をうるうるとさせ口に手を当てました。


「辛かったですね…」


「……はぃ?」


 思わず少し失礼な反応をしてしまいました。


「いえ、隠さなくてもいいのですよ…夫に暴力を振るわれ、幼い娘を連れて安息の地を求め旅を始めたのですね…」


「いや、ちが…」


「大丈夫ですよ、私…いや私達は貴方の味方です!」


 すると周りの人々が「俺たちは味方だぜ!」「さすが女神様慈悲深い!」など称賛の声を上げています。


「あ、え…」


「そしてこの子、精霊にとても愛されていますね」


 そう言いながらブーゼはアミスターの頬に触れたので、私は彼女の手を退け、アミスターを抱き寄せました。


「あら、怖がらせてしまったようですね、でも大丈夫ですよ」


 そしてアミスターの頭に手を乗せました。


「この優しき子に女神の加護を…」


 女神の手が光ると、その光はアミスターの中に入っていき、彼女は眠ってしまいました。


「…っ!お前!アミスターに何をした!」


 私は女神を睨みつけながらアミスターを強く抱きしめました。


「私はただ、彼女のためを思ってやっただけですよ」


「誰も頼んでないだろ!」


 アミスターに声をかけながら頬を軽く叩いていると目を覚ましました。


「マチ…」


「アミスター!」


「精霊の声が聞こえるよ…マチ…」


「えっ」


 そのアミスターの言葉を聞いた人々は「女神様の奇跡だ」と言って私達を囲みました。


「あなた達もここに住みましょう!」

「ここなら安全だ!」


 そう言いながら抱きしめているアミスターを私から引き剥がそうとする人々から必死で彼女を守っていると女神が私に手を差し伸べてきました。


「安息の地はここよ、みんなで幸せになりましょう?」


 ここは危険だ、そう感じてアミスターを抱えながら女神を押しのけて全力で森の中を走りました。


「マ…マチ…頭が…」


走っている途中、アミスターは頭を抱えながら唸っていました。


 普通、考えればわかるでしょうが、今まで聞こえなかった大量の精霊の声が聞こえ始めたら、私ならまだ耐えれるかもしれませんが、よりによってこんな小さな子に…。


 そのまま私は町の教会まで走り、事情を全て伝えて意識が飛びました。



「マヂィ…マヂィ…」


 私の名前を呼ぶ声で目が覚めるとベットで寝かされており、横を向くと、ボロボロと涙を流したアミスターが腕にしがみついています。


「アミスター…」


「マチ!起きたの!」


「ここは…」


「ちょっと待ってて!」


 涙を拭いたアミスターはどこかへ走り去っていき、しばらくすると慌ただしく神父と修道女を連れて部屋に入ってくると、私の体をベタベタと触り始めました。


「あ、あの…ここはどこですか…」


 神父に聞くと、彼は驚いたような表情をして、すぐに普通の顔に戻りました。


「二日前、あなたはこの獣人の子を連れてこの教会に来ました」


「は、はあ……二日!?」


「はい、この子の容態はそれほど悪いわけではなくすぐなんとかなったのですが、あなたは傷だらけで、とても体力を消耗していて、正直に言うと命が危なかったんです」


 神父の言葉で全て思い出し、私に抱きついて泣き叫ぶ彼女の頭を撫でながら謝罪の言葉を言いました。


「ごめんなさい、アミスター」


「いいの…いいの…」


 その後、アミスターは泣き疲れ、そのまま私の膝の上で眠っていましました。


 神父さんによると、アミスターは私が目を覚ますまで、泣き疲れては寝てを繰り返していたようです。


 アミスターが目を覚ましたらここを出発することを神父さんに伝え、彼と修道女が部屋を出て行った後、私も彼女と一緒に再び眠りにつきました。

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