4-7「忘れられたい。」

「あ。有明さん……、先週ぶりですね」

「はは、敬語じゃなくてもいいって。同い年なんだし」

「……じゃあ、今は仕事じゃないし。そうさせてもらおうかな」

「俺が消えるまでの間、仲良くしようよ」


 有明は、現在僕と成瀬さんが受け持っている高橋の恋人であり、再来週のうちにデータ消去が決まっている人物でもあった。彼にそのことは伝えていない。データ消去のことを住民に教えてはいけない決まりになっているのだ。それにもかかわらず彼が消去のことを察しているのには理由がある。


 僕と成瀬さんは、高橋との面談があった数日後、ふたりでこの有明という男の元へ足を運んだ。依頼人の言葉が感情的で、一時的な衝動で動いているのではないかと判断したためだ。


「凪は元気にしてる?」

「うーん、どうだろう」


 有明誠士郎は背の高い男だ。ここがもし現実世界だったら、見上げすぎて首を痛めていたに違いない。バーチャルヘヴンに痛覚が再現されていなくてよかった。


「……やっぱり僕は、伝えるべきだと思う。有明くんが考えてること」


 有明はおもむろに腕を組み、固く目を閉ざすと、「んー」、低い声で唸った。


「復元した恋人に新しく好きな女ができた」というのが高橋の訴えていた不満の内容だ。しかし、実際のところはそうではなかった。有明がその言葉を発した目的は、彼女を自分から遠ざけるためだったらしい。


「『俺のデータを消して他にいい人を見つけろ』って言っても聞かなかっただろうし」

「簡単に諦められるなら、きっとバーチャルヘヴンに復元してないと思うよ」

「それもそうだね。でも、凪には高いお金を払って過去に執着するより、きちんと前を向いて、未来のために生きてほしい」


 有明は、自分は生者に関与するべき存在でないと考えているようだった。高橋は一年間、ずっと彼に縋ってしまっていた。死者に固執することは、そのときは救いになるかもしれないけど、長い目で見れば人生がそこで停滞してしまっているとも言える。


「……有明くんはすごいと思う。そんなに相手のことを考えられるなんて」

「いや、俺も前まではずっと一緒にいたいと思ってたよ。でも、他の住民と話してから考えが変わった」

「他の住民?」

「うん。中学生くらいの女の子」


 どきりとした。脳裏に優菜の顔が浮かんで、離れない。


「何、話したの?」

「その子は、『自分は忘れられたい』って言ってた」

「忘れられ……たい……」

「うん。それを聞いて、自分は死んだってようやく気づけた。俺はもう過去の存在なんだよ。凪はまだ生きてるのに、いつまでも自分のそばに置いて、情けないなって」


 はは、と有明が笑う。その寂しそうな雰囲気と重なるみたいに、道路に沿って植えられた木々がざわざわと音を立てた。


「……あのさ、僕はいま、幼馴染を探してるところなんだ。でも、会ったときにどんな顔をすればいいかわからない。どうすればいいかな」

「もしかして、俺が話した子かな? 背が低くて、四つ葉のキーホルダーを付けた……」


 やっぱり、と思った。有明が話した人物とは優菜のことだったらしい。「優菜と会ったんだ」、僕が言うと、彼はすこし困ったように笑った。


「名前はわからないけど、他にも探している人がいたから。バーチャルヘヴンの社員によく尋ねられるんだ、見なかったかって」


 優菜はこの一帯で、少し、有名らしかった。四つ葉のキーホルダーを身につけた、ひとりが好きな女の子。有明は優菜のイメージをそう語った。未だにキーホルダーを付けていることが意外で、そして胸の奥から湧き上がるような感情があった。


「俺は自殺じゃなかったからよくわからない。でも、そんな特別なことではなかったのかもしれないね」

「特別じゃない……?」

「追い詰められている人からしたら、生死は大きな問題じゃない。いつ終わるのか、そもそも終わるのかすらわからない苦しみを、断ち切るっていう選択肢があること自体が彼女にとっての特別だったんじゃないかな」

「……僕は、優菜がどうしてその選択をしたのか、よくわからない」

「俺は身近にいたからね。凪にとっては俺の存在自体が救いになっていたんじゃないかな。俺を復元させるくらいだしね」


 仕事をこなす上で、死者に縋ってしまう人を何度も見てきた。僕も、優菜のことを忘れられずにいる。死は境界線なのかもしれなかった。失って初めて大切さに気づく、という言葉のとおりだと思う。優菜が死なずに僕の知らない場所で生きていたら、これほど後悔や憂鬱に身を焼かれることはないはずだった。


「大事な用事の途中に時間を取って悪かったね。俺はこれで」

「あ、最後にひとつ訊いていい?」

「うん。俺が答えられるものなら」

「有明くんは自分の存在をどう思ってる?」


 質問をしたあとで言葉足らずだったかと思ったが、彼は僕の意図を汲み取ってくれたようだった。「難しいね」、頭を掻きながら呟く。


「俺からしてみれば『自分は本人だ』と言えるし、感情も思考もはっきりとしてる。人工知能って言われてもぴんとこない。でも、どちらにせよ、本来はもう存在しないんだ。僕は凪にとって、過去になるべき存在だと思う」

「わかった。ありがとう」

「あの女の子は、もう少しすれば丘の公園に現われると思うよ」


 有明に礼を言い、僕は再び目的地へと足を進めた。


 高台の上にある公園は通称「丘の公園」と呼ばれ、丘陵状になった土地のてっぺんにベンチとぶらんこがあるだけのつくりをしている。ここからは歩いて五〇〇メートルほどだ。坂道や階段があるから通常よりも時間はかかるだろうが、そのぶん早く歩けば問題はない。


 自分は過去になるべき存在と割り切れることはすごいと思う。でも、人は何かに縋らなければ上手く生きていけないような気もしている。一方で、死者を心の拠り所にし続けていては前を向くことができない。藁にも縋る思いでバーチャルヘヴンを利用した人はどうしようもなくなってしまう。高橋はおそらく、そういう人間だった。その先に希望があるとは限らない。


 丘の公園の入口は草木が生い茂っており、その先からはこれまでの人工物が完全に姿を消してしまっていた。昼間は憩いの場として機能しているこの公園だが、夜になるとその喧騒とはかけ離れた表情を見せる。街灯がないことも、その鬱々とした雰囲気に拍車をかけていた。


 公園内には、広場に続く急な階段がある。近くに街灯はなかった。足を踏み外してもこの世界で怪我をすることはないが、暗い階段というのは無意識に神経をすり減らすものである。仮想空間という性質のおかげなのか、いくら段差を昇っても息が切れることはなかった。


 階段を登り切った先にはひらけた空間があった。木と木が重なるように連なっている向こう側に、地上の街並みの、人工光できらきらと輝いている様子が広がっている。この空間にある光はもちろんすべて人工的なものだが、街から漏れる光はたしかに、夜景と呼ぶのに相応しかった。僕はその光景に見覚えがあった。


「……あ」


 ベンチに、ひとつだけ人影があった。枯葉の絨毯を踏みしめながら、ゆっくりと歩いていく。


 最初の一言を何にしようかずっと考えていた。待ち望んでもいたし、ずっと会わなくていいような気もしていた。「久しぶり」とか「元気?」とか、ありきたりな言葉ばかりが浮かぶ。どれを選んでも、すべて悪い結果にたどり着くような気がしていた。

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