3-4「煙草と灰と、休憩と。」
桐原との面談を終えてオフィスへ戻る途中、成瀬さんは「先に戻っていろ」と言い残すと、僕を置いて廊下の先へ歩いていってしまった。おそらく面談の書類を提出しに行くのだろう。
彼女の背中を見送ってからちょうどやってきたエレベーターに乗るとき、すぐ近くにあるガラス張りの喫煙ブースで、ひとり煙草を吸う桐原の姿を見かけた。彼もこちらに気づいたようで、嫌な笑みを浮かべながら僕を手招きしている。溜息が出そうなのを抑えながら、彼の要望どおり、喫煙ブースへ向かってやることにした。
喫煙ブースは二メートル四方のちいさな空間で、壁に隣接している以外の三面はすべてガラス張りになっている。「椅子でも置いといてくれたらいいのに」と部長が嘆いていたことをなんとなく思いだした。
自動扉をくぐった先は、ひどく凝縮された煙草の匂いがした。
「どうしたんですか」
「付き合えよ、一本」
桐原は悪事を企むみたいな笑みを浮かべながら、セブンスターと書かれた煙草を一本僕に差しだしてきた。仕方なく煙草を受け取り、同時に渡されたライターで先端を炙ってみる。火は思うように付かなかった。
「なにやってんだ馬鹿。火は吸いながらつけるんだよ。花火じゃねえんだ」
「……知らないですよ、喫煙者じゃないんだから」
「なんだ、最近の若いモンは煙草も吸えねえのか」
彼の馬鹿にするような表情には腹が立ったものの、ここでそれを口にして契約を取り逃したら困るため、「ありがとうございます」とだけ言ってライターを返却するに留めておいた。桐原は何も言わずに受け取った。火をつける際に咽せてしまったことを馬鹿にされたのは言うまでもない。
「なあ。お前、どうしてここで働いてるんだ?」
「えっ?」
あまりの脈絡のなさに、つい素っ頓狂な声が出た。ここで働いている理由。企業の「残された人の心の拠り所になる」という考えに賛同したとか悲しんでいる人を救いたいとか、「それっぽい」回答ばかりが頭に浮かぶ。
踏み込んで考えてみても、自分はただ流されるままこの企業に就職したという以外の回答が見つからなかった。
「たまたま受かったからです」
彼に対して、建前というものは何の意味も持たない。その直感はきっと間違っていないはずだ。桐原は破裂するみたいに噴きだしたあと、「いいねえ」、また悪巧みするみたいに笑った。
「桐原さんこそ、どうして自腹で死者を復元しようとしてるんですか」
「決まってんだろ。それが正しいと俺が思ったからだ」
桐原は吸い終わった煙草を灰皿に落とし、シャツの胸ポケットから煙草のパッケージを取りだした。新たに咥えた煙草を、僕よりずっと馴染んだ手つきで点火する。口から吐きだされた煙は、天井の換気口に吸い込まれていった。
「正しい、ですか」
「そんなことより聞かせろよ、噂のこと」
今度は好奇心に溢れた子どものように桐原が言った。ころころと表情を変える人だな、と思う。とはいえ表情の基盤が悪事を働くような笑みであることに変わりはない。色気のない泥臭さ、みたいなものが顔に貼り付いてしまっているようだった。
「噂?」
「あ? しらばっくれんじゃねえよ。株式会社バーチャルヘヴンの社員はみんな、家族やら恋人やら、親友やら……。誰か大切な人を亡くしてるって噂だよ」
この人は他者との境界線を持っていないのかもしれない。人の心に、土足どころか泥だらけの靴で上がり込んでくる。「知らないです」語尾が強くなるのも仕方がない。
「お前はどうなんだ?」
「はあ?」
「誰が死んだ?」
煙草というのは、ある程度吸わないと燃え尽きるまでに時間がかかってしまうようだった。面談のときも思ったことだが、彼には人に共感する能力が備わっていないのだろう。そうでなければ、復元した死者から証拠だけ聞いてデータを消すなんて方法、思いついても実行しないはずだ。
態度や言葉が人にどのような心理を与えているのか、おそらくこの男は理解できていない。その点、僕は臆病者だ。失敗したとき人にどう見られているのかを気にして、自分の意見を口にすることができない。しかし、人を不快な気持ちにさせるくらいなら、臆病者でいるほうが何倍もマシだ。
煙草はまだ半分以上残っていた。しかし貰い物だからといって、律儀に最後まで吸ってやる必要はない。灰皿に押し込んで、おい質問に答えろという彼の言葉に無視を通し、踏みだした足にセンサーが反応して自動ドアが開いたとき、「俺はなあ」、桐原はこれまでのどれとも違う声色でそう言った。声に引っ張られ、つい後ろへ視線が移動していく。表情には先ほど同様、企みごとをしているような笑みが浮かんでいた。
「俺は娘を喪ったよ」
「……え」
「あー、いい。慰めの言葉がほしいわけじゃねえよ。お前が訊いてきたことに答えただけだ。俺は、娘の死が正しいとは思えねえ。だから今、正しいと思うことは全部実現させてやろうと思ってんだよ。遺族を救うために真実を追究することは正しいだろ?」
彼が持つ煙草の先端には長い灰がくっついていて、今にも崩れてしまいそうだった。
彼が莫大な金額を払ってまで真相を探ろうとしている理由は、たしかに理にかなっている。残された者たちを救う。やろうとしていることはバーチャルヘヴンも同じだ。しかし、そうなると、それはそれで新たな疑問が浮かび上がってくる。
「……答えてくれてありがとうございます。でも、それだったら、復元した少年を遺族に会わせてあげたほうが手っ取り早くないですか?」
「は? 何言ってんだ」
「え、だって息子さんに会ったほうがご両親も――」
僕の言葉を遮るように、桐原は目を丸くして言った。
「お前、仮想空間のヤツらが人間だとでも思ってんのか?」
「え、いや、そういうわけじゃ」
「馬鹿だな。人工知能は人工知能だ。記憶を持ってるだけじゃ本人とは言えねえよ」
言葉に詰まった。彼らが人工知能であることに変わりはない。しかし、改めて言われると、たしかに、死者たちを人間として認識している部分もあった。
バーチャルヘヴンの住民は、ENT技術で死者の脳から記憶を読み取って分析し、人工知能を軸に人格を復元したものである。記憶には「エピソード記憶」というものがあり、これは物事の一連の流れに関する記憶であるが、ENT技術ではこの際に引き起こされる感情の流れまでも再現することができる。
山中夫婦の息子に会ってみて感じたことがあった。話し方や表情は人間のそれとほとんど変わらない。記憶、人格、感情。この三つが揃っているのに、その存在が人間と同等ではないと片付けることができなかった。
「お前が仮想空間の死者に縋ってるんだとしたら申し訳ねえが、あれは人間とは言えねえな。記憶を読み込んだAIが死者のフリをして生活してる。誰もそれを否定できねえ。人間は信じたいモンを信じる生き物なんだよ。お前はそう信じたいだけだろ」
「たしかに人工知能でしかないのかもしれませんけど、でも、感情もあって……」
「じゃあ、こうしよう。今からお前の記憶をコピーして、お前の毛から作ったクローンに埋め込んでやる。そうしてできたお前と今のお前、どっちが本物だ? お前が偽物だと思っているほうも、お前と同じ記憶を持ってんだから自分を本物だと思っている。仮想空間の死者はそれと同じだ」
広い目で見れば、彼らを形作っているものはコンピューター上で行われる「0」と「1」の処理でしかない。読み込まれた記憶データを人工知能が学習し、受け答えを行っているだけだ。
オフィスに戻っても頭のなかはすっきりしなかった。成瀬さんには「仕事をサボって煙草休憩なんていい度胸じゃないか」と怒られた。
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