3-3「鈍痛の昼下がり。」

 社長が優菜の父親であると確信を得たわけだったが、当然のことながら、それによって僕に社長と話をする機会が訪れるというわけではなかった。いや、厳密に言えば、僕は社長に会うための行動をしてはいたのだ。しかしそれらはすべて不発に終わることとなった。


 一日のうち社長に会える可能性があるのは、出勤前と退勤後、それから昼休みの三回だ。まず昼休みだが、僕がオフィスを出て社長室に到着するころにはすでに「外出中」の札が下げてあり、どこか社長室の外で昼休みを過ごしていることが窺えた。加えて定時の時間には決まってどこかへ出ているようで、この時間に見かけることも叶わない。


 出勤前と出勤後、これに関しては早い時間に来たり遅くまで残ったりして社長室の前を張ることもできるが、他の社員から怪訝な目で見られるだろうし、なによりそこまでして社長に会う理由があるかと言われれば別にそういうわけでもなかった。


 優菜の死をどう捉えているか。成瀬さんにそう訊かれたことがある。僕は別に優菜が自殺した理由を知りたいわけではない。ただ、優菜のことを忘れて生きるのに失敗して、情けないことに、何かあるごとに彼女のことを思い浮かべさせられているだけだった。


 強いて言えば、僕を恨んでいたのかを知りたい気持ちはある、かもしれない。


 よく考えてみれば、自殺の相談さえしなかったであろう父親に、僕の話をするとは考えがたかった。娘の幼馴染として採用してくれはしたが、おそらく名前を知っている程度の認識でしかないだろう。僕だって社長の顔をはっきり覚えているわけではない。


 だからきっと、僕は、優菜の生きた軌跡みたいなものに触れ続けていたいだけなのかもしれなかった。順路に沿って進んでいった思考が、「遠ざかろうとして生きているのに軌跡を辿るなんて矛盾しているじゃないか」という場所にたどり着いたところで、やっぱり僕は思考を放棄した。


 仕事に関係のないことで頭を悩ませるのはよくない。


 この日は十四時から、新しい依頼者との面談が入っていた。前回のように感情移入しないためにも、できるだけ悲観的な思考を排除しておく必要がある。いや、今回の依頼に関してはそうする必要はないのかもしれない。


 応接室へ向かうとき、先に立ち上がった成瀬さんが口にしたのはやはり「時間だ、付いてこい」という言葉だった。


 依頼人として部屋で待機していたのは、桐原利運という刑事だった。予約票によると年齢は五十二歳で、今回バーチャルヘヴンに復元したい人物は、彼とはなんの関係もない十七歳の少年らしい。成瀬さん曰く、「捜査に使うんじゃないか」とのことだった。


 実のところ、公的機関がバーチャルヘヴンを利用する例は、過去の記録を遡ってもそう多い話ではない。この会社で五年近く働いている成瀬さんも刑事を相手にするのは初めてだと言っていた。


「――俺はな、これは自殺じゃなくて殺人だと思ってるんだ」


 桐原はペットボトルのお茶を煽るように飲むと、成瀬さんの顔をじっと見回し、それから視線を僕に移したかと思うと、同じように僕の顔を舐めるように見回した。彼が目を動かすたび、目尻に刻まれた皺がほんの少し変形する。耐えきれなくなって僕が目を逸らすと、桐原は再びペットボトルに口を付けた。


「だから聴取を行うため、相川柊様を復元すると」

「そうだ」


 相川柊が死亡した事件について、検事の下した「自殺」という見解に桐原は納得がいっていないようだった。桐原は少年の死が自殺ではなく、他殺であると信じ切っているらしい。


「このまま裁判が進めば容疑者は無罪になる。証拠が足りねえんだ」

「ENT技術で復元された人物の証言は法的に無効です」


 成瀬さんが淡々とした口調で言うと、「わかってるよ、んなことは」、桐原は勢いよく背もたれに寄りかかった。ぎいい、と椅子の軋む音が冷房の機械音を遮るみたいに響いている。


 バーチャルヘヴンの住民となった死者は、法律的にはコンピューターと同列に扱われている。彼らを生者と見なすことは、公的には不都合なのかもしれない。


「復元した被害者に証拠の場所を訊くんだよ。お前を殺したヤツの証拠はどこだ、って。記憶は再現されるんだろ? 安心してくれ、遺体は検死のために残ってるからよ」

「ご遺体の脳に損傷がなければバーチャルヘヴンに復元することは可能です。では予約票にあったとおり、一ヶ月ぶんのご契約をご検討されているということでお間違いないでしょうか。よろしければそれで見積もりをさせていただきます」

「それでいいから早くしてくれ」


 桐原が雑に言い放つのを聞き、なんて横暴な人なんだろうと思った。


 僕が自殺か他殺かを知る術はないが、どちらにせよ突然蘇って事情聴取をされたのちに、今度は突然データを消去されるなんてあまりにも不憫すぎる。


 そんなことを考えていても、立場上、彼にそれを伝えることはできない。だから僕は彼の目を盗んで軽蔑的な視線を送ってやることにした。彼は最後まで僕の視線に気づかなかった。


 成瀬さんがキーボードを打つたび、見積もりの合計額は空気を吸い込むみたいに膨れ上がっていく。「こちらが見積もり額になります」、成瀬さんがくるりと方向を換えたノートパソコンをのぞき込み、桐原はひとこと、「そうか」とだけ言った。


「企業様もしくは公的機関によるご利用の場合、本部へ領収証や契約書をお送りすることも可能です。ご希望でしたら、こちらにお送り先をご記入ください」

「いらん」


 桐原は気まずそうに頭を掻くと、ペットボトルのキャップを開け、残っていた液体を一気に飲み干した。空になったボトルが音を立ててテーブルに転がる。


「誰が刑事部の依頼だと言った。個人的な依頼だ。察しろ、それくらい」

「それは失礼いたしました。では見積書を発行いたします」


 言葉を吐きだす直前、一瞬だけ成瀬さんが眉間に皺を寄せたのがわかった。個人の依頼、ということは、彼はあの額を自分で払うつもりなのだろうか。


 ENT技術で復元した死者は、捜査において法的にほとんど意味を持たない。証言の信憑性は未だに実証されておらず、「証拠のヒントを訊くために死者を復元する」という彼の方法も、公的機関からしたらグレーな話でもある。さらに、自殺という判断が下された、とも言っていた。それを覆すために公機関が組織で動いているとも考えづらい。


 桐原が高いお金を払ってまで捜査を続けるのには、別の目的があるのかもしれない。しかし依頼人の個人的な事情に踏み込むわけにはいかず、彼が自ら語ってくれるわけでもなかったため、桐原が何を思ってこのような依頼をしたのかを面談中に聞くことはなかった。

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