2-6「縋ること。」

「バーチャルヘヴン」という仮想空間は、中央に本社が設定されており、そこから半径約一キロメートルの円柱状に空間が構成されている。街並みは本社に近いほど栄えていて、反対に遠ざかるほど田舎のような雰囲気を醸しだすようになっている。

 この仮想空間において、復元された死者はNPCのような立ち位置ではなく、ひとりの人間として生活している。


 彼らには味覚や嗅覚まで再現されているようだった。正確には記憶痕跡によって人工知能にそう捉えさせているだけらしいが、本人がそう感じているのならどちらにせよ関係はない。


 コンビニやスーパーマーケットなどの施設で、住民たちは食料品や娯楽品を買い込むことができる。バーチャルヘヴンは、名前のとおりの「仮想天国」、つまりは死者たちの生活の場になっているのだ。


 高度な人工知能によって再現された彼らには僕たちと同じように意識があるとされているし、エンターテインメントに対する欲求もしっかりしているらしい。


 この世界にも経済の仕組みがあり、住民には、毎月充分に生活できるだけの額が支給されている。死者に空腹は存在しないため、支給金は娯楽につぎ込まれることが多いようだ。一応仕事の場があり、その働きに応じて給料が支払われるものの、働いているのは希望者だけである。


 本契約から約一ヶ月の間、僕の仕事は記憶読み取り業者との打ち合わせ、それから次の委託先への引き継ぎなどがメインだった。それから、届いたデータをバーチャルヘヴン内に落とし込む作業も僕たちの仕事だ。このあたりは大学で受けた、仮想空間開発の講義が上手く役に立ってくれた。あのジメジメとした四年間も、実は無駄ではなかったらしい。


 立ち会いの日、来客用のチェックインルームへ向かうとき、成瀬さんの声かけはやはり「時間だ、付いてこい」という囚人向けの言葉だった。彼女には看守の才能があると思う。


 バーチャルヘヴンにチェックインする用の機械については、買い取りとレンタルを好きに選ぶことができる。金銭的に余裕がある場合は買い取りを選ぶ人が多いものの、余裕があっても使い方が覚えられないために、係員の補助が付くレンタルを選ぶ人もいるらしい。


 例外として、初回のチェックインは全員がレンタル品を使用することになっている。これは社員が同行するためであり、こちらのほうが操作説明をするのに都合がいい。


 来客用のチェックインルームは応接室と同じ三階にあるため、今回もまた成瀬さんとふたりきりでエレベーターに乗らなければならなかった。いくら職場に慣れても、この空間に蔓延する気まずさは拭えない。なんとかエレベーターを耐えきって向かった先、チェックインルームの前には山中夫婦ともう一人、中年男性の姿があった。


「何度言ったらわかるんだっ」


 男のその怒声を聞いたとき、廊下というのはどうしてこんなに声が反響するのだろうという余計なことが脳裏をよぎって、次に、この呆れたようで悲哀を含んだ声に聞き覚えがあったことに気づいた。


「兄さんを生き返らせても、父さんたちはどうせ執着することになるんだ」

「違う、私はあの会社の悪事を暴きたいだけだ。秀平もこのままじゃ浮かばれない。あいつは会社の仲間を思って働き続けていたんだ」


 言い合いはチェックインルームの扉の前で行われていて、山中夫婦の正面に、ラーメン屋にいたあの男が立っていた。話の内容から、この男が山中の息子であることが窺える。それから、今回バーチャルヘヴンに復元した「山中秀平」の弟であることがわかった。


 通りかかった社員たちは珍しいものを見る目で親子を一瞥し、それから気まずそうにその前を通り過ぎていった。彼らはきっと、幅が三メートルほどしかない弊社の廊下を疎ましく思っているに違いない。


「いい加減、受け入れてくれ。兄さんはもう死んだんだよ」


 男がそう言った瞬間、山中の表情が凍り付いたのがわかった。流石に言いすぎたと思ったのか、男は「いや、俺は……」、何か言葉を続けようとしている。「洋平、お父さんはただ……」夫人の声が虚しく宙を舞って、最後まで吐きだされることなく消えた。


 この場合、企業の立場からして、男を説得するほうが正しいのだろう。これは仕事だ。男を擁護して契約が中断されれば、そのぶん、会社の利益はなくなってしまう。しかし、夫婦が死んだ息子に縋ってしまう未来がはっきり見て取れるようだった。一方で、麺二郎さんが言っていたように、悲しみのなかで何か拠り所が必要なのも間違いない。


 バーチャルヘヴンに復元されたとしても、戸籍上は死者のままだ。当人が死んでいるという事実は変わらない。


「いかがなさいましたか」


 しんと静まりかえった一帯で、最初に声を発したのは成瀬さんだった。山中はハッとしたように顔を上げて、「ああ、お世話になっております」、以前と同じ穏やかな声で言う。それと同時に、山中を遮るように男が一歩、前に出た。


「初めまして。山中洋平と申します。成瀬さん、話は両親から伺っています」

「はい」

「無理を承知でお願いしたいのですが……。今からでも解約させていただけませんか」


 口を開きかけた山中夫婦、それから「解約」と言葉をつい復唱してしまった僕を牽制するみたいに、成瀬さんは「申し訳ございません」と一段階高い声で言った。そうですか、続けて山中洋平が言う。


「山中秀平様の復元はすでに完了しておりまして、返金等はいたしかねます。ただ、仮想空間にチェックインしないというご選択は可能です」

「せっかくここまで来たんです。目の前に息子がいるんです。せめて一目、会わせてくれませんか」


 成瀬さんがそれぞれを一瞥してから「かしこまりました」と返事をして、山中洋平は苦い表情で夫婦を見つめている。僕はやっぱり、ちょうど中間のような顔をしていたと思う。

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