第3話 疾走
人気のない路地裏。陽の光も傾き、陰りを見せ始めた頃。
「はぁ、はぁ、ここまで来ればもう安心だ」
ルーカスは肩で息をしながらそう言い、
「……だと、いいんですけどね」
ジェノは、息を切らさず、冷静に状況を見ていた。
「あぁ、もう、足も限界だ。ちょいと、休憩させてくれ」
よほど疲れていたのか、ルーカスは近くにあった木箱に、背を預けていた。
「お? こんなところに、いいもんあるじゃねぇか。拝借、拝借っと」
木箱を漁り、中から取り出したのは、トマトだった。
ルーカスは、とくに悪びれる素振りもなく、それを頬張っている。
(本当に、この人のこと、信じてもいいのかな……?)
盗み食いをしてもおかしくない状況なのは、分かる。
でも、平気で盗みを働く人を、信じてもいいのか、正直、不安だった。
「……ん? あんたも、食うか?」
そう考えていると、ルーカスは、トマトを差し出してくる。
「あ、いえ。大丈夫です。でも、ここで、休憩するのは、賛成ですね」
疑念を振り払うように、頭を振って、そう答える。
もう少し、様子を見よう。それぐらいの時間はあるはずだ。
「悪いな。もう少し上手く、やつらを振り払えればよかったんだが」
「謝らないでください。狙われてるのを教えてもらってなかったら、今頃……」
「いや、大人として当然のことをしたまでだ。子供を泣かすわけにはいかんからな」
緊張と安心が混ざり合う奇妙な空気感の中で、雑談を交わしていく。
「――しっ。何か、聞こえないか」
すると、突然、人差し指を立て、ルーカスは言った。
耳を澄ませてみると、石畳に響く足音が聞こえた。それも複数。
「まさか、もう……」
頭によぎるのは最悪の想定だった。
足音と共に、押し寄せてくる不安に思わず、声が漏れる。
「あんた一人でも、逃げろ! 俺っちが、囮になる!」
すぐさま、起き上がったルーカスは、ジェノの前に立ち、そう言った。
「できませんよ。見捨てるなんて」
できない。できるはずがなかった。
他人を犠牲にして生き残るのは、悪いことだからだ。
「ここが、いきつけの店か、随分しけたところだな」
そう戸惑っていると、声変わり前の少年のような声が響く。
慌てて視線を前に向けると、黒いローブに、フードを深く被った三人組がいた。
「動かないでもらおうか。死にたくないならな」
その真ん中にいる背丈の低い少年の声が合図となり。
「袋の鼠、というやつだな」
「大人しくした方がいいと思うよ」
背後にいる背丈の高い男女二人が、自動拳銃の銃口を突き付けてくる。
(銃って、嘘でしょ……。あんなもので、狙われたら、ひとたまりも……)
「――ちっ、仕方ねぇ、俺っちが道を作る! その隙に、逃げろ、いいな!」
そう考えていると、ルーカスは、舌を鳴らし、鬼気迫る声でそう言った。
「でも、どうやって」
二人が逃げ込んだ路地裏は、袋小路になっている。
逃げるには、正面を抜けるしかないが、追っ手が逃げ道を塞いでいた。
「こうやってだ」
すると、ルーカスは懐から紅色の草を取り出し、口に含んだ。
「――」
直後、肺を目一杯膨らませ、勢いよく吐き出した。――火炎の息を。
「えっ」
予想外の現象に、言葉を失ってしまう。
「ちっ、猛火草か。いったん避けろ!」
その間にも、火炎は薙ぎ払うように追っ手に迫る。
リーダー格であろう少年が、指示を飛ばし、三人は後退していた。
「今のうちだ、行け!」
「なに言ってるんですか! 一緒に逃げましょうよ」
「さっきの反動で、俺っちはしばらく動けねぇ。だから、見捨てろ!」
ふらつきながら、膝を崩したルーカスは、言った。
そんなことを言われたら、余計、見捨てるわけにはいかない。
「置いていけるわけ、ないじゃないですか!」
ジェノはルーカスの体を抱え、強く言った。
「お、おい、どうして」
「理屈なんてありません。ただ、助けたい、と思ったから、助けます!」
ジェノは必死で駆け出した。ルーカスが決死の覚悟で作ってくれた、逃げ道を。
「くそっ、何してる、さっさと追え」
しかし、当然、背後には、追っ手。足音がすぐそこまで迫っている。
(駄目だ、重い……。このままじゃ、追いつかれる……っ!)
この逃走に、何か策があったわけじゃない。
大の大人を抱えながら、追っ手から逃げ切れるほど甘くはなかった。
「これを……食べろ」
その心情を察したのか、ルーカスは懐から青色の草を震える手で差し出してくる。
「これって――」
「いいから、食べてみろ」
「分かりました。……いただきます」
無作法だろうが、中身がなんだろうが構わない。
それしか選択肢がないのだから。
そうして、差し出された青色の草にそのままかぶりつき、咀嚼していく。
「――うぷっ」
草特有の独特の苦みが口いっぱいに広がり、吐き出しそうになる。
まるで、苦い漢方薬を飲んでいるような気分だったが、必死で飲み込んだ。
「……体が、軽い!? これならっ!」
すると、不思議なことが起こる。
体にかかる負担が、嘘みたいに軽くなっていた。
「――揺れます。落ちないで、下さいね!」
これで、追いつかれる心配はなくなった。
そう確信できるほどの速度をもって、ジェノは追っ手をぶっちぎった。
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