青春時代

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青春時代

 16時に放課すると、俺は野球部の部室へと走って向かう。一年生は先輩よりも早く部室へ来て、グランドまで道具を運んだり、部活の準備をしなくてはならない。だから先輩よりも遅く部室に来るようなことがあってはならない。俺は高校一年の野球部員だ。野球部の中で、一年生というのは奴隷みたいな身分だ。三年生が神だとしたら一年は奴隷だ。体育会系の部活は基本全部そうだろう。一年生には人権が無い。


 俺が呼吸を荒げて一年生の部室に入ると、既に俺以外の一年はほとんど来ていて、みんな超高速で制服からユニフォームに着替えていた。


「お前いつも来るの遅えよ!」


 部室に入ってきた俺を見た野球部員Aが俺に対してそう言ってきた。それに対して俺は静かに反論した。


「うんこしてたんだから、しょうがねえだろ」


 俺は急いで制服から真っ白いユニフォームに着替えて、両手にたくさん道具を持って、グランドまでダッシュで向かった。先輩より遅くグラウンドに来た一年は、先輩に怒られる。怒られたくないので俺は急ぐ。


 部活は大体16時過ぎから始まり、大体21時に終わる。5時間も部活をしてると、クタクタになる。腹が減りまくって、死にそうになる。家に帰るのは大体いつも22時半とかだ。それが毎日なので、野球部は過酷だと思う。毎月部費を支払っているが、なんで嫌なことをやって、さらに金まで払わなければならないのだろうと思う。逆に金を貰わなきゃやってられない。俺に給料を支払え。部費なんて払いたくない。


 その日も、過酷な部活は21時まで続いて、俺は疲れ果ててしまった。他の部員もかなり疲れてるようだった。一年はグランドの片付けをしたり、道具を片付けたりする。なので、グラウンドから部室に戻ってくるのは一年が一番遅い。部室に戻ってくると、他の部員が口々に愚痴を漏らした。


「あー疲れた。俺もう野球部やめようかな!」

「俺もやめようかな。野球が嫌いになってきた。帰宅部が羨ましい。あいつら4時に帰れるんだぜ」

「俺今日三年生にめっちゃ怒られた。早く引退しねえかな。三年みんなうぜえ」


 俺は愚痴を発する元気も残ってなかったので、自分の椅子に座って、無言でスマホをいじっていた。ユニフォームから制服に着替えて、さっさと帰ろうと思っていたら、やがて、ワイワイしていた部室の扉が唐突に開かれた。すると部室が一気に静かになった。


「──山田ってもう帰った?」


 その声の主は、二年生の山崎先輩だった。俺の一個上の先輩だ。山崎先輩は、制服ではなく学校のジャージ姿だった。ちなみに山田とは俺の名前だ。


「あ、まだいます」


 俺は軽く手を上げて反射的に答える。

 すると、山崎先輩はこう言った。


「終電まで自主練したいから、付き合ってくれ。山田が嫌だったら、俺一人でやるから大丈夫だよ」


 俺は1秒くらい迷った後、返答した。


「やります」


 すると山崎先輩は俺の目を見ながら笑顔でこう言った。


「ありがとう。じゃあ待ってるから。さっさと来い」


 そして、山崎先輩は一年の部室の扉を閉めて、去っていった。すると、他の一年が一斉に俺に同情してきた。


「自主練なんて断れば良かったのに」

「山田も可哀想だな。いつも山崎先輩に付き合わされてんじゃん」

「俺だったら絶対断るわ」

「山崎先輩どんだけ自主練好きなんだよ」

「山田はもっと自分の意思を持て」


 俺はユニフォームを脱いで学校のジャージに着替えながら、苦笑いして答えた。


「いや、断るのも悪いかなと思って」


 口ではそう答えたが、俺は実は山崎先輩と自主練してる時間が好きだった。他の部員が制服に着替えてどんどん帰っていく中、俺はジャージに着替えて、バットを持って、山崎先輩のところに向かった。山崎先輩は、ボールがたくさん入ってるカゴを既にネットの所まで運んでいて、真剣に素振りをしていた。俺が小走りで山崎先輩の所まで行くと、山崎先輩はこう言った。


「じゃあ、始めるか」

「はい」


 俺は、いつものように、山崎先輩にトスを上げる。そしてそのボールを山崎先輩がネットに向かって打つ。それをひたすら延々と繰り返す。カゴの中のボールが無くなったら、二人でボールをカゴの中に戻して、また同じことを繰り返す。校庭には、もう生徒は誰もいなかった。俺と山崎先輩しかいない。たった二人だけで練習している。


 山崎先輩とボールを拾ってるときに、山崎先輩が、いきなりこう言った。


「俺さあ、なんだかんだで騎乗位が一番好きだわ」

「へえ、そうなんですか」

「お前童貞?」

「童貞です」

「騎乗位は良いよ、まじで。お前も早く彼女作って騎乗位やれ。彼女作ってセックスしろ。人生観が変わるからさ」


 彼女というワードにアンテナが反応した俺は、ボールを拾う手を止めて、自虐的に答えた。


「うーん……。でも俺のこと好きになる女なんてこの世に1人もいないと思いますよ。ていうか彼女ってどうやって作るんですか。いたことないから作り方わかんない。俺は死ぬまで童貞だと思う」


 すると山崎先輩もボールを拾う手を止めて、俺にこう言った。


「いや、お前のこと好きになる女は絶対いる。お前は顔整っててかわいいし、いつも俺の練習に文句言わないで付き合ってくれるし、心が優しいし、俺が女だったらお前と付き合ってたよ。あと、お前には年上の彼女が合ってると思う。年上で世話好きな女がいいよ。女の母性を刺激しろ。俺みたいな女の子と付き合え。俺は野球部の一年の中で付き合うとしたらお前と付き合いたい」


 こいつホモなのか? と思いながら、俺は黙って山崎先輩の話を聞いていた。俺のことを色々褒めてくれたのは嬉しかった。俺も山崎先輩のことは好きだった。他の先輩と違って、俺にめっちゃ優しいし、理不尽なことでキレたりしない。野球部の先輩の中で俺が唯一心が開けるのが山崎先輩だ。


 山崎先輩は続けてこう言った。


「坂本なんて、お前と比べたら本当にクソみたいな顔と人間性だろ。その坂本ですら彼女いるんだぜ。だからお前なら簡単に彼女作れる。作る気が無いから出来ないだけだよ。作ろうと思えばすぐ出来る」

「そうなんですかね。まあ、でも、坂本に彼女できるなら俺にもできるか」


 俺がそう言うと、続けて山崎先輩はこう言った。


「うん。お前なら彼女なんて簡単に出来る。てか坂本ってクソうざくね? あいつ一年の間でも相当嫌われてるだろ」

「一年の中でもあいつだけはめちゃくちゃ嫌われてます。俺も坂本めっちゃ嫌いです」

「すげえ調子乗ってるよな。俺も坂本は嫌い。あいつだけは無理。坂本は野球部全体から嫌われてるわ」

「一番うざいのは、調子乗ってるくせに野球はめちゃくちゃ上手いところです」


 そう言うと、山崎先輩はすごい納得したような表情を浮かべた。


「そうなんだよ。普通に俺より上手くて腹が立つ。坂本だけにはレギュラー取られたくないわ。あいつには負けたくない」

「頑張ってください。俺も山崎先輩がレギュラーになってほしいです。努力した人は報われるべきだと思う」


 そんな会話をしたあと、再び俺と山崎先輩は自主練を開始した。静まりかえった校庭の中で、山崎先輩の金属バットの音だけが甲高く響いた。


 山崎先輩だけがずっと打っているわけではなく、半々くらいの割合で俺にも打たせてくれる。俺は、山崎先輩がトスしたボールを打ちまくった。


「山田、めっちゃドアスイングになってるよ。もっと最短距離で振れ。ドアスイングだと速いストレートに詰まるよ」

「意識してるけど、昔から全然直らないんですよ」

「じゃあもっと意識しろよ」

「はい」


 しばらく練習してると、あっという間に終電の時間が近くなってきたので、俺と山崎先輩は片付けを始めた。俺は、疲労感以上に充実感を得ていた。1日の中で、山崎先輩と自主練してる時が一番楽しいかもしれない。先輩というより友達みたいな感覚に近い。他の先輩と違って全く緊張しない。


 片付けを終えて、ジャージから制服に着替えて、山崎先輩と喋りながら駅まで向かった。駅に着くと、山崎先輩がこう言った。


「腹減ったな。すき家行こうぜ。今日も遅くまで自主練付き合ってくれたし、全部おごるよ」

「いいんですか? ありがとうございます。めっちゃ腹減った〜」


 山崎先輩と駅前にある牛丼チェーン店に向かう。先輩は、牛丼をおごってくれた。


 先輩は、すき家の店内でも延々とセックスの魅力について語っていた。先輩が童貞を卒業したのは、つい最近のことだ。セックスってそんなに素晴らしいものなんだろうか。俺達は野球の話なんて一切しなかった。セックスの話しかしなかった。俺は死ぬほど腹が減ってたので、大盛りの牛丼を3つ頼んだ。山崎先輩のおごりだから食いまくってもいいと思った。自分の金だったら、こんなに食わない。先輩のポケットマネーだからこんなに食っている。


 支払いを済ませて店を出て、駅の改札を抜けて、駅のホームに立って、電車を待つ。秋の寒い風が俺の頬を撫でる。


 山崎先輩が「見て、こいつが俺の彼女。ブスだろ」って言ってスマホの画面を見せてきた。そこには山崎先輩の彼女が写っていたが、本当にブスだった。「かわいいですよ」とお世辞を言うのも嫌だったので、「そうですね。ブスです」と正直に言った。すると山崎先輩は、笑いながら「てめぇふざけんなよ! 人の彼女バカにしやがって! でも山田が言うなら正しいわ。人間は顔じゃなくて性格って言うけど、やっぱり顔だわ。そろそろ別れようかな。でもヤリ捨てみたいになるのも嫌なんだよな」と言った。


 そうしてるうちに、電車が来たので、電車に乗った。田舎の終電なので、中はかなり空いている。まばらに人が乗っているだけだ。


 揺れる電車の中で俺と先輩が並んで座ってると、その向かいの席に、1人、女子高生がいた。目を閉じて寝ていたので、俺たちの存在には気づいていない。


 すると、先輩が小声で俺に言う。


「あの子かわいくね?」

「かわいいです」


 やがて、先輩はその女子高生に、スマホの画面を向けた。まさか盗撮するんじゃないかと思ったが、ガチで盗撮していた。


「あの女の子盗撮した」

「盗撮はやばいっすよ……」

「写真送るわ」


 やがて、俺のスマホが小さく振動した。山崎先輩からLINEで、女子高生のパンツが見えそうで見えない写真が送られてきた。脚がエロかったので、俺はその写真を無言で保存した。


「なに保存してんだよ」


 と、山崎先輩が笑った。俺も笑った。






 〜10年後〜






 暇で虚無な時間が延々と続くほど苦しいことも無い。かと言って、何か新しいことを始める気力も無い。何も始まらず、何も終わらない、もどかしい堂々巡りの日々を送っている。辛いことは酒と薬とタバコで忘れてしまう。そんな日々を送っているうちに、気が付けば俺は26歳の無職フリーターになっていた。気付けば迷宮に迷い込んでいた。若さを浪費するだけ浪費して、腐った脳が映し出す世界や人々は腐っている。今更、何と戦えばいいのか。俺は茫洋とした絶海の孤島に一人佇んでいる気分である。


「俺は今年中に自殺したいです」


 高校時代、野球部だった時に一番親しかった一個上の山崎先輩に、俺は電話でそう言った。自殺の意思を伝えてから20秒くらい空いた後、山崎先輩は淡々と答えた。


『俺の経験上、死ぬ死ぬって言う奴は大抵死なないからお前は大丈夫。死なないよ。死ぬって宣言する奴に限ってなかなか死なねーから。だからお前は死なない』


 たしかにそうかもしれないと俺は思った。


「でも、もう生きてたってしょうがないです。色々どうしようもない。死ぬしかない」

『お前ってまだ26歳だろ。まだ死ぬことねーよ。ていうか、なんで死にたいの?』


 なんで死にたいのか聞かれて、俺は言葉に詰まった。そういえば俺はなんで死にたいんだ。言葉にしようと思うと難しい。言葉に詰まった俺は、話題を逸らした。


「山崎先輩もフリーターじゃないですか。俺と大してレベル変わんないですよ。今後の人生どうするんですか?」

『どうしよう。知らねー。まあ、適当に生きるわ。俺は』


 なんとなく、俺は手元にあったタバコにライターで火をつけた。タバコの煙を吐いて、俺は笑って言った。


「27歳でフリーターはやばい。おわってるじゃないですか」

『うるせーな。お前よりマシだわ』


 俺は手元にあった缶チューハイを開けて、ごくごく飲んだ。冷えてて美味しい。


「俺はもうどうしたらいいのかわからないんです。先輩」


 俺が適当に呟くと、先輩はしばらく時間を空けて、諌めるような口調でこう言った。


『お前さぁ、どんなにつらくても自殺だけはするなよ』


 俺がタバコ吸いつつ、無言で缶チューハイを飲んでいると、先輩は続けてこう言った。


『誰にも言ってなかったけど、去年、俺の弟が首吊って自殺したんだよ』

「え、そうだったんですか」

『うん。誰にも助けを求めないで、誰にも悩みを相談しないで1人で死んじまった。俺は今もめちゃくちゃ後悔してる』


 俺は何を言っていいのかわからなくなって、黙っていた。俺は、途端に、自分がひどく軽率な人間に思えた。


『だからもうこれ以上、俺の大切な人間に死んでほしくないんだよ。俺のわがままかもしれないけどさ。お前、性格的に俺の弟と少し被るところがあるから、本当に死ぬような気がして怖いわ』

「……分かりました。自殺はしません」

『なぁ、お前どうせ暇だろ? 久しぶりに一緒にメシでも食いに行かねえ? 俺が奢ってやるからさ』

「あ、行きたいです。でも今回は俺が奢りますよ」

『なんで?』

「高校時代、先輩にいつも牛丼おごってもらってたから」

『懐かしいな〜。あーあ、あの頃は良かったなぁ。戻りてえよ』

「“あの頃は良かった”なんて、そんなおっさん臭いこと言わないでくださいよ。俺たちの人生、まだ始まってすらいないじゃないですか」

『はははは。そうだな。まだ始まってすらねーよな。俺もお前もこれからだよ』


 10年前と何も変わらない先輩の笑い声を聞いて、俺は「もう少し生きようかな」と思った。






 〜終わり〜

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