婚約者が高貴なご令嬢と愛し合ってるようなので、私は身を引きます。…どうして困っているんですか?

書籍6/15発売@夜逃げ聖女の越智屋ノマ

婚約者が高貴なご令嬢と愛し合ってるようなので、私は身を引きます。…どうして困っているんですか?

「ヨハンナ。君との婚約を、なかったことにしてほしい」


幼なじみのカイにいきなりそう言われ、私は言葉を失った。


「……どういうこと? カイ」

「好きな人ができたんだ」


好きな人……それなら、私のことは好きじゃなかったの? という疑問が、喉の奥から出てこない。ショックで頭が真っ白になっていた。


久しぶりにカイの屋敷に招かれて、大好きなカイに会えると喜んでいたのに。どうしていきなり、別れ話を切り出されてしまったのだろう。


「好きな……人……?」

「そうだ」


バルテル子爵家の令息カイと、リルシュ男爵家の私は幼いころから仲良しだった。家柄は私のほうが格下だけれど、両家は古くから親しい間柄だったので、自然な流れで私たちは婚約者になった。


王都にある学院に通っているカイが、卒業して領地に戻ってきたら結婚式をあげよう――そんな話だったはずだけれど。



「あなたの好きな人って……どちらの方なの?」

「アレンス伯爵家の次女で、ピアという女性だよ」

「アレンス伯爵家……!」


ピアという名前は初めて聞くけれど、アレンス伯爵家はとても有名だ。由緒ある家柄で、辣腕家だった先々代の当主が巨万の富を築き上げたという名家のはず……


「ピアはとても美しくて、聡明な女性でね――」


いわく、彼の通う学院内で運命的な出会いを果たしたそうで。

彼女の美しい瞳や誠実な人柄を、心から愛してしまったそうだ。

本当の愛を、知ってしまったそうだ。


頬を淡く染めながらピア嬢について語るカイは、とても幸せそうだ。もう、この人の心に私が入り込める隙間なんてない――そう思うと、泣きたくなった。



アレンス伯爵家ほどの名家と繋がりができるなら、カイのお父様も喜んでいるに違いない。


片田舎の男爵家に生まれた私なんかより……ピア様を選んだほうが、カイにとっては絶対幸せになれるはずだ。


「……わかったわ。婚約解消については私の独断で決められることではないけれど、私自身は了承しました。あとは両家の話し合いをお願いします。……ピア様と幸せになってね」


泣くのは屋敷に帰って一人きりになるまで我慢しよう……そう心に決めて、私はカイの屋敷をあとにした。


   ***



カイの覚悟は固かった。


父にヨハンナ=リルシュ男爵令嬢との婚約解消を申し出た。父に「バカなことを言うな、考え直せ!」と叱られても、聞く耳を持たなかった。


どれだけ歯向かっても勘当される危険はないから、堂々と反発できる。バルテル子爵家には、カイの他には継承者候補はいないのだから。カイを失えば、バルテル子爵家はいずれ爵位と所領を返上せざるをえなくなる。家の不名誉を避けたい父は、カイを勘当できないはずだ。



カイは意気揚々と学院に戻った。

ピアのもとに向かうと、彼女をきつく抱きしめた。


「おかえりなさい、カイ。ひさしぶりのご実家はどうだった?」

「きちんと話をつけてきたよ、ピア」

「お話って?」

「君を喜ばせたくて内緒にしてたんだが……ヨハンナとの婚約を、きちんと解消してきた。僕は君に対して、いつも誠実でいたいんだ」






「………………はぁ!?」





瞬間。いつも優しく微笑んでくれていたピアが、醜く顔をゆがませた。


「ヨハンナって……リルシュ男爵家のヨハンナ=リルシュのことよね!?」

「あぁ、そうだが?」

「解消しちゃったの!? バカじゃないの!?」


喜ばれると思ったのに、まさかバカ呼ばわりされるとは思わず、カイは戸惑った。


「リルシュ家はね、すっごくたくさん資産を持ってるのよ!? おととし領内に銀山が見つかって、一気に大富豪になったの。どうして知らないの? バカなの?」


そんな話は初耳だった。


「あんた、世間知らずが過ぎるわよ! どうしてリルシュ家と縁を切っちゃうのよぉ! 私は妾になりたかったのに! ヨハンナを正妻に据えておけば、お金がたんまり流れてくるでしょうが!!」


ピアに尻を叩かれて、カイは大慌てで実家に戻った。

だが、全てはすでに手遅れだった……





   ***





わたしは屋敷で、もうひとりの幼馴染のダグラスと4年ぶりに会っていた。カイを失ったショックで1か月近く寝込んでいた私のもとに、ダグラスが訪ねて来てくれたのだ。


屋敷の中庭でゆっくり並んで歩きながら、私は1か月前のことをダグラスに話していた。

彼は沈痛な顔をして、黙って耳を傾けている。


「久しぶりに会えたのに、暗い話ばかりでごめんね、ダグラス」

「いや。………………つらかったな、ヨハンナ」


ランセル男爵家の三男であるダグラスは、寡黙だけれど優しい人だ。子供のころからそうだった。彼は4年前から隣国に留学して鉱山学を学んでいたけれど、課程を修了して先日帰国したばかりだという。


4年ぶりのダグラスは、背が高くなってすっかり大人になっていた。


「……カイの奴、ふざけやがって。あいつ、昔はお前のことあんなに大事にしてたのにな」


「仕方ないわ。良家のご令嬢と結ばれたほうが、きっとカイも幸せになれるもの」



「良家? アレンス伯爵家のことか? アレンス伯爵家は、先日破産したじゃないか」

「――え?」

「知らなかったのか?」


ダグラスいわく。アレンス伯爵家の当主と家人たちは、先祖が築いた巨万の富を無計画に浪費した上、投資で失敗して債務を重ねていたそうだ。そこに今回の婚約破棄で、慰謝料を私の両親から請求されて破産に至ったのだという。


「それって……私がアレンス家にとどめを刺してしまったってこと?」


「お前は悪くない、そいつらの自業自得だろう? ……ちなみにバルテル子爵家も慰謝料で借金漬けになってるぞ。カイの奴は勘当された」

「勘当!?」


「父親の逆鱗に触れたんだろうな。カイの父親は曲がったことが大嫌いな方だからな……後継者を失うことになったとしても、あいつに制裁を加えることを優先したんじゃないか?」


……私が寝込んでいた間に、そんなことになっていたなんて。

ぽかんとしている私を、ダグラスは真剣な顔で見つめてきた。


「……お前、痩せたな。いろいろ大変だったと思うが、自分のことは大事にしろよ?」


目つきが鋭くて精悍な顔立ちのダグラスは、真顔になるとちょっと怖い印象になる。……でも本当は、すごく優しい。子供のころから、そういう人だった。


ありがとう、と言って笑うと、ダグラスはさらに真顔になった。




「……俺がお前を貰おうか」

「はい??」


何を言ってるんだろう?


真顔を真っ赤に染めて、ダグラスは言葉に詰まりながら話し続けた。


「………………実は、ヨハンナの父上から……話を貰った。俺を……だな、お前の婿にどうか、という話だ」


ダグラスは鉱山学の専門家だ。だから『うちの領地で見つかった銀山の管理を君に任せたい』『併せて娘のことも任せたい』と、父は打診していたそうだ。


「お父様が、そんな話をしていたの!?」

「…………まぁ、お前が嫌じゃなければ、だが」


「で、でも……あなたは、私なんかを押し付けられても嫌でしょう? 婚約を破棄された女なんか……」


「全然嫌じゃない。……昔から、お前が良かった。男爵家の三男坊なんかより、家柄のいいカイの方がお前に合ってると思ったから、黙っていただけだ」




ダグラスが真っ赤になっている。たぶん私も、同じくらい真っ赤なんだと思う。




沈黙に耐えきれなくなったのか、ダグラスが気まずそうに数歩先を歩き始めた。


「…………別に、今すぐ結論を出す必要はない。今日はただ、お前の顔が見たくて来ただけだ」


私はあわてて、彼に追いついて並んで歩く。


「待って、ダグラス。いきなりのことで、私、どうしたらいいか」

「…………ゆっくり考えてくれればいい。俺は別に、お前を急かしたりしない」



言葉もなく、私たちは並んで庭園を歩いていた。




『ゆっくりでいい』と彼は言ってくれたけど。


私たちが夫婦になるまで、長い時間はかからなかった。


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