第25話 女の子としての決意

「はぁ~さっぱりした~」 


 風呂上がり。俺はしっとりと濡れる金色の髪をバスタオルで優しく撫でおろし、ある程度の水分が取れたところで軽くアップにして緩くまとめる。

 女の身体にも慣れてはきたが、この髪の長さには未だに慣れない。

 洗うだけでも一仕事なのに、これからまだ乾かす作業も残っているのかと思うと気が遠くなりそうだった。

 女の子って色々大変なんだなと、つくづく思う。


 透花たちと別れて、帰宅したのは夕暮れ時。

 高校生にしては健全過ぎる帰宅時間だったが、透花と白姫には門限がある。

 そのため、どうしても解散が早い時間になってしまうのは仕方がないだろう。


 とはいえ、半日以上遊び回った身体には、汗と疲労がべったりと張り付いていた。

 男の頃は、多少の汗や汚れなんて気にならなかったのだが、この姿になってからはどうしても我慢できずに真っ先に風呂へと向かってしまう。

 身体が変わっただけで、中身は変わっていないはずなのに、不思議なものだと複雑な気分だった。


 そうしてリビングに戻った俺は、透花からプレゼントされた下着(透け透けのやつじゃないぞ)を身につけ、リップクリームを塗り、ラベンダーのパックを手早く顔に乗せる。

 そのままソファに腰を掛けると、ティーンズ向けファッション誌を捲りながら、ドライヤーで髪を乾かし始める。


 まさしく女子のお手入れだ。


 最初は苦労したが、三週間も続ければ手慣れたものである。


「……この短期間で、そこまで女の身体に適応されると、ちょっと引くのう」


 髪を乾かし終わり、パックを外したタイミングでヒコナがやって来る。その手には相変わらずのイチゴ牛乳が握られていた。


「俺を女にした張本人のくせに随分な言い草だな……」

「いや、妾も結構な人数の性別を変えてきたがのう。ここまで順応が早い人間も珍しいのでな……感心するべきか恐怖におののくべきか悩んでおったのじゃ」

「結構な人数の性別って、お前……」


 いや、詳しくは聞かないでおこう。どうせロクな話じゃない。


「それにしても総一郎、鼻歌交じりにお肌の手入れとは、元々そっちの才能があったのではないか?」

「さぁ、どうだかな……」

「なんじゃ、否定せんのか? 張り合いがないのう」


 俺が躍起になって否定すると予想していたのだろう、ヒコナがつまらなさそうに呟く。


「別に、否定とかじゃなくて……ただ、もう諦めたというか、割り切っただけだよ」

「ん? 何を割り切ったとな?」

「……TS百合になってやるって、お前に啖呵切っただろ? あの言葉は嘘じゃなかったし、本気だった……けどやっぱり、心のどこかでは男の身体に未練が残ってたんだよ……」


 生まれてからずっと男として生きてきたんだ。なのに、そう簡単に捨てられるわけがない。


「頭では納得してても、心じゃ認められないっていうのかな。男として透花と結ばれる未来がまだあるんじゃないか……なんて淡い希望を抱いたりさ。けど、そんな未来は絶対に訪れないって、今日嫌というほど思い知っちまったんだよ」


 俺は、今日の出来事を掻い摘んでヒコナに説明する。


「今日、ティベリアと総一郎が似てるって言った時の透花の辛そうな顔がさ、頭から離れないんだよ。でも、それは今日だけの話じゃなくって……本当は気付いてたんだ。ティベリアになって学校に通うようになってから、たまに総一郎の話題が出るとさ……透花はいつも辛そうな、泣きそうな顔をするんだよ……」


 それを隠すように無理して笑う姿が見ていられなかった。


「総一郎のことで、たぶん透花は今でも苦しんでるんだ。それは……性格悪いかもだけど少し嬉しい。けど同時に、やっぱ総一郎じゃ、透花にこんな顔しかさせられないんだな……って思い知らされた」


 少しだけ湿り気の残った髪を、右手で強く握りしめる。


「実は気になって、こっそり白姫に尋ねたんだ……総一郎の話が出ると、透花の元気がなくなるような気がするんだけど――ってさ」

「ほう、あの娘は何と言っておったのじゃ?」

「こう言われたよ。『透花さんはまだ〝綾崎君の呪縛〟を気にされているんでしょうね』ってさ……」

「…………」

「〝呪縛〟だってさ……。少なくとも総一郎の存在が透花を苦しめていたって事だけは確からしい」


 俺の呻くような独白に、ヒコナは何も言わない。


「だってそりゃそうだよな。透花は女の子しか好きになれないんだからさ。俺にずっと好きだって言われ続けて、本当はずっと苦しんでたんだと思う。だから……透花にあんな顔しかさせられない総一郎は、もう透花の前に現れるべきじゃないんだよ」


 やっと総一郎がいなくなって、透花も清々してるに違いない。


「俺はもう、男のままで透花と結ばれるなんて夢物語は見ない。俺は女として生き、女として透花と結ばれる。今度こそ覚悟を決めたんだ」


 静かに、だが固く。

 俺は言葉と共に拳を握る。


「なるほどのう。罠にハマって使用済みパンツを大量に持ち逃げされたのに懲りん奴じゃの。神たる妾もどん引きするレベルの変態行為じゃぞ。あの女、頭おかしいじゃろ?」

「ああ、頭がおかしくなりそうなほど可愛いよな」

「うむ……お主も頭おかしいこと忘れておったわ……」

「残念だったな、それは俺にとって最高の褒め言葉だぜ」


 何しろ俺は、十年前のあの日から、ずっと透花に狂いっぱなしなんだからよ。


「ま、そんなわけだからさ、何だかんだ俺はお前に感謝してるんだ。俺はこの十年間、ゴールの無いマラソンを必死に走り続けていたようなものだった。でもお前は、そこにゴールを作ってくれた。無を有に変えてくれたんだ」


 だったら後は、そのゴールに向かって全身全霊で駆け抜ければいいだけの話だ。


「それに、この金髪ロリの姿が透花の理想だっていうなら、そんなの出来レースみたいなもんじゃねえか。セクハラだって、見方を変えれば透花から俺への好意ってことだろ?」


 そう、俺と透花はすでに両想いと言っても過言じゃないのだ。

 この勝負、もう勝ったようなもんだろ。ついに俺の努力が報われる時が来たんだ。


「ってわけで、待ってろよ透花。お前はこのティベリアが絶対に幸せにしてみせるからなーーー!」



 ■□


「ティベリア・S・リリィか……」


 カーテンの閉め切られた薄暗い一室で、誰かがぼそりと呟いた。

 学校の敷地内なのだろう。窓の外からは部活に打ち込む学生たちの活気が伝わってくる。

 だが、壁一枚隔てただけのこの部屋はまるで異質だった。

 在るのは一人分の机と椅子、あとはいくつかの本と書類だけ。他には何も無い。 


 そんな無機質な部屋の中で、そいつはテーブルの上に無造作に並べられた三枚の写真を見つめていた。

 そこに写っていたのは、


「百合透花。綾崎総一郎。それにティベリア・S・リリィか……」


 値踏みするような、冷ややかな視線。

 その右手がティベリアの写真をそっと取る。


「綾崎総一郎がいなくなって、入れ替わるように現れた女。成績は優秀、人当たりもよく留学一週間足らずで友人とも打ち解けている。絵に描いたような優等生……」


 誰に言うわけでもないその声は、どこか焦燥に駆られていた。


「経歴に不審な点はなかったが、何かが引っ掛かる。それに何より、あのふざけた容姿からは想像も付かない人間離れした運動能力――正直、邪魔だな……」


 ――忌々しい。何もかもが上手くいかない。このままでは長い時間をかけた計画が台無しだ。


「手遅れになる前に、手を打つ必要があるな……」


 声の主は、手にしたティベリアの写真を呪いを籠めるように握り潰した。


「透花はお前のものじゃない。お前のものにはさせない。どこの馬の骨かも分からないお前みたいな女に……透花は絶対に渡さない……」

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