第26話 生徒会長、百合清明

 空気がざわついている。

 ひとりひとりは小声で話しているつもりでも、これだけの人数が集まれば、それは喧騒と呼べるものへと変化する。 


 週が明けた月曜日の朝。

 本来なら各教室でホームルームが行われている時間に体育館へと集められた全校生徒たち。

 予定外の行動に、誰もが動揺しているようだった。

 入学して以来こんなことは一度もなかった。良くも悪くも〝何か〟があったのは間違いない。

 校長が登壇して『今日は皆さんに、ちょっと殺し合いをしてもらいます』なんて言い出しても、不思議と納得してしまいそうな雰囲気だ。


「――ティアちゃん、朝から全校集会なんて、何かあったのかな?」


 透花が耳元で囁く。

 相変わらずのエンジェルウィスパー。幸せなこそばゆさだ。

 だが普段であれば、ここで俺の耳をペロリと舐めてくるのが透花の透花たる所以ゆえんなのだが、それをしないということは、透花もこの状況に若干の不安を感じているのだろう。


「事件とか……ですかね? だとしたら、わくわく……じゃなくて心が躍りますね……」


 不安げな表情を浮かべながら、それとは真逆の台詞を口にする白姫。

 完全にこの状況を楽しんでいる。相変わらずお嬢様らしくないやつである。

 いや、退屈な日常に刺激を求めるのも、逆にお嬢様らしいとも言えるのか?


「この集会でついに真理を暴くというのか。真なるネクロノミコンによれば邪神の復活まであと一カ月、それより始まる魔界大戦によって世界が終わるのだ!」


 こっちは説明するまでもなく、ちゅう子さんの痛い独り言。


「ふふふ、ふははははは、我を中二病だの、痛い子だの、校則違反だの、チビだの、ちっぱいだの、大丈夫生きていればいいこともあるよ、だのと見下してきた奴らを、やっと、やっと見返せるんだぁ…………ぐすっ」


 うんたらかんたら妄想しながら、ちょっと涙ぐんでいるちゅう子。


「最後のは見下してるんじゃなくて、純粋に心配してくれた良い人なんじゃないのか?」


 と軽くつっこんでみるが、本人はまったく聞いておらず「苦節うん年、ついに努力が報われる時が来た」みたいに、ひとりで感極まっている。

 世界の終わりが来なかった一か月後の世界で、世界の終わりみたいな顔して登校して来るちゅう子の顔が目に浮かぶな。

 ……なんかちょっと可哀想になってきた。


『――あーあー、皆さんお静かに~』


 スピーカーを通して、我がクラスの担任教諭、梓川あずさの声が体育館に響く。

 見ると、梓川がマイクを片手に舞台の横に立っていた。


『えー突然、体育館に連行されて、皆さん不安のようですが安心して下さいね~。悪い報告ではありませーん。むしろ、皆さんにはいい話だと思いますよ~』


 不穏な空気を感じ取ったのだろう、梓川はいつも以上にくだけた口調で呼びかける。

 おっとりして頼りなく見られることが多い梓川だが、実際は要領のいい、仕事の出来る女性というのが俺の印象だった。

 むしろ普段のおっとりはワザとであり、敢えて隙を作っているのではないか、と思う瞬間すらある。

 学校のような狭い社会では、若くして優秀というのは決して良いことばかりではないのかもしれない。

 ま、あくまで俺の邪推に過ぎないけどな。


『――では、本題に入ります。えー皆さんご存知の生徒会長、百合清明ゆりせいめい君ですが、約一年の海外留学を終え、本日より復学することになりましたー』


 生徒会長、百合清明の復学という言葉を、梓川が口にした途端、


「せいめー会長帰ってくるのっ!?」「清明様がっ!」「キャー、私の清明様」「せ、清明の兄貴ぃぃぃ」「うそ、会長来てるの!?」「うおお、かいちょぉぉかいちょぉぉ!」


 先程までの重い空気を吹き飛ばすように、一斉に盛り上がる体育館。

 ちなみに、事態がよく呑み込めていない一年生の大半は何事かと顔を見合わせている。


 そりゃそうだ。生徒会長が海外留学から帰ってくると言われても、一年生からすれば『それがどうかしたのか?』というのが普通の感覚だろう。


 もちろんどこの学校だって、生徒会長ともあればそれなりに人気者なのは当然だろう。

 が、それにしたってこの盛り上がりは異常だと感じているに違いない。

 だが、一年を除く他の生徒は皆知っていた。

 百合清明という男が、全校を上げて歓迎される程の傑物けつぶつであるという事実を。

 そして、そんな喝采かっさい渦巻うずまく体育館を、


「――皆、一年もの間、不在にして申し訳なかった。だが、皆変わり無いようで良かった。この百合清明、安心した!」


 雄々しい大樹のような声が、一息に突き抜けた。

 それはマイクを通さない生の声。

 だが、マイクなど必要ない程の声量に、誰もが圧倒され、息を飲む。


 ――そうして静まり返った体育館。


 その後方から、一人の男が姿を現す。

 シルバーフレームの眼鏡が似合う理知的な顔立ち。無駄なく鍛えられた長躯を包むのはしわ一つ無い制服。

 その肩には、生徒会長のみが着用を許された我が校伝統の金肩章きんけんしょうが輝いている。

 それは紛れもない我が校の生徒会長、百合清明その人だった。


「――――――――――せ、清明会長……」


 たった一言、誰かがその名を呟いた。その一言が呼び水となり、熱狂を呼ぶ。


「かいちょぉぉぉぉぉ!」「清明会長ぉぉぉぉ!」「きゃーーーー!」「うおーーーーッ!」「兄貴ぃぃぃぃぃ」「せいめー様ぁぁぁぁ」「ぶっしゃーーーーーーーーーー」


 何だ最後の……ふなっしーか?


 そんな歓喜喝采の中、人当たりの良い柔和な笑顔を浮かべ手を振りながら舞台に向かって歩く清明先輩。

 その姿は、まるで空港に現れた海外スターだ。 


「相変わらずの人気だな、清明先輩……」


 百合清明――百合財閥跡取りにして、我が校の生徒会長。

 そして、透花の実の兄。


「うちの生徒会長、透花さんのお兄さんなんですけど、凄い人気で驚きましたか?」


 白姫が耳打ちする。


「清明会長は、うちの学校の経営母体である百合財閥の長兄でして、入学してすぐに生徒会長へと就任すると、たった一年で学校にいくつもの革命を起こしたんですよ」

「そこら辺は総一郎から聞いたことあるよ」


 清明先輩がこれだけの人気を集めるのは、顔が良いとか、成績が全国トップクラスとか、家柄が良いとかだけが理由ではない。

 やること成すことが派手で革新的。

 それでいて結果は確実に残す――それが百合清明という男の人気の根源。


 その最たる例が、校則の改正だった。

 私服通学禁止、スマホの使用禁止、免許の取得禁止、等々。

 今まであった生徒を締め付ける多くのルールを、清明先輩はたった一年で一気に撤廃したのだ。

 当初は保護者からの反対の意見も多かったのだが、清明会長は全国の高校のデータを集めて、完璧なプレゼンを行い、その声を見事に収めてみせた。

 そして実際に規則が改正された後も、大きな問題が発生することはなく、むしろ入学希望者は増加、進学率も上昇、生徒の問題行動まで減少するという、大きな成果を上げたのだ。


 それは、自主性を認められた生徒たちが、自身の行いや将来に対する責任を強く自覚するようになった結果であり、また自分達を信じてくれた清明会長の期待を裏切るようなことは絶対にしない、という決意の表れでもあった。


 そんな清明先輩への支持と信頼は絶大なもので、一年前、清明先輩が海外留学することが決まった際は、盛大な壮行会が開かれ、男女問わず泣き叫ぶ者が続出したのも記憶に新しい。


 かく言う俺も、清明先輩には何度も世話になった一人だ。


 同じ道場で武術を学んだ兄弟子でもあり、俺と透花の関係を一番応援してくれていたのが清明先輩だった。

 俺のことをこころよく思わない百合家の大人たちとの間を取り持ってくれたことも一度や二度じゃない。

 そんな理由もあり、清明先輩は俺が心から尊敬する数少ない人物のひとりなのだ。


 とはいえ、こんな姿では俺が総一郎だと気付いてもらえるはずもないけどな。


「先輩の留学先はロンドンだったか。でも変だな……確か帰国の予定は来月だったはずだけど……帰国を早めなきゃいけない理由でもあったのか?」


 舞台上で、高校生とは思えない威風堂々いふうどうどうとした凱旋演説がいせんえんぜつを繰り広げている清明先輩を眺めながら、俺がひとり首を傾げていると、


「…………兄さん……どうして……」


 誰に言うでもなく、透花が小さく戸惑いの声を漏らしたのだった。

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