日本衰退国史 平成編 第七章 平成7年
今まで隠してきたことが暴露された年である。1つは災害、1つは宗教テロ、そして最後に不良債権である。隠蔽と改竄は日本のお家芸なのだが2信組の破綻でだんだんと隠し切れなくなったのだ。本当は信用金庫・信用組合どころではなく全部の都市銀行が破綻状態でメガバンクが強制的に誕生するのだが。
阪神大震災に関してはこれはしょうがない。天災である。しかしオウム地下鉄サリン事件は違う。新興宗教にしか居場所の無かったものが破滅願望で起こしたテロでありもし日本社会が伝統宗教の力残っていたらこんなことはおそらく起きなかったであろう。危ない新興宗教なんてもんはいつの世にも出現するがそれが起きたということの重大さを理解するべきである。
そして当時の世はオウムをまるでおもちゃのように扱っていた。
そして見逃せない現象が起きる。ガングロコギャルである。いわゆる「傾き」現象が起きたのだ。もっともぐれるだけの元気がまだ当時にはあったのと言う証拠だがもう本格的に死にゆく日本社会を当時の少女は感じ取ったのではないか?今母親となっている、当時コギャルだった人は思い出してください。当時は「世紀末現象」で末期だったのではないですか?いや、今のほうがはるかに末期なんですけど。
本当に末期な社会と言うのは傾くことも出来ず、ぐれることも出来ず達観するんです。悟り世代と言われるゆえんです。当時はぐれるだけの希望を持っていた、ということである。今の子はぐれる事すら許されないほど日本の死を毎日見つめております。シャッター商店街、超高齢化社会、超少子化社会、先進国転落です。
1995年は生産年齢人口のピークで以後2度と人口が増加することはございません。総人口は2008年まで外国人人口入れて伸びるのですが15-64歳の生産年齢人口はもう二度と伸びないのです。最後のチャンスをこの時失ってしまったのです。
高齢化率は21%超に達し1994年から日本は超高齢化社会に突入します。この時若者を大事にしてたら第三次ベビーブームが誕生していたのに。
しかし「今だけ・金だけ・自分だけ」の世に落ちたこの時代から子孫を残すという人間としての当たり前がもう出来なくなっていたのです。だって、どんだけの若者がフリーターに落ちたんだ。
そんな1995年ですがラストチャンス、そして日本最後の好景気がやってきます。IT革命が到来したのです。Windows95の登場によってOSは取られたもののハードウエアの需要は急増し、周辺機器の需要も爆増しました。特にプリンターとデジカメと携帯電話です。しかし、これが日本の電機産業のラストチャンスで以後二度と復活することはありません。です当時はまだPHSとポケベルが主流ですがそれでも携帯電話と言う新しい家電が登場したのです。
PCはオフィスから普及します。このモノの需要は1996年をピークに二度とやって来ないです。幸いに阪神大震災の復興需要も重なって好景気がやって来たのです。
盲点と言えるブームも到来しており次世代ゲーム機が登場してきました。この時ゲーム業界の王である任天堂が倒されるだなんて思っても居なかったのです。そう、ソニーのプレステは1994年12月3日発売でした。1995年当時、このゲーム機が覇権を取るだなんて誰も思っていなかったのです。むしろセガサターンの方が有力視されており、任天堂64の方が最有力候補でした。NECはゲーム機から事実上撤退に入ります。当時の人口のもう一つのピークとなる団塊ジュニアはハイティーン~20代前半に差し掛かっており大学生や新社会人になりながら主に土日にゲームをしていたのです。しかしゲーム市場のピークは1997年で以後任天堂Wiiが登場するまで衰退まっしぐらの業界になるのです。ゲームと言うのは(当時は一般的には)25歳前後くらいで卒業するものなのです。任天堂Wiiは健康器具としても活用できるものなので高齢者にも売れたからゲーム市場が反転したのです。もっともその後は課金ゲームという外道の世界に落ちて日本のゲーム業界はゲームですらないものしか作れなくなるほど劣化するのですが。つまり日本の産業体の最後の砦であるゲーム業界のピークも見え始めてきたのがこの年なのです。でもまさか当時の日本人は日本製のゲームシェアが1990年に50%だったものから15%前後に落ちるほどの惨めな国になるなんて当時の人は誰も想像も出来なかったのではないでしょうか。
なお、「ゲーム業界の王任天堂が倒された」と書きましたが翌年1996年にポケモンブームが起き携帯ゲームとキャラクター版権で巻き返します。そこはやっぱり覇者なのでしょう。
ITというのは物の需要じゃなくソフトの需要が全てなのです。しかし全くこのIT革命の意味が日本人は分かってなかったのです。
この年からフリーターに落ちた少年を徹底的にPGとして養成していればこんな惨めな国に我が国はなってなかった。悔やんでも悔やみきれない。いったい、何のための職業訓練なのであろう。新卒職業訓練を2年施せば日本はIT大国になれたはずである。日本は最後のチャンスを逃したのである。
さて、次は音楽の話題に来ましょうか?
1995年オリコンヒットチャート
1位 DREAMS COME TRUE:「LOVE LOVE LOVE/嵐が来る」
2位 H Jungle With t:「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」
3位 福山雅治:「HELLO」
4位 Mr.Children:「Tomorrow never knows」
5位 Mr.Children:「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」
6位 MY LITTLE LOVER:「Hello, Again 〜昔からある場所〜」
7位 桑田佳祐&Mr.Children:「奇跡の地球」
8位 岡本真夜:「TOMORROW」
9位 スピッツ:「ロビンソン」
10位 B'z:「LOVE PHANTOM」
11位 trf:「CRAZY GONNA CRAZY」
12位 Mr.Children:「【es】 〜Theme of es〜」
13位 B'z:「ねがい」
14位 B'z:「love me, I love you」
15位 trf:「masquerade」
16位 L⇔R:「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」
17位 大黒摩季:「ら・ら・ら」
18位 B'z:「MOTEL」
19位 シャ乱Q:「ズルい女」
20位 H Jungle with t:「GOING GOING HOME」
当時の若者が希望と不安を背負いながら音楽と言うものに載せて世相を表現していたことがよくわかります。なので1998年が日本の音楽市場のピークなのですがあまりにも名曲が多いので10位では収まり切れず20位にまで載せることになりました。
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