第125話 7/8
トンネルを走り抜ける。通用口に近づくにつれ、レオという猫とあの虫の話し声が聞こえてきた。
「お、お前……!? 俺のこと騙したのかよ! 記憶を喰われたメス達みんな死んじまったじゃねぇか!?」
「小動物風情がうるさいプギ!! お前、俺のこと内心馬鹿にしてただろ? だから敢えて全員殺してやったんだよ」
「ち、ちくしょおぉぉぉ!!」
「おっと」
「や、やめろ! やめ……っ!?」
……。
その声を最後にレオの声は聞こえなくなってしまった。
「哀れな奴。俺を利用してると思い込んでやがった。食われるとも知らずにぃ。プギギギ〜」
……外道が。
この白水に渡ってからこれほどの外道は初めてだ。虫唾が走る。
あの扉に辿り着き中を覗く。鼻を刺すような臭気が漂う部屋では、あの虫が部屋の奥に向けて語りかけていた。
「ウラの方の秋菜ちゃん。一緒に遊ぼうプギ〜」
秋菜殿は……体を引きずりながら部屋の端へと逃れようとしていた。
虫が秋菜殿の片足を踏み付けて逃げられ無いようにする。
「い"っ!?」
「あれ〜? さっきの威勢はどうしたプギ? おい。お前も俺のこと馬鹿にしてたよぁ」
「嫌だ……嫌だ……」
秋菜殿は助けを求めるように腕を伸ばし、その外道から逃れようとしていた。
「プギギ。おもしろ。まだまだこれからなんだから。頑張って耐えてね秋菜ちゃん」
殺す。
殺してやる。
猫袋を取り出してそれを嗅ぐ。ニコリと笑った猫の刺繍が胸を刺す。秋菜殿はどんな思いでこれを作ってくれたのだ? 不器用だが優しい女性。それをこんな目に遭わせるなんて、男のやることじゃない。
2度と同じ手は食わん。しかし、アイツには不意打ちなどしない。己の死を実感させて殺してやる。
「おい」
秋菜殿に気を取られていた虫がゆっくりと振り返る。
「ん? お前は……この前負けた間抜けじゃないか。元に戻れたのか? さっきまでプルプル震えてた小動物が。プギギ」
虫が口を押さえるような仕草で笑い出した。
「貴様は……この白水にふさわしく無い存在だ。拙者が殺す」
「ププ。殺すって本気で言ってるのかお前? 俺に負けたくせに」
奴の目はまだ光を帯びていない。数度見た奴の動きで分かる。あの光にはタメのように明滅する瞬間がある。それに気を付ければどうということは無い攻撃だ。
「最後に聞いておいてやる。貴様、どうやってこの世界に渡って来た?」
「3つ首竜の転移魔法に相乗りして来たが?」
「その3つ首竜がこの世界で暴れている時、貴様はどこで何をしていた」
「はぁ? 転移してすぐその場を離れたに決まってるだろ。あんな奴とやり合うなんて馬鹿がやることだぜ」
「そうか。なら、貴様は馬鹿に殺されることになるな」
「意味わからんプギ! 今度は食ってやるプギ〜!!」
奴は挑発するようにふざけた口調で笑い出すと、その両の目を明滅させ始めた。
ヒトキリ丸を口に加え、四つ脚で身構える。目を閉じ、五感を研ぎ澄ます。
拙者は長らく忘れていた。人の頃の記憶に囚われるあまり、自分が何者かを。
拙者は……猫田十兵衛であり、まめ太でもある。人であり武士である前に、1匹の猫。それが真実。
……まめ太よ。お主自身の力で秋菜殿を救えなかったこと、さぞや無念であっただろう。
だが。
今、お主の力が必要なのだ。
獣として生まれたお主の力、拙者に貸してくれ。
ヒゲから奴の気配を感じる。
全身からヤツの動きを捉える。
「死ねプギィィィイィィ!!」
4つ脚で大地を駆ける。人では到底出すことのできない速度で部屋を駆け抜ける。
「俺の光が!? あ、当たらない!? クソがアアアアア!!」
奴が振り下ろした拳を躱わす。
壁を蹴り、軌道を変える。
地面を砕いた拳に飛び乗る。
「プギィギィィ!? 離れろぉオオ!?」
捕まえようとする3つの掌を避け、ヤツの腕を駆け上る。
「アアギアアアギァァァ!!」
ヤツが振り解こうと腕を上げる動きに合わせ、空中へと舞い上がる。
体を翻し、天井を蹴る。
落下の勢いに全体重を加え、虫の首元……攻殻の継ぎ目にヒトキリ丸を突き刺した。
刃先が突き刺さった攻殻の継ぎ目から大量に緑色の液体が噴き上がる。
「ギェエエエエエエッア"アア、ア!?」
……貴様は秋菜殿に何をした。
虫の断末魔が部屋中に響き渡る。構わず刀を押し込み、さらに深くへと突き刺して行く。
苦しめ。
「ギェエエエエエエ!?」
虫が悲鳴を上げながら拙者を捕まえようと腕を伸ばす。
もっと苦しめ。
力を失っていく腕を避けながら力の限り刀を横へと動かし続ける。ゆっくりと首と胴体を切り離していく。極力長く苦しみが続くように。その意識が途切れぬように。
死ね。己がもう助からぬと実感しろ。
「ギエアア、ア、ア……」
断末魔の終着と共に首が体から転げ落ちる。
ヒトキリ丸を手に持ち替える。落ちた頭を蹴り、両の目を刀で貫いた。
「ア"」
それ以上、虫が言葉を発することは無かった。
◇◇◇
「秋菜殿。行こう」
「あぁ……」
秋菜殿は足を引きずりながらトンネルを進んだ。
「大丈夫でござるか? 何かされたでござるか?」
「だ、大丈夫。怪我はしたが……他は、何も」
秋菜殿は自分の体を抱きしめた。乱れた衣服が彼女の必死の抵抗を感じさせて……胸が引き裂かれそうになる。
「今回は……ダメだ。忘れられそうに無い」
その体は震えていた。それは身体的な傷の影響だけでは無いだろう。
「オモテにもこの記憶は、共有したく無いけど……無理だ。私1人では……耐えられない。ごめん。か、体が震えて……」
「秋菜殿……」
出口が目前という所で、秋菜殿は座り込んだ。
「ごめんね……私がアイツのこと甘く見てたから……猫田のことも……ごめんね……」
秋菜殿は泣いていた。いつも気高く、強いお方だが、今回は……。
違った。何もかも。拙者達の住まう世界では、これほど悪意を持つ物はいなかった。違うのだ。拙者達の持つ常識や価値観が通じない者もいるのだ。容易く他者を弄び、自分の欲望の捌け口とする。
なんと醜く、汚らわしい。
そんな輩に秋菜殿が狙われたのだ。いつも白水の為に、他者の為に全てを投げ出して戦う彼女自身が。
自分が、狙われたのだ。
どれほど恐ろしかったであろう。どれほど悍ましかったのだろう。
その心中は、拙者では計りかねる。
不甲斐ない。ただただ拙者が不甲斐ないばかりに……。秋菜殿は拙者を信じて今回の事を託してくれたというのに。
……。
秋菜殿の為に、拙者がやるべきことは1つだけだ。
まめ太。秋菜殿からお主を奪ってしまう拙者を、どうか許して欲しい。だが、秋菜殿を救おう。今度こそ。
「秋菜殿。安心なされよ。お2人ともすぐにまた笑えるようになるでござる」
「う、うん……」
「まめ太からも頼まれたでござるからな。拙者がなんとかするでござる」
拙者が人であったなら……微笑みかけて不安を忘れさせてやれたのに。
「うぅ……う……」
秋菜殿は涙を溢しながら拙者を抱きしめた。
拙者が人であったなら……秋菜殿を抱きしめてやれたのに。
拙者は何もしてやれない。人としてできることは全て。
今は、それがもどかしい。
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