第114話 2/2

 よし。風呂掃除もしたし、やっと一息ついたな。 


 明日の10時には比良坂さんがみーちゃんを迎えに来るから早く寝ないと。



 ん?



 俺の部屋からカノガミとみーちゃんの声が聞こえて来る。


 みーちゃん用にカイ兄の部屋を整えていたんだけど、みーちゃんが俺らの部屋で寝たいと言うので結局昨日布団を移して、カノガミが寝る押入れの前に敷いた。


 俺らの部屋は真ん中をカーテンで区切っているし、カノガミもいるから大丈夫だよな? 比良坂さんに怒られないよな? 多分……。



「なぁ〜みーちゃん。今日な。ウチ寝る前の読み聞かせしようと思って本を準備したのじゃ」


「は? アンタ、何私を子供扱いしてるの?」


「いいじゃろ〜? ジュンの子供の頃の本じゃぞ? 気にはならんか?」


「え? お兄ちゃんの? ……まぁいいわ。聞いてあげる」


 カノガミのヤツ……勝手に物置部屋漁りやがったな。あの部屋には見られたらマズイ品もあるから漁るなって言ってあったのに。


 もし、カノガミのヤツに見られたりしたら……。



 ……。



 ば、場所を変えておこう。



 コッソリ物置部屋を整理して部屋に戻ると、本も中盤に差し掛かっていた。昔の本って「こいぬのさくら」か。母さんがよく読んでくれたヤツだな。


「2人とも何やってんだよ?」


「ジュンの本を読んでおったのじゃ……」


 みーちゃんが寝る布団に添い寝する形でカノガミが本を読んでいた。こうやって見ると本当に姉妹って感じするな。


「お兄ちゃんもこっち来ない?」


「あ、ああ」


 カノガミの反対側に横になる。2人でみーちゃんを挟む形で本を見上げると、懐かしい挿絵が目に入った。


 カノガミが続きを読んでいく。何度も何度も聞いた物語。だけどそれがある日から突然……聞かなくなった。カイ兄が読んでくれようとしたこともあったな。でも、小さい頃の俺は嫌がった。あの頃は上手く言葉にできなかったけど、2人を思い出して悲しくなるのが嫌だったんだろうな。


 特にこの本は……「別れ」の話だったから。


 終盤に差し掛かっていくにつれ、カノガミの声が震え出す。


「そして……さくらは……うっうっ……眠りに着く間際、青年に別れを……ううっ……ふおぉぉ……」


「なんでアンタが号泣してるのよ……」


「じゃ、じゃってぇ……というかみーちゃんも涙目じゃないかの?」


「う、うるさいわね。いいでしょ別に……」


 ……。


 読んでくれた母さんも、よく号泣しては父さんに笑われていたな。


 ……。


 不思議だ。


 昔は好きな話だった。母さんがいて、父さんがいたから。でも、それが大嫌いな話になった。


 2人と別れることになったから。


 でも、こうやってまた、誰かとこの物語を読んでいる。今はどうなんだろう? この物語を聞いて、昔のように辛くなることは無い。でもそれって……。


「お兄ちゃん?」


 みーちゃんが不思議そうにこちらを見ていた。


「あ、ごめんぼーっとしてたよ」


「疲れたかの? 今日はもう寝た方が良いのじゃ。ちょうど読み終わった所じゃし」


「そうするかな」


「ふぁ〜ウチらも寝るかの〜」


 カノガミはすっかり元の顔に戻っていて、大きなあくびをした。



◇◇◇


 目を閉じてもなんだか寝付けなくて、ずっと考えごとをしてしまっていた。


 寝返りをうつと、視界の端にみーちゃんが部屋を出て行くのが見えた。



 みーちゃんどうしたんだろ?


 しばらく待ってみたが戻って来ない。


 俺も起き上がって部屋から出る。すると、カノガミ達の為に付けていたリビングの電気は消され、みーちゃんは真っ暗な部屋の中で窓を覗いていた。


「あ、ごめんなさい。起こしちゃった?」


「いや、寝付けなくてさ。ずっと起きてたんだ」


「そうだったの」


「みーちゃんは何してたの?」


「私も寝れなくて。外を見たら月が見えたから」


「リビングの電気消して大丈夫なのか?」


「月が明るいから大丈夫。……お兄ちゃん。眠れないならちょっとお話しない?」


「ああいいよ。電気付けようか?」


「このままでもいい? 改まって顔を見ると上手く話せないかもしれないから……」


 月明かりに照らされたリビングで、みーちゃんとテーブルで向かい合う。うっすらとした光の中、相手の表情がよく分からないまま向かい合うなんて、なんだか妙な気分だった。


「ふふ。こうやってお兄ちゃんとお話するなんて、初めてじゃないかしら?」


「そういえばそうかも。2人きりになるなんてイアク・ザードをリープさせた時以来だよな」


「元気無かったわね。さっき」


「え、ああ。本読んでた時か」


「大丈夫?」


「ちょっとさ……いや、なんでもない」


 俺の死んだ両親の話なんてみーちゃんに聞かせていいんだろうか? ただでさえみーちゃんはチヨさんとのことで傷付いた訳だから……。


「……私の話をしてもいい?」


「うん」


「私ね、チヨが死んだことを受け入れられなくて、みんなに沢山迷惑をかけてしまったわ。チヨとの最後がね……いいものじゃなかったから」


 みーちゃんは、慎重に言葉を選んでいるようだった。


「でも、お兄ちゃんと舞が、大切な人の死を受け止めて前に進もうとしてる姿を見て……気付いて、私も前に進もうと思えたの」


「俺は……そんな大層な物じゃないよ。色々な人に助けられてる」


「ううん。少なくとも、お兄ちゃんのおかげで私は救われたわ」


 みーちゃんが右手を机の上に乗せた。俺に向けられた手のひらが「手を出すように」と言っているような気がして、左手を机の上に置いた。


「でもね。お兄ちゃんはみんなの為に自分を犠牲にするでしょ?」


 みーちゃんの両手が俺の左手を撫でる。以前、傷を治してもらった時のように、優しい動きだった。


「お兄ちゃん。辛い時は辛いと言ってね。 カノガミや私……みんながいるわ」


 みーちゃんに言われてハッとした。


 俺は……どうしても周りを見て、自分の弱い部分は隠そうとしてしまう。周りに迷惑をかけてしまう気がして。でも、そのせいで知らず知らずのうちに限界が来て、カノガミに当たってしまったこともある。


 ……。


 ダメだよな……それは。


「じゃ、じゃあちょっとだけみーちゃんに聞いてもらってもいいか?」


「もちろん」


「……今日読んでたあの本はさ、母さんが好きで読んでくれていた物なんだ」


「そうだったのね」


「なんだか、あの話を聞いて思ったんだ。母さん達が死んだ直後は悲しくてたまらなかったのに、今はそれが薄まってる。みんなのおかげで立ち直ってるってことだと思うんだけど、それと同時に……母さん達のこと忘れてしまってるんだって思ってしまうんだ。今はもう、断片的にしか昔のこと思い出せないし、顔だって写真を見ないとハッキリと頭に浮かばない」


 言葉にしてみて初めて、俺のモヤモヤの正体が分かった。俺ってそんなことを悩んでいたんだ。自分のことなのに、全然分かってなかった。


「上手く言えないけど、自分が薄情なんじゃないかって思って……」


「お兄ちゃん」


「ん?」


覚えている必要なんて、無いと思うわ」


「え……」


「お兄ちゃんはこの先の人生で、その2人が『いたこと忘れてしまう』かしら?」


「そんなこと、無いよ」


「……人の記憶ってね。悲しいけれど、ずっとそのままの形で残すことはできないの。どんなに大切だったことでも時が経てば薄れてしまう。忘れてしまう。でも、それでも絶対に忘れないこともある」


「2人が……いたこと」


 みーちゃんに言われたことを繰り返す。どれだけ顔を忘れても、思い出が薄まっても、2人がだけは絶対に忘れない。それだけは確かに分かる。


「そうよ。それがお兄ちゃんの中に2人が存在してる証、鍵なの。その鍵さえあれば、ふとしたことで思い出が蘇ることもある。今日がそうでしょ?」


「うん……」


「だから大丈夫よ。お兄ちゃんはこれからも前を向いて生きて。2人のことは忘れていない。貴方は薄情なんかじゃ、ないわ」


 月明かりに照らされ、一瞬みーちゃんの顔が見えた。それは、子供の姿なのにとても大人びていて、俺を見守ってくれているようで、優しげで……彼女はカミサマなんだと改めて感じた。


「と、散々過去にこだわっていた私が言ってみました」


 みーちゃんが笑った。なんだか、俺もつられて笑ってしまう。



「ありがとうみーちゃん」



 なんだか、心が軽くなった気がする。



「また話、してもいいかな?」



「うん。また、お話しましょう」



 寄り添ってくれるカノガミの優しさとは少し違う。話を聞き、導いてくれるような優しさ。



 そんな優しさもあるんだな。



 ありがとう。本当に。

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