第106話 4/4

 目を開けると、あの女の商店にいた。


 左手は……治ってる。戻ってると言った方がいいのかな。


「で? あんた達どうする? 20000円払うかい?」


 女がいやらしい笑みを浮かべて僕達に問いかけていた。


 ああ。この時に戻ったんだな。


「そんなの決まってる」


 指先に水の球体を作る。そのまま、店先にあった自販機に向けて手を払った。球体から発射された極細の水は、に切り裂いた。


「お……は!? な、何やって!? え!? 自販機が!?」


 驚く女の胸ぐらを掴んで引き寄せる。


「次同じようなことをしたら、あの自販機みたいに真っ二つにしてやる。他の人に対してもだ」


 女を睨み付けた。正直、殺してやりたいほど腹が立っていた。コイツがあの化け物のことを知っていたかどうかなんて知るか。


 コイツのせいで、弱さに付け込まれた人達が大勢犠牲になったことに代わりは無い。


「は、は、はい……」


「分かってるんだろうな? 今この場で細切れにしてやってもいいんだぞ」


 女は無言で頷くと、その場にへたり込んでしまった。


「行きましょう。師匠」


 師匠と商店を後にする。


「弟子も中々に凄みがありマシタね」


「ムカつくヤツでしたからね。力を見せつけてやるくらいがちょうどいいんですよ」


 そう言うと、師匠は吹き出した。


「さすが私の弟子デス」


◇◇◇


 結局、僕達は別の場所を目指すことにした。あの場所から少しでも離れたかったから。


 バスに乗り、電車を乗り継ぎ、海と山に挟まれた小さな町に移る。そして、人目が付かない高架下にテントを張った。


 スーパーで買って来た食材で適当に夕飯を作る。師匠が弱い火の魔法を使えるおかげで、焚き火を起こすのに苦労しないのはありがたい。


「意識を奪われていた私は、あまりあの時のことを覚えていないのデス。ですが、弟子の声が聞こえたのだけは確かに覚えてマス」


 夕飯を食べていると、師匠がポツリと呟いた。


 師匠が操られてた時か……僕も必死すぎてなんて言ったのかハッキリと思い出せない。



「私のやりたい事、決まりマシタよ」


「え?」


「一緒に探す約束デシタよね?」


「は、はい。見つかるのが早すぎてビックリしました」



デス」



「は?」



「だから結婚デス」



 んん? あれ? 聞き間違えたかな……。ケッコン? ケッコンってなんだ?



「え? それってどういう……」



「上手く翻訳できていマセンか? 結婚。家族という共同体を作る行為デス」



 ケッコン……結婚か。



「河原での弟子の言葉……それに、助けてくれた時のあの言葉……それで、迷いが無くなりマシタ」


 師匠が下を向いた。


「そ、そうなんですね。師匠、結婚したかったんですか」


 ど、動揺するな。僕……。


「そうデス。私は奴隷兵だったと説明しマシタよね? 奴隷兵である限り、結婚とは生涯叶わぬこと。仮に自由になれたとしても、亡国の生まれである私のことなど誰も見向きもしないデス。だから、してみたいと思いマシタ」


 師匠の碧眼の瞳が僕を見つめる。その表情は真剣そのものだ。


「弟子に自分を強く見せようとしていマシタが、本当は奴隷であった自分を、拒絶されることが怖くて……」


 そうか。師匠はそんなにも……あの化け物に操られたのも孤独に付け込まれた感じだったしな。家族を持ちたい……その気持ちは否定できないよな。



 でも……なんだこの気持ちは。



 師匠が結婚して家庭を持ったら、



 ずっと、その、僕だけの……。



 いや!


 

 違うだろ。蝶野有緑ちょうのありのり


 僕に沢山のことを教えてくれた師匠の幸せが第一だろう?



 お前は何を心配しているんだ。



「いいですよ」



 僕も協力しないと。



「本当デスか?」



 師匠の顔がパッと明るくなる。



 その笑顔を見て、胸がズキリと痛んだ。師匠との別れが近づいたと実感する。




 ところで、誰に相談すればいいんだ? 親? 学校の先生? 芦屋君達も白水では有用な相談相手かもしれない。


 いけない訳だし師匠に変な男が寄って来たりしてはいけないから、



「子供の頃、母に教わった魔法を使える日が来るなんて」



 師匠は嬉しそうに言うと、立ち上がった。


 そして、空中に金色の文字を描いた。

 


「このに心からのを述べて欲しいのデス」



「え? なぜですか?」



「私にもらう為デスが? そ、その誓いが確かなものか、見定める……儀式デス」



 誓うって……なんだよ。



 僕は師匠に協力するって言ったのに。師匠は僕のこと信用してくれないのか?



「師匠。僕は悲しいですよ」



「え!? なぜデスか!?」



「僕は師匠のこと信頼して申し出たのに、師匠はそんな契約なんかで僕を縛ろうって言うんですか!?」


「ち、違いマス……弟子のことは信用していマス。あの竜との絶望的な戦いの中でも、最後まで共に戦ってくれた大切な弟子であり、仲間、デス。そ、それに……私の為に寿命まで……捧げて」


 師匠は俯き恥ずかしそうにモジモジした。


「しかし……やはり私も女、デスから。形を残しておかないと不安なのデス」



 師匠……。



 前の世界で辛い目に遭って来たせいで人を信用できなくなっているのかな。



「安心して下さいよ」



「え?」



 尊敬する師匠……。



 僕は、あなたに相応しい男を見つけるまで絶対に諦めません! 



 !!



「僕は……!!!」



 僕の思いの限りを叫んだ。



 それに合わせて、金色の文字が光輝く。



「心からの誓いでないと反応しない魔法が……あんなに光り輝いて……」



 師匠は両手を口に当て、ハラハラと涙を溢した。



「私は……私は……これほど嬉しいと思ったことは、今までありマセン」



 え? なんで?



 そんなに僕が男探しに協力することが嬉しいの……か?



 空中の眩い文字が消えていく。



「これで、契約は完了しマシタ……」



 突然。



 師匠が僕の右腕にしがみついて来た。


「フフフ」


 師匠が少女のような笑みを浮かべる。



「弟子。歳はいくつだったデスか?」



 師匠が僕の腕に顔を埋める。そのせいでよく顔が見えない。


「年齢ですか? 15歳ですけど」


「そうデスか……フフフフ。私の4つ下。まだ幼なさはありマスが、ちょうど良いデス」



 ちょうど良い? なんだちょうど良いって。



「え? 師匠……? 何を言って……」



「私の世界で15歳は初陣に出る歳……つまり、立派な男だということデス」



 師匠が僕を見つめる。頬をうっすらと赤く染め、その視線には熱がこもっているように感じた。



 師匠が幸せそうに笑う。まるで人生最良の日のような……。



 師匠、気が早いよ。



 もう結婚したみたいな顔だよ。



 ん?



 その顔を見た瞬間、すごい勢いで頭が回り始めた。



 助けた時の言葉?



 迷っていた?



 拒絶されるのが怖かった?




 契約? 誓う?



 え?



 契約完了って?



 え?



「し、師匠……さっきの魔法って……」



デスが?」



「え"、えぇ!?」



「弟子の想い。確かに伝わりマシタよ……」



「想いって……」



 あ!



 さっき叫んだ時……。



 考えて叫んでた!?



「誰かに求められるということは、これほど心が熱くなることだったのデスね」



「で、でも師匠? 前に『お前などに選ばれたく無い』って……」


「だって、弟子が『暴力的な女性は願い下げだ』って言うから……あの時傷付いたのデスよ?」



 そ、そうだったのか。僕は対象外なんだと思い込んでた……。



「フ、フフフフ。弟子のこと、絶対離しまマセン。死ぬまで離さないデス」



  死ぬまで!?



「ち、ちなみに……結婚の契約魔法って、破ったらどうなるんですか?」



「なぜそんなことを聞くのデスか?」


 師匠が不思議そうに僕を見つめる。



「い、一応確認と、言うことで」



「死ぬような効果はありマセン……」



 よ、良かった……形だけの物だったか……。



 でも。



「私、他にもいっぱいやりたいことが浮かんで来マシタ! 弟子と、い、一緒に……」



 師匠の恥ずかしそうな笑顔……。




 こ、こんなの裏切れるわけ、ないじゃないか!?


 い、いや嬉しい、けど!


 展開が早すぎる!?




 その責任は。




 重力魔法よりも、重かった。

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