体がふわりと傾いて、僕は冷たい床の上に倒れていた。


 ここは……。明るい店内。商品が陳列してある。ガルシア達に殺される直前に立ち寄ったドラッグストア。


 由奈が駆け寄ってきた。


「裕二っ、大丈夫!?」


 目を見開いて僕をのぞき込んでいる。


 脳と体がリンクして、手足が動くようになる。僕はゆっくり立ち上がる。


「大丈夫。ちょっと躓いた」

「そういう倒れ方じゃなかったよ」


 一気に頭の中に記憶が蘇ってくる。由奈は刺されて死ぬ。


「っていうか、由奈、やばいって。早く逃げろ、今すぐ」

「どうしたの? なに言ってるか分からない」

「とにかく……、逃げろ」


 説明しようと思っても、頭は焦るだけで、有効な説得の論法が思いつかない。


 僕は買おうとして籠に入れていたコンドームなどを近くの棚に戻して、とりあえず、店の外に由奈を連れ出した。昼間と違って夜はひんやりとしている。僕がいた2031年の十一月を思い出させる。


 由奈にどこから伝えたらいいのだろうか。率直に、これから起きることを伝える。


「いま僕の部屋にはガルシアがいる。あのステファニー・ガルシアだ。そして、僕と君は殺される。殺された未来から、僕は今戻ってきた」


 由奈は一瞬嫌そうな顔をしてから、


「なにそれ。部屋に別の女でも隠してる?」

「ばか、そんな暇はない」

「昨日もライン返してくれなかったし」

「なら、ここまで連れてくるわけないだろ。嘘だと思うなら、警察呼べ。違う、嘘だと思わなくても、今すぐ警察を呼べ。すぐに、君はここを離れろ」


 僕の本気が伝わったのか、由奈は頷いた。僕に付いてくることはなかった。


 逃げたところで、あいつらは追っかけてくる。交差点にトラックを突っ込ませたのもあいつらだ。なら、いまここで、ガルシアの陰謀を終わらせてやる。


 この携帯はおそらく盗聴されている。僕が警察に電話をすれば、あいつらはなにか他の手を考えてくる。僕は自分のアパートの階段を上りながら警察に電話をかける。警察の電話は録音されている。ガルシアの声を、警察に聞かすことが出来れば、僕の死は無駄にはならないはず。


 警察につながったことを確認して、僕は部屋の扉を開ける。男が隠れていて、僕に一撃を食らわせてくることは分かっていた。僕はその攻撃を鞄で受け止める。


「誰だおまえら、やめろ、なにしやがる!」


 僕は叫んで、わざと壁にぶつかり、物音を立てる。


 だが、もう一人の男にすぐに押さえつけられて、前回と同じように部屋の奥へと連れて行かれる。


 電気がつくとガルシアがいる。


 ガルシアはあごを使って、無言で男に指図をする。男は心得たもので、僕のポケットから携帯を取りだして、通話ボタンを切った。僕の叫びと物音は警察の記録に残ったはずだ。やっぱり、こいつらは僕の携帯を盗聴していた。


 前回と違うところは、ガルシアが怪訝な表情を浮かべているところだった。そうだ。ガルシアを目にした僕は驚かなければならないのだ。僕はわざと驚いた振りをして見せたが、ガルシアには通用しなかったようだ。


「あなたにとって、これは何回目の出来事ですか?」


 僕の目の奥をのぞき込んで、初老の女は言った。


「初めてだよ」

「なぜ警察に電話をかけましたか?」

「臭かったからさ。階段から匂ってた」

「なんど蘇ったところで、結果は変わりませんよ。あなたが余計なことをしなければ、わたしたちは十分にディスカッションが出来ました」


 殺しておいていけしゃあしゃあとよく出任せを言ったもんだ。ワクチンが希望だと偽り世界中の人間を騙しただけのことはある。


 その後は前と同じだった。僕はガソリンをかけられて、部屋ごと焼かれてしまった。




―2031年―




 車は高速道路を快調に走っていた。道路の継ぎ目の振動が、一定の間隔でシートから伝わってくる。


「目、覚めたか。随分ぐっすり眠ってたぜ」


 海津はハンドルを握りながら横目で僕を見る。


 僕は車の助手席に乗っていた。単調な景色のせいか、いつの間にか眠ってしまって、嫌な夢を見た。


「妙な夢を見た。どんな夢だったかは覚えてないんだけど、その夢は前にも見たことがあるような夢でさ。なんていうの、夢のデジャブ?」

「夢のデジャブっていうのは珍しいな」

「おまえ、脳の研究してたんだから、デジャブとか夢とかのカラクリ、詳しいだろ?」

「脳の研究って随分大雑把にくくってくれるな。どんな夢見たんだ?」


 海津は機嫌よさそうにハンドルを指で叩いてリズムを取っている。


「えーと……」


 さっきまで、あれほどはっきり感じていた夢のはずなのに、思い出すスピードよりも速く、ぽろぽろと形が記憶の中から崩れ去っていく。


「夢ってさ、見てるときは覚えてるんだけど、目が覚めると思い出せないんだよな。でも、なんか裕二が出て来たような気がする」


 車は大きな弧を描いてインターを降りた。一般道もがらがらだった。


「そりゃ、これから裕二の墓参りに行くから、どこか意識に残ってるんだろ」


 裕二の墓参り。裕二は死んだ。そう、僕と海津は裕二の墓参りに向かっている。僕は突然役を振られた役者のように、目の前の現実が作り物のように感じた。


「裕二はコロナで死んだ。いや、トラックに撥ねられた、いや、火事でに遇って、違う。裕二は……」

「なに言ってんだおまえ?」


 海津は運転しながら、ちらりちらりと怪訝な目を僕に向ける。


「裕二は殺された……」

「おい、本当に大丈夫か? ちゃんと思い出してみろ、裕二がどうして死んだか」


 海津の声はなかば怒気が含まれていた。


 僕は大きく息を吸って、ゆっくりと記憶をたどる。紛うことのない、確かな記憶を。僕は記憶を言葉にする。


「裕二は……、事件に巻き込まれた。直接の死因は焼死だったけれど、他殺の可能性が強かった。裕二は死ぬ直前に警察に通報していた。そのテープをなぜか警察は出したがらず、弁護士や議員の先生にも動いてもらってやっと出させた。テープは裕二の声と物音が入ってはいたが、裕二の声以外、人の声は聞こえなかった。何しろ、綺麗さっぱり燃えちゃってたから、争った形跡とかも見つけられず、警察の捜査はおざなりだった。特に、事件だって主張したのは海津、おまえだったよな」


 海津は何度も頷いた。


「自殺の動機も不明。裕二がガソリンを購入した経緯も不明。自殺だとしたらなぜ警察に通報した? それに、録音に残されていた物音。明らかに自殺じゃない。警察はなにかを隠している」


 僕もそれは思った。だが、警察は証拠がないの一点張りだった。


「あのとき、現場にいた彼女、あと、おまえも通報してくれたんだっけ?」


 海津の顔が怪訝そうに歪んだ。


「ちょっとまて。なんでおれが通報するんだ?」

「ん? 通報してくれたんじゃ……、ってそんなわけないよな」


 海津は無言になってしまった。


 寺の駐車場は車で埋まっていたが、ちょうどよく、目の前の車が一台出た。


 海津は車を止めた後も無言で、降りようとしない。


「おい、どうした?」


 海津はためらいがちに僕の方を向いて、


「ずっと黙ってたけど、裕二が死んだあの日、おれはあの現場のそばにいたんだ」


 それは、驚くべき告白のはずなのに、僕はなぜだか自然に受け止めていた。


「なんで、おまえが裕二のところにいたんだよ?」


 海津はエンジンを切った車の運転席に凭れるように座りながら、迷うような口調で、


「帰りにさ。おまえんち寄ってもいいか?」


 いま話せないようなことなのだろうか。ただ、無理に聞くべきではないと思った。海津の提案を了承した。


「ありがとう」


 と海津は言った。


「なに隠してんだよ?」

「なにも隠しちゃいない。だって、おまえの記憶のどこかに、あるはずだから」


 そう言われても、思い当たる節はひとつもなかった。


 僕たちは車を降りて寺の門をくぐる。秋の風が頬を引き締める。喪服姿の集団が、そちこちに屯して法要の順番を待っていた。


 本堂の前を通るとき住職と目が合った。僕は会釈し、


「すごい、混んでますね」

「ああ、内田さん。ご覧の通りの忙しさです。坊――」


 住職が言おうとする言葉の前に、


「坊主まるで儲からず」


 と僕は口を注いでしまった。


「おっと、言われてしまいました」


 柔和な瞳で、和尚は喪服の集団の方へ去った。


 僕はこの光景を知っていた。それも、一度や二度ではないような気がする。


 裕二の墓がある丘を登っていると、上から一人の女性が降りてきた。二十代後半、三十代くらいだろうか、小柄な女性だった。どこか見覚えがある。


 海津が僕を小突き、


「おい、あれ、裕二の彼女じゃないか」


 あの頃よりも、大人びていたが、言われてみれば間違いなく当時裕二と付き合っていた高橋由奈だった。裕二の死後、事件性を警察に認識してもらうため、彼女とはいろいろと動いた。


 彼女も僕たちに気付いたようで、はっと息を呑んで立ち止まる。僕たちは二人で雁首並べているので分かりやすかったかも知れない。


「お久しぶりです」


 会釈をして彼女は言った。


「お久しぶりです。弟の墓参りに来てくれたんですか?」


 彼女は恥ずかしそうに頷いて、「はい」と答えた。


「ありがとうございます。弟も喜びますよ」


 彼女は首を振る。


「でも、わたし初めてです。裕二のお墓に来るの。裕二の事件、犯人を捕まえるまでは来ないつもりでいました。犯人見つけて、裕二に報告しようって思ってたのに……」

「まだ僕は諦めてませんよ」


 彼女は急に涙を流した。ぽつりぽつりと。


「わたしはもうだめ。タイムリミット」


 彼女はモバイルを示す。寿命はあと二日だけだった。反ワクチンの彼女は最後まで抵抗したが、結局ワクチン接種義務違反で逮捕、強制接種となってしまった。


 僕は近くのベンチに彼女を座らせる。


「犯人を捕まえるどころか、手がかり一つ見つけられませんでした」


 悔しさを滲ませていた。


「仕方ないです。僕もいろいろ調べましたけど、全て燃えてしまったし」


 彼女は首を振る。


「違うんです。わたしがもっとちゃんと、彼のことを信じていれば、彼は死ななかったかも知れない。未来は違っていたかも知れないんです」


「どういうことですか?」


 と海津が口を挟んだ。


 高橋さんは大事なことを伝えるように、しっかりとした口調で言う。


「わたしも最初は半信半疑でした。でも、未来は裕二が言ったとおりになった。あの日、裕二はなにが起きるか知っていた。知っていて、あの部屋に戻った。わたしが百パーセント彼を信じていたら、他に出来ることがあったのに、結局なにも出来なかった。達也さんも本当はご存じだったんじゃないですか?」


 突然振られて、僕は混乱した。僕は一体なにを知っているというのだろうか。


「すみません、僕がなにを知っているんですか?」

「裕二は突然性格が変わりました。2021年の九月にコロナに罹って退院してきてから。それに、性格だけじゃない。筆跡も変わってた」


 高橋さんはなにかを訴えかけるように僕をのぞき込む。僕は彼女に何かしたのだろうか。


 裕二の性格が変わったとは特に思わなかった。急にワクチンを打つなとか言ったときは驚いたが。裕二とは食事会を予定していたが、急な仕事が入って行けなくなってしまった。その日、理恵だけ裕二と会って、裕二君なんか大人っぽくなったよね、自信みたいなのがついたって言うか、などと帰ってきて言っていた。結局、裕二が九月に退院してから、会ったのは結婚式の時だけ。


 彼女は続ける。


「退院して戻ってからの筆跡は、達也さん、あなたとそっくり。兄弟だから似ていてもおかしくないけど、裕二は本当に字が下手だった。でも、裕二の死を一緒に調べていたとき、あなたのメモは走り書きだったけど、調っていて、それは、性格が変わった後の裕二のものとすごく似ていて、わたしは、ひょっとしたらあなたが――」


「高橋さん、そんなこと、あるわけないじゃないですか」


 海津が小馬鹿にしたように言う。


「分かってます。わたしがバカみたいなことを言っていること。でも、この世界も、世界中の人間にワクチンを打って、七十億人が死んでしまう。わたしもあと二日で死んでしまう。本当にバカみたいなことが起きてしまった。裕二はこの未来を知っていた。それを止めようとしていた。海津さん、あなたがワクチンを虚偽接種したのだって、世界がおかしいことを知っていたからでしょ?」


「それとこれとは別の問題だと思います」


 高橋さんは寂しそうに頷いて、でも、決意に満ちた声で、


「未来を、あなたたちに託します」


 高橋由奈は一礼して門の方へ降りていく。僕はその小さな背中から目が離せなかった。彼女の背中はあんなに儚かっただろうか。まるで、ふっと消えてしまう陽炎のようだった。

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