第六章 そして僕は殺され続け

You do have personal liberties, but you are a member of society. But you have a responsibility to society. There comes a time when you do have to give up what you consider your individual right of making your own decision for the greater good of the society.


Dr Fauci October 1, 2021



あなたたちは社会の一員であり、社会の一員としてあらゆる恩恵を受けているのだから、社会に対する責任を負わなければならない。特にパンデミックでは何百人も死んでいるのだから、より大きな社会的利益のために、自己の判断という個人的な権利を放棄しなければならない時が今やってのだ。


ファウチ博士 2021年10月1日





―2021年―




 僕は転んでいた。左の頬とアスファルトが密着している。


「大丈夫ですか?」


 通行人が駆け寄って、僕を起こしてくれた。どういう風に、いつ転んだのか分からなかった。頭を打ったような痛みが残っていたが意識ははっきりとしていた。頬を撫でると張りついていた小砂利がぽろりと剥がれる。僕は起こしてくれた人にお礼を言って、曖昧に笑って見せた。


 なぜ、昼間? 空が青い。さっきまで僕は海津と僕の部屋にいて、それで、海津の研究したという薬を飲んで……。


 わき上がるように、様々な記憶が脳に押し寄せてきた。そして、これまでの記憶が一本の線につながった。そうだ、これは裕二の体だ。僕は前の世界で、理恵の死の後、自殺をしようとして、なぜか2021年の死んだはずの弟の体に入り、弟の体で数週間暮らし、結婚式に向かう途中トラックに撥ねられて、再び2031年に戻った。そこで、海津の薬品を飲んで、また弟の体に。


 最初自殺したあの日、海津は病院に現れた。ひょっとして、あいつは僕の青酸カリと中身を入れ替えて……。


 目の前には、僕がトラックに轢かれた交差点があった。まずい。何かが僕の体に語りかける。異様なエンジン音が向こうの方から近づいてくる。僕は咄嗟に飛び退けるように、交差点を離れた。


 次の瞬間、大型トラックが信号待ちをしていた人々に突っ込んで轟音と供に砂埃を上げる。押しつぶされた何体もの人間から血が流れる。あとコンマ五秒遅かったら、僕も肉塊に変わっていた。悲鳴や怒号が飛び交う。


「なんなんだよ、これ」


 僕は呟いた。そして、トラックの下敷きになっている人で、まだ生きている人たちの救助に加わった。数分もしないうちにレスキュー隊が駆けつけ、僕たち素人を下げた。黒い礼服は砂埃の薄化粧が施されていた。それを入念に払って、この時代の達也の結婚式場へと向かった。


 式場は交差点での地獄絵図が幻であるかのように、軽快なクラシックが流れ、和やかな雰囲気に包まれていた。式は始まってしまっていた。僕はチャペルの後ろに静かに座り、この時代の僕と理恵が口づけを交わすのを、古いホームビデオを見る気分で眺めていた。


 教会の外へ移り、金を鳴らす。ブーケトス。記念撮影。海津はカメラ係もやっていて、忙しそうに撮影をしていた。ゆっくり話せそうもなかった。とにかく、必ず伝えなければならない。今日陽が西から昇った、と。


 披露宴までの空いた時間に、さっそく海津に伝えようとしたが、僕は係の人に呼び止められ、親族用の控え室に案内されてチャンスを逸した。


「兄貴、おめでとう。ごめん、遅れた」

「いや、それより、そこで大事故があったって聞いた。大丈夫だったか?」

「うん。ギリギリ、大丈夫だった。すごかったぜ、目の前にトラックが突っ込んで」


 前の僕はあのトラックの下敷きになった。それを思い出すと、ちょっと笑えない。


「よかったよ、おまえが無事で。ほんと、よかった」

「先輩にも挨拶してくる」

「あ、たぶん着替えてるから、披露宴の時でいいんじゃないか」


 この時代の僕の言うとおりだ。僕は僕の結婚式の段取りを忘れてしまっていた。


 僕は親族席。両親のいない僕は、理恵の両親や叔父、叔母と纏められていた。そう。この席次は随分苦労した覚えがある。五十人ほどのささやかな披露宴だ。理恵の両親も母親があと五年、父親が七年で亡くなる。この叔父と叔母も僕たちよりも早くに亡くなった。十年後の僕と理恵は二人とも孤独で、お互いだけが身内だった。


 でも、この時間軸の僕の一番の幸せは、僕の意識が乗り移っているとはいえ、弟裕二が式に参列していること。最初の時間軸では弟は死んでいて、弟が座るはずのテーブルには遺影を飾った。式を取りやめるよりも、そうした方が弟が喜ぶと思ったから。でも、正直複雑な心境だった。


 次の時間軸、式直前に弟がトラックに轢かれて死亡した。一体僕はどういう反応を示したのだろうか。考えたくなかった。


 海津は余興の出し物の準備があるようで席にいなかった。


 ファンファーレが鳴り響く。灯りが落とされて、開場の入り口にスポットライトとが向けられる。ゆっくりと扉が開き、僕と理恵が腕を組んで入ってきた。僕は幸せそうな顔をしていた。自分の結婚式を生で見られるなんて、普通じゃ考えられないこと。いま裕二の体に入っている僕も、幸せな気分だった。


 理恵は綺麗だった。十年前の僕は理恵のウエディング姿をゆっくり眺められなかった。僕自身が当事者で、やらなければならないこと、気を遣わなければならないことが山積みだった。彼女の美しさに心打たれている余裕がなかった。今は、その姿を眺めることが出来る。あくまで、式を挙げているのはこの時代の僕だ。だから、十年後からやってきた僕は、ひょっとしたら父親のような気持ちでいるのかもしれない。彼らの幸福を祈る、年長者の一人として。


 僕には彼らの幸福を護る仕事がある。泣いてしまった。一回目の世界では、理恵は僕よりも先に、僕の見守る中死んだ。二回目は、まだ生きていたけれど、三年後に死ぬ。そんな世界から僕はやって来た。この時代の僕も理恵も、まだワクチンを打っていないはずだ。今ならまだ助けることが出来るはずだ。


 主賓の挨拶が終わり、乾杯となった。裕二にとっては本来知らない人ばかりだろうが、新郎側の席はみんな僕が招待した客だ。僕は一人一人に挨拶して回る。懐かしい顔ぶれ。もちろん、弟だということは忘れずに。


 そして、海津の正面に立った。海津は若かった。見た目と言うよりも、雰囲気が幼かった。接種義務違反で逮捕され、すべてを失い、社会から爪弾きにされ辛酸を舐めつくした、昨日の海津とは別人のように見えた。


「海津先輩。今日はありがとうございます」

「おう、裕二。しばらく見ないうちに随分大人っぽくなったな」

「もう大人というよりおじさんですよ。先輩より十歳くらい年上かな」


 バカ言ってんじゃねぇよ、と笑う海津の耳元に、


「今日陽が西から昇った」


 と呟いた。


 海津の顔が一瞬で凍り付くのが分かった。そして、その奥から、歓喜のようなものがわき上がってくるのも。


 海津は席を立つと僕の肩を抱くようにして会場の外に連れ出した。出るや否や、我慢しきれないといった感じで、


「裕二、おまえは、誰だ?」

「おまえの実験は成功だ」

「ああ。そうみたいだ。信じられない。本当にそんなことが起こるなんて。とにかく、おまえは誰なんだ」


 僕は扉の向こうの高砂を指さして、


「あそこに落ち着かないで座ってるやつだ」

「達也か?」


 僕は頷く。


「僕は裕二じゃない、達也だ」

「達也、おまえ、どこから来た?」

「2031年」

「おれの薬は……、いや、やめよう。これ以上は聞かない。先入観こそ発明を駄目にしてしまう」

「だが、そんな呑気なことを言ってる場合じゃない。十年後の世界は文字通りデストピアだ。だからこそ、おまえの怪しい薬を僕は飲んだんだぜ」

「とにかく、詳しい話しは今度、ゆっくり聞かせてくれ」


 僕は名刺を海津に渡す。その名刺には会社のだけではなく、自分の住所も書いておいた。


 海津は席に戻る。このあと友人代表の挨拶が控えていた。僕は海津の挨拶を覚えていた。ウイットに富み、和ませてくれるもの、言っちゃいけないすれすれの話しをして笑わせてくれた……、はずだったのに、今回の挨拶はどこか上の空で、台詞を忘れたようにおどおどして、チラチラと僕の方を見て、早々に切り上げてしまった。


 いくら時空を超える実験が成功したからって、あんなおざなりの挨拶は、この時代の僕に対していささか失礼ではないだろうか。やっぱり、友人代表の挨拶が終わった後に話すべきだったと後悔した。


 コロナ過ということもあり、二次会は設定しなかった。この時代の僕と理恵は明日からの旅行の準備に取りかかる。国外は無理だったので、国内旅行。結局、僕たちは一度も海外へは行かなかった。


 海津は友人達と飲みに行くという。そういう約束になっていたようだ。去り際に、彼は僕の耳元に口を近づけ、


「風が吹けば桶屋が儲かる。時間の改変はどんな些細なことでも、将来なにが起きるか分からない。このことは誰にも言うな。おまえが未来から来たことを知られないようにしろ」


「なんで?」


「おれがそんな技術を造ったということは、未来から現在に来ているのはおまえだけじゃないかもしれない、ってこと」


 地球以外に生命体はいないと考えるのが非合理なように、未来から来た人間が自分だけというのも非合理だ。もし、僕よりも先にこの時代に来ている人間がいたら、その人間は必ず海津を観察しているはずだし、海津と接触する人間を観察するはずだ。


 ただ、僕はもうツイッターなどに未来の話しを書き込んでしまった。この時代の人間があれを見ても荒唐無稽だと思うだけだけれども、未来から来た人間が見たら、一発でなんのことか分かってしまう。それを考えるとゾッとした。だけど、逆に未来の知識がある僕は、この時代に存在する未来人を見つけることだって出来るのではないだろうか。僕と同じようにツイッターなどに書き込みをしていないだろうか。


 いや、僕が最初に書き込みや軽率な行動をしてしまったのは、意図せずに過去に戻ったからだ。今回のように、明確な意志のもと過去に戻ったのなら、そんな軽率なことはしないだろう。


 今日のデモは特に何ごともなく、無事に終わりました。


 届いた由奈からのラインにはそう書かれていた。


 僕は一度死んで、再び未来から来たこと、海津と会ったこと。そんなことを返信に書いていたら、やたらに長文になってしまった。それに、こんなことはラインで告げるものじゃない。データとして残すのもよくない。その文面を消去して、手短な返信をしようとしたが、電車を乗り換えたり、晩ご飯を食べているうちに返信するのを忘れてしまった。

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