金曜はちょっと仕事が伸びたので、今日も由奈と一緒に晩飯を食ってから帰る。まだ八時前なのに入った店がアルコールラストオーダーになってしまい、店を変えるのも面倒だったので、コンビニでビールを買って僕の部屋で飲む。


 由奈は缶ビールをパシュっと開けて、


「会社の中ではもうわたしたち付き合ってることになってるみたいだよ」


 と由奈はにやにやしながら言う。


 その噂はもう僕の耳にも届いている。いつも昼を一緒に食べて、一緒に帰って、いまはこうやって僕の部屋で一緒に飲んでいる。そう判断されるだけの材料は揃っている。


「それでも、僕たちは付き合っていない」

「それでも地球は回っている、みたいに言わないでよ」

「恋人じゃなくて、同士、だろ?」

「同士が恋人だっていいんじゃない?」


 由奈のことが嫌いなわけではなかった。むしろ好きだった。でも、僕には妻がいた。妻は死んでしまったが、気持ちの切り替えは出来ないし、この時代には、死んだはずの妻が生きている。その妻はこの時代の僕の妻だから、十年後からやってきた僕が恋してはいけない存在。それに、この体は弟のものだ。もし、僕の心が消えて、弟の心がこの体に戻ったとき、由奈を悲しませてしまう。


 恋愛観や、会社の話し、もちろん、これからのワクチンの話などをしながら、僕たちはそれぞれ三本ほどビールを飲む。


「裕二、今週の日曜もデモあるよ。前回よりも派手になるか、大人しくなるか。どうする? 行く? わたしは行く」

「ごめん、その日兄貴の結婚式」

「あ、そういえば、言ってたね。日曜だって。じゃ、わたしはそろそろ帰ろうかな」


 時間を見ると十時四十分だった。


「駅まで送るよ」

「ありがと」


 由奈は缶の底の方に少し残っていたビールを呷った。携帯を鞄に放り込んで立ち上がったときだった。嫌な呻りのようなものを感じた。そして、次の瞬間、揺れ始める。


「由奈、デスクの下に入ってろ」


 彼女の腕を取って、デスクの下に押し込む。本棚に適当に積んであった本が数冊落っこちる。僕は本棚自身が倒れてこないように押さえる。


 揺れはしばらくして止んだ。3.11ほど大きくはなかったが、それなりに大きな地震だった。


「あぁ、怖かった。結構大きかったよね。久しぶりに」


 彼女は机の下からゆっくり出てくる。


 僕は思い出した。結婚式の直前に地震があって、親父の形見のマグカップが、テーブルの端から落っこちて割れてしまったんだ。


 緊急地震速報などを見ると、余震に注意と出ている。


「おまえ、余震、来るかもしれないって」


 由奈もスマホを見ていた。


「電車は止まっちゃってるみたいだけど、タクシーで帰るよ」


 確か、記憶では余震らしい余震はなかったはず。でも、万が一余震があったら危険であることは確かだ。


「べつに、泊まってってもいいよ」

「そんなことしたら、付き合ってるみたいじゃない?」

「大丈夫――」

「それでもわたしたちは付き合ってない」


 と僕が言おうとした台詞を由奈は奪った。


 由奈は一人暮らしだと思っていたら、実家暮らしだったようで、母親に友達の家に泊まってくる、と電話していた。


 僕はこの時代の僕に電話をかける。この前の電話でしこりが残っていたが、それよりも僕は歴史が変わっているかどうかの確認をしたかった。


 互いに安否を確認した後、


「僕の方は、本棚から本が落ちてきたりした。ところで、兄貴、なんか壊れたりしなかった?」

「いや、なにも」

「親父の形見、あのNoritakeのマグカップ、大丈夫?」

「大丈夫もなにも、今それで珈琲飲んでるよ」


 やはり、歴史が変わっている。微妙に、目に見えない範囲だが、歴史は変わっている。


「ちょっとコンビニ行ってくる」


 由奈は鞄を手に取る。


「僕も行くよ」

「大丈夫、一人で」

「小腹空いたから、なんか買う」


 由奈はさっさと鞄をもって出て行ってしまったので、僕は追いかける形になる。コンビニで由奈は下着を買っていた。僕はコッペパン。彼女も食べるかもと、一応二つ買った。


 コンビニまでは二百メートルほどだった。湯島はラブホテルが多い。彼女はそのひとつを見上げて、


「飲食店は休業要請だけど、ラブホテルに休業要請はないのかな?」

「聞かないよね」

「絶対、ラブホテルの方が感染すると思うんだけど」

「そもそも、飲食店で感染するっていうのも設定。逆に電車はどれだけ混んでても感染しない設定」

「ラブホテルも感染しない設定なんだね。少子化対策」


 十一時を回ると、流石に道を歩いている人は減る。朝とはまるで別の場所にいるような、静かな夜の東京が僕は好きだった。静かな東京というのは、うるさい東京があって初めて存在する。十年後の未来では、もううるさい東京はない。


 部屋に戻って、僕はユニットバスを簡単に清掃した。


「もしよかったら、シャワー、使っていいよ」

「じゃ、そうさせてもらおうかな」

「なんか、パジャマに出来そうなもの、あると思うんだよね」


 クローゼットをかき回す。弟は意外に衣装持ちで、所狭しと服がしまってあった。いくつか引き出しがあって、その中に雑然と詰め込まれていた。なにか、スエットのようなものがあれば、サイズは大きいが着てもらうことが出来るだろう。由奈は後ろからクローゼットに顔を突っ込んでいる。


 引き出しの中の服を適当に取りだしていると、その奥からコンドームの箱が出て来た。


「あれぇ、裕二君、そんなの使う相手いるんだ?」


 目ざとく見つけて由奈がからかう。

 弟に恥を掻かせるわけにはいかないので、僕は強がり、


「あたりまえだろ。健康な青年男子だぜ」

「でも、それ、未開封だよ」


 未開封な上に、箱をよく眺めると、消費期限も切れていた。弟、しっかりしろ。


「ぼ、僕は、たぶん、ナマでやるタイプ」


 言い訳どころか墓穴を掘っていた。


「アンタ、最低だね」

「うるせぇ。ほら、これ着られそうだぞ」


 灰色のスエットの上下が出て来た。それと、バスタオルを由奈に渡した。

 会社のみんなには秘密にしておいてあげるから今度一杯おごってね、とニヤニヤしながら、浴室に入っていた。

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