第四章 生きている妻
壱
第四章 生きている妻 01
効果は有効率95%です。相当効果があります。いつものインフルエンザのワクチンよりも相当効果がある。だから、若い人にもぜひ打ってもらいたいし、いろんな国の様子を見ていると、たぶん発症しないとか、重症化しないだけじゃなくて、ワクチン打ったらたぶん感染しないってことも言えるんだと、だんだんこういろんな研究を見ると、感染しないって言えるんじゃない? って所まで来てるんで、そうすると、まず自分がかからないし、自分がその症状が出なくてもかかってると人にうつしちゃいますよね。だけど、自分がかからなくなると、そういうことで人にうつすことがないので、周りの人も護るってことになるから、そこはぜひ若い人にも打ってもらいたいと思う。
河野太郎 ワクチン担当相 2021年7月2日のYoutube 6:57より
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日曜日。この時代の僕と理恵との待ち合わせは、御茶ノ水駅、水道橋口に十八時だった。一時間ほど早めに行って、楽器店がならぶ坂を下る。古本や書道具をぶらぶらと眺め、三省堂書店で時間を潰す。書店の入り口には新聞が積まれていた。どの新聞の一面も昨日のデモだった。僕は適当にいくつかの新聞を購入した。
十七時半くらいになりこの時代の僕からラインが届いた。
【急な仕事が入って行けなくなった。理恵だけ行くから。好きなものなんでも食べて】
やっぱり記憶の通りだった。結婚式の一週間前の打ち合わせの後、新店舗で問題が起こって、僕は夕方駆けつけた。この時代の僕も、同じ歴史をなぞっている。
ただ、歴史では、このときすでに弟は死んでいて、弟との待ち合わせなどはしていなかった。僕が弟の体に入り、弟が生き続けることによって、歴史は変わっている。
だとすると、この新聞に載っているデモも、変更された歴史の賜物かも知れない。それは、僕がこの時代に来てしまったために起こったのか、それともは関係なく、パチンコの玉のように、歴史というものは流れるたびに違う軌跡をたどるのか。
そんなことを考えながら、改札に背を向けて、スクランブル交差点を行き交う人々を眺めていた。腕時計に目を落とすと、十八時を五分ほど回っていた。
僕が影響を与えたにしろ、そうじゃないにしろ、歴史が違う軌跡をたどったということに僕は興奮を覚える。それは、違う未来を作る事が出来る可能性があるということだから。
「ごめん、裕二君、待った?」
その声に振り返ると、理恵が僕に手を振っている。 2031年に死んだ理恵。僕の妻。生きている。言葉が出なかった。
「……裕二君、ごめん、怒ってる?」
「え、いや、全然、そんなことないよ。理恵……先輩」
僕と弟は同じ高校だった。だから、弟と理恵、海津も同じ高校。弟は理恵や海津のことを先輩と呼んでいた。
「ごめんね、達也さ、突然仕事入っちゃったみたいで」
「いいよ。平気。さっきラインもらったし」
僕たちはどこへ向かうのでもなく歩き出した。とりあえず、線路沿いに、聖橋口まで行って、ニコライ堂を右手に見ながら本郷通りを下って小川町の方へ。
「裕二君、コロナ罹ったんでしょ? 大丈夫だった」
「全然大丈夫でしたよ。もう治ったし」
「後遺症とかは?」
僕はジェームズ・ボンドよろしくニヒルに笑って見せた。ちょうどノー・タイム・トゥ・ダイが公開された時期だ。007でもこのワクチンの陰謀は止められなかったということだ。
「大丈夫そうだね」
僕の仕草を見て理恵は笑った。
「なに食べましょうか?」
「なんでもいいよ。回復祝いだから、なんでも奢ってあげる」
「それは迷うなぁ」
僕は今の彼女を知っている。これからの彼女も知っている。彼女はこれから、この時代の僕と結婚し、いろいろなことをして、多くの場所に行き、時には喧嘩もして、仲直りして、たくさん話し、数え切れないほど笑う。結婚式の時、本当は流暢に日本語を話す外人神父がわざとらしいカタコトで言った、「死ガ二人ヲ分カツマデ」愛しあった。少なくとも僕はそう信じている。
靖国通りから一本入ったところにある肉バルにした。
緊急事態宣言が終わり客足が戻ったものと思っていたら、店内は僕たちともう一組しかいなかった。席ごとにカーテンで仕切られ、アクリル板が乱立していて、あまりいい気分はしない。僕はアクリル板を横にどかした。
マスクとアクリル板が消えない限り、店に客は戻らない。マスクを付けたり外したりしながらする食事は鬱陶しいことこの上ない。堂々とみなが外せばいいのに、誰か一人付けていると、気を遣ってしまうのかも知れない。結局マスクが外れたのは、2026年にワクチン副反応が公になり、コロナの茶番が白日の下にさらされ、死が手の届くところまで来てからだ。
肉料理がつぎつぎ運ばれてくる。僕は結構肉好きである。弟はそんなに肉が好きではなかったかも知れない。チーズや肉を摘まみつつ、ワインを飲む。美味しい。
「なんか、二人でこうしてると、面接みたいだね」
理恵が唐突に言った。意味が分からなかった。
「面接?」
「わたしが裕二君の義姉に相応しいかどうかの面接」
「なるほど。面接だ。厳しくチェックしなきゃ」
「うわ、緊張してきたよ」
「大丈夫。合格しました」
「早っ、なにそれ」
理恵は笑った。
「それでは、合格お祝いを進呈します。兄貴にも渡しといてもらっていいですか」
僕は裕二が過去の僕のために買った時計と、十年後の理恵に渡そうとして渡せなかったネックレスを、目の前の理恵に渡した。
「え、ちょっと、悪いよ。達也のはともかく、わたしがもらっちゃったら」
「お義姉さん、遠慮しないで」
理恵は僕のプレゼントを取り出し、
「え、だって、これダイヤモンド」
「結婚十周年と被っちゃうかも知れないけど、その時は兄貴になんか別なもの、もらってください」
理恵はプレゼントを包み直して鞄にしまう。
「ありがとう。なんか気を遣わせちゃって」
「気なんか遣ってない。二人には幸せになってもらいたい。いや、絶対幸せになるんです。僕が保証します」
「なんか、裕二君、キャラ違くない?」
「だれに似てます?」
「わからないよ。そんなこと」
理恵はくすくすと目を細める。
その通り。僕は裕二じゃない。これから十年間、君を愛した達也だ。そのことが告げられないのが悔しい。
「その新聞、昨日のデモ?」
僕の開けたままになっている鞄の中身を、理恵が指さす。
「あ、はい。そう」
僕は三紙とも取りだして机の上に並べた。
理恵は新聞をのぞき込み、
「ニュースだと、非正規、若者達の暴動だって書いてあったけど、SNSとか見るとワクチン反対のデモだったみたいだね」
「どうしても反ワクチンは報道したくないらしいです」
「ねぇ、裕二君。ワクチン打った?」
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