参
エクレアとシュークリームをかじりながら、いろいろと教えてもらう。由奈は裕二が取り組んでいた仕事、プロジェクト、得意先、記事の分野、などPCのファイルを開きつつ丁寧に教えてくれた。僕は三杯も珈琲を飲んでしまった。
「サンキュー。月曜、どうにかなりそうな気がしてきた。腹減った。飯行こう、って八時すぎちゃったな」
時計を見たら八時どころか九時を回っていた。
「やってるよ。ファミレスじゃなきゃ」
僕たちはアメ横方面へ向かって歩いた。閉まっている店も多かったが、開いている店も確かにある。夜の東京は十分すぎるくらい人がいた。感染者は激減。明日から緊急事態宣言が解除される。
「緊急事態って言っても人流変わらないよな」
「だって、緊急事態ゴッコだもん」
思わず笑ってしまったが、笑い事ではない。緊急事態ゴッコのために、多くの店が潰れて、自殺者が増えて、ワクチンが打ち込まれている。
ヘイらっしゃい! と威勢のいい居酒屋に入った。店はごった返している。行政からなにを言われたところで、明日から解除だからどうってことはない。
二人とも生。唐揚げやたこわさを頼む。由奈はスマホをいじくっていて、「ぎゃーっ」と妙な声を出す。
「どうした?」
「Uma先生の動画が消されてる」
「なに、Uma先生って?」
「知らないの? JPUmaDoctor。youtubeでワクチンの情報とかすっごく詳しく解説してる人」
「youtubeの検閲か」
「youtubeほんとひどすぎ。Uma先生はお医者でちゃんと論文とか読み込んで、それで解説してくれてた。『……たぶん二回打つとその効果が長く続く。……打つとたぶん感染もしない』とか思い込みでホラ吹いてるデマ太郎大臣の動画こそ消されるべき」
由奈の怒りはもっともだ。だが、この時代、もっともな怒りを多くの人々は感じていない。そう。僕たちはこんな素人の、希望的憶測を述べる大臣を信じて、ワクチンを打ってしまったんだ。僕もスマホをいじくる。
「ほんとだ。登録しておいたいくつかの動画、削除されてる」
「アルファベットにはライフサイエンスって部門があって、そこがマイザーと協業してるんだよね。どこの世界もお金。『酷い殺しも金ゆえだ。恨みがあるなら金に言え』ってことかな」
「なにそれ?」
「村井長庵」
「だれ?」
「医師だよ」
「非道い医師だな。正直だけど」
「江戸時代の人は正直」
江戸時代から、医は算術なり。よく言ったものだ。ただ、ガルシアの本当の目的は金ではないのではないか。
「金が目的ならまだいいんだけどね」
僕は人々が次々と死んでいく未来を思い出して呟く。
「目的はお金じゃない?」
「由奈は知らないだろうけど……」
「なに、また未来の話? 『未来を見てきた僕がエビデンス』」
と彼女は僕が前に言った台詞を物真似口調で言って笑った。
どうしたら、僕が未来で見たことを信じてもらえるだろうか。そんな疑念にビールをぶっかけながら、僕は未来の話をする。
「このあとまたナントカ株っていうのが流行初めて、首相はマイザーの新型コロナの経口治療剤とかいうのたくさん買って、また収まって、また流行って、ワクチン買って、薬買って、また収まって、また流行って。……結局、コロナ騒ぎが収まるのは、ワクチンの致死性が明らかになり、接種が中止されてから。接種が中止されたらコロナは嘘のようにピタリと消えた。結局、コロナのためのワクチンや経口治療剤じゃなくて、ワクチンや経口治療剤のためのコロナで――」
店員がラストオーダーを伝えに来た。
頼もうか、頼むまいかと迷うも由奈は、明日も会社だから、と終わりにした。お勘定を払う。明日から十月だ。夜風はひんやりと、酒でほてった体を冷ます。十一時近くなるとアメ横も人通りが減ってきた。
「明日台風でしょ。行きたくないな。裕二はいいね、四連休」
由奈は帰るのだろうか。足は御徒町の駅に向かっていた。天気アプリを開いたり、お互いのツイッターのタイムラインを見せ合ったりしていたら、すぐに駅に着いてしまった。泊まっていく、と言われたらどうしようか、という心配は取り越し苦労だった。
「じゃな。今日はありがとう」
「ううん。ゴチになっちゃった」
「気をつけて帰れよ」
彼女は改札に足を向けるのを躊躇っていて、
「ね、裕二。土曜は暇?」
「うん? 暇だけど」
「あー、えーと」と由奈は口ごもりつつ、「デモとか行かない?」
「ああ、いいね。行く」
彼女は不思議そうに僕を見つめて、
「え、いいの? デモとか誘ったらどん引きされるかと思ったけど、裕二、ほんと変わったね」
「昔の僕ならどん引きしてた。っていうか、その前に、おまえの話にどん引きしてるだろ」
「わたしじゃなかったら、裕二の未来の話、どん引きしてるよ」
「未来の話、信じてくれるのか?」
「もちろん」
じゃ、場所と時間、あとで送るから。と慌ただしく改札を抜けて手を振る彼女を、正直言って、可愛いと思った。彼女は普通の人をデモに誘ったらどん引きされる、と分かっている。自分が周りから白い目で見られていることを分かっている。生きにくさを感じている。人を選んで心の内を明かしている。僕は選ばれたうちの一人なのだろう。そして、嘘か本当か分からないけど、僕の未来の話を信じてくれると言ってくれた。
「なぁ裕二。おまえがこの体に戻ったとき、彼女のことを悲しませないように。わかったか。頼むぞ」
と帰り道、僕はどこにいるか分からない裕二の魂に告げた。
2021年十月一日。その日は台風だった。外では風が吹き荒れ、時折激しく降る雨が窓ガラスを叩く。
緊急事態宣言が解除されたが、台風のせいで宣言中よりも人流は少ないだろう。
YAHOOニュースやツイッターでは、緊急事態宣言が開けてもコロナやワクチンの話題で盛り上がっている。専門家は急激な感染者の激減を適当な理由を付けてごまかしている。正直に分からない、という者もいる。
「東京の感染者は八月末までに一日三万人超、少なく見積もっても七千人超になる」という京都大学教授の予想は豪快に外れた。
彼はどうして外したのだろうか。彼だけじゃない。多くの専門家が恥も外聞もなく桁外れに予測を外している。正しい予測が出来る専門家はいないのか。
いや、実際に正しい予測をしている専門家も、詳しく調べるといるのだ。だが、メディアが出鱈目な専門家ばかりを選んでカメラの前に立たせるので、専門家と言われる連中がみんな出鱈目な存在に見えてしまう。
政府とメディアはどうして出鱈目な専門家ばかりをかき集めるのか。その答えは、このパンデミックの正体を国民の目から韜晦するため、と考えるのが一番合理的だ。
出鱈目な専門家、補助金詐欺の座長、デマを拡散する大臣、目が死んでいる首相。海の向こうでは老大統領が見境のない接種義務に乗り出した。イスラエルは給付金を止め、グリーンパスがないと働けないようにした。
どさくさに紛れてHPVワクチンの積極的勧奨再開。ソトロビマブなる怪しげな新治療薬も登場。
由奈からラインが来た。明日は十時に新宿パルコとのこと。僕は了解と返事を送る。
雨が弱くなったのを見計らって、外へ出てみた。風が強い。小雨を避けるべく傘を開いたら、骨組みが裏返った。
アメ横で適当に食事をして、上野駅の方まで歩き、趣味の書道用品を買おうと昭和通り沿いにある書道用品店の暖簾をくぐる。筆や硯を適当に選ぶ。そんなに金に余裕があるわけではない。硯は安い羅門硯、墨も普及品の安いやつ。筆もそこそこのもの。ただ紙だけは良い物が欲しい。僕は見本をめくって純手漉きに目を付ける。
「これから書道始めるの?」
とそれまで無言だった店主が声をかけてきた。
「いえ、以前やっていたんですけど、また始めようかなって」
「なかなか渋いもの選ぶから、ど素人じゃないと思ったけど」
「ど素人みたいなものですけど、好きで、昔は端渓とか歙州とか持ってたんですけど」
「もったいない。これから、もっと高くなるよ」
曖昧に僕は頷いた。確か来年の今頃から円安が進んで輸入品が高くなる。国内生産の墨や筆はともかく、中国から輸入される紅星牌など十年後にはもう手も足も出なくなっている。
店主がレジを打っている間、レジ付近に置かれていた印材に手を伸ばした。篆刻も少し囓っていて、いい作品が出来たら印を捺さないと、などと漠然と思った。新しい雅号も考えなきゃ。印箱を裏返し値段を見て僕は思わず「
「安い? 最近石の値段も上がってるからね」
「ですよね。でも、これいい石ですよね。最近は値段上がって質が下がってるけど」
「あんた、やっぱり素人じゃないね」
「この石もください」
僕は家に帰る途中、この後の金価格や日経平均の推移を思い出した。そういうことをしていいのかどうか不安だけれども、もし未来が同じ道をたどるのであれば、裕二のために一財産作ることは難しくないな、と迷いが生じた。
部屋に戻り書道用品を広げる。ゆっくりとした一日だった。筆で文字を書きながら考えた。
来年、ワクチン接種法が制定され、ワクチン接種は義務化される。ワクチン接種法が改正されるまでの2026年までの間、国民は年二回の接種が義務づけられる。2026年ワクチンの副反応が明らかになる。それは接種から20年以内に死亡するというものだった。
2031年に妻の理恵が死んだ。あと追うべく僕は自殺を試みる。しかし、目が覚めると2021年の弟の体に乗り移っていた。弟は2021年にコロナに罹って死んだはずだった。だけど、弟の命日に目が覚めて、僕は生き続けている。僕自身、達也としての自我と記憶を持ちつつ、弟の記憶も頭の引き出しには入っていて、人の顔や名前を覚えている。2021年、今この時代にも僕である達也はいる。今この瞬間、2031年から弟の体に入った僕と、2021年の僕がいる。僕が二人いる? 一体僕は誰なのだろうか。弟の魂はこの体に戻ってくるのだろうか。
夕方、由奈が来るかも知れないと、ちょっと部屋を片付けたが、インターホンが鳴ることはなかった。その代わり、この時代の僕からラインが届いた。日曜日の待ち合わせ場所だ。
御茶ノ水駅、水道橋口、十八時。式場との打ち合わせのあと行くから、もし後れたらすまない。
と書かれている。式の一週間前の打ち合わせ。確か、打ち合わせが終わったあと、会社から呼び出されたような気がした。どこかの店舗でなにか問題が起きたような……。しかし、それは今の僕にはどうしようもないことだ。
楽しみにしてるよ、と返事をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます