第4話 吉田寅次郎の企みと将軍の絶望

 麟太郎は茶店の畳みに胡座あぐらをかいて自慢話を語っていた。それを大人たちが数人で囲んでいる。話は熱が籠もっていた。それもこれも店のお花に聞いてもらいたいからだ。

 大人たちにとっても、この少年剣士は英雄だ。歳は関係無かった。麟太郎は自慢の木剣を手に身振り手振りで猫又との死闘を語った。

「でもよお、逃げたってことは、また現れるんじゃねえのかい」

 江戸前の仕事を終えたばかりの若い漁師が聞いた。

「確かに、また現れるだろう。そうしたら今度こそ二度と悪さしねえように叩きのめしてやるさ」

「やっぱりさあ、真剣でズバーッと殺っちまったほうが早くねえか」

 左官の中年男が言った。

「俺は、まだ真剣は持てない。いや、元服げんぷくしても真剣を振り回す気はない。この木剣さえあれば正義を為すことは出来る」

 そんな話を、お花は笑顔で聞いていた。お代わりの茶をちゃぶ台へ置きながら「麟太郎さんは優しいのよね。相手が化け猫でも殺しちゃうのは可哀想だもの」と、この看板娘は声を挟んだ。

 母屋と一緒になっていた馴染みの茶店は火事で焼け落ちたが、新しく建てたばかりの新店舗は奇跡的に難を逃れた。しかも、お花の家族も軽いケガ程度で済んでいる。

 麟太郎は照れながら「それにしても新しい店で働けて良かったよなあ」と気遣いを口にした。

 お花を横目でちらちら確認しながら、茶を手にしたら溢してしまった。

「あちぃ!」

「あ、大変。いま拭くものを持ってくるから」

「なあに、いいってことよ。俺の一張羅いっちょうらも、お花ちゃんの茶が飲みたかったんだよ」

 大人たちは爆笑した。「よ、色男」などと囃し立てる者もいたが、麟太郎は「よせや」と恥ずかしそうに俯くだけで怒りはしなかった。


「おぬしが、あの猫又をやったというのは本当か」


 それまでの雰囲気を破壊する、地獄から這い出すようなダミ声に振り向いた。ねっとりした闇を纏う牢人ろうにん武士が土壁を背に座っていた。

「おう、本当だ。俺がこの木剣で追い払った」

「なるほど。おぬし、名はなんというのか」

 随分と、不躾な質問をしてくるやつだと麟太郎は気を荒らした。けれど、どこかで聞いた声だと不思議な気持ちになった。

「勝麟太郎だ。見ての通り元服はまだだが、剣の腕は島田虎之助師範の折り紙付きよお」

 武士はぐわっと目を開き、麟太郎に迫った。ただならぬ迫力に周囲の大人たちは店を逃げ出した。だが、麟太郎は堪えた。逆に睨み返しながら問うた。

「おっちゃん、人相悪いなあ。俺のダチが居なくなってしもうた」

 その言葉に、ヒヒヒ、と奇妙な声をあげて嗤うや麟太郎の顔をのぞき込みながら言った。

「拙者は吉田寅次郎とらじろうだ。江戸には随分と骨のあるヤツがおるな」

「当たり前じゃ。江戸は華の都ぞ。おっちゃん、どこから来た」

長州ちょうしゅうじゃ」

「……長州。何しに江戸へ来たんか」

「確かに天下の大江戸だ。華は目立つが、しかし闇も多い。おぬしは徳川の世をどう考える。御家人ごけにんなら苦労しておるのだろう」

「苦労なんてし過ぎて何が苦労だか……いや、待て。何故、親父が御家人だと知ってる」

 吉田寅次郎はガハハと空に吠えるように大笑いすると握手を求めてきた。麟太郎がやや躊躇うと「拙者のことが恐ろしいか」と小馬鹿にされた。

「なにを、恐ろしいことなんぞあるか」

 思いっきり手を握ってやった。太くて大きな手だった。

「今回は挨拶に来ただけだ。幕府には一年の猶予をやる。おぬしとも、そのとき、また会おうぞ」

 そう言って茶代を置くと颯爽と人混みへ消えて行った。



  ◆◆◆  ◆◆◆  ◆◆◆



「吉田寅次郎、だと?」

 将軍家慶いえよしは扇子を落とした。

 愚鈍な家臣に苛つき、また自分にも苛つきながら大広間を出ると階下の縁側で庭を見つめた。その植え込みから『影』が声を発した。

 猫又を操っているのは吉田寅次郎である、と。

「それはおかしい。やつはペリーと内通しようとした咎で士籍剥奪、世禄没収の処分を受けて萩の野山獄へ監禁しておるはず」

「おおせながら、寅次郎を名乗る男は責めで獄中死との報告があがっております」

「死んだ? ならばなおのこと、おかしい話しではないか」

「欺かれたようです。死んだのは別人。本物の寅次郎は、いま、江戸を見下し嗤っております」

 家慶はあまりの衝撃に膝を落として震えた。通りがかった家臣がその姿に驚き「誰か、誰かおらぬか」と大声で助けを呼ぶ。家慶はそれを制し、一言「合戦に備えよ」と命令した。

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