第八話

 今川義元は、三河の東の国境に程近い沓掛城くつかけへと前進したのち、元康が沓掛城の西の付け砦、丸根砦を、そして義元率いる前軍が、東の鷲津砦を陥落させたとの報を受け、義元は沓掛城を出立した。


 沓掛城から丘陵地の桶狭間を経て、鳴海城に兵糧を足し、鳴海から一気に北上し、清州城へと攻め込む算段ができている。


 丸根砦も鷲津砦も、半日足らずで蹴散らした。


 それにより、元康が入った南の大高と、北の鳴海を結ぶ販路も安泰。 

 沓掛城から鳴海城へ攻め上がる今川の本陣を、脅かす脅威は何もない。

 

 義元が早朝に沓掛城を出立したとの報せは、深作の屋敷で待機する信長の耳にも届いていた。

 また次々に戻る物見によれば、今は沓掛城と大高城の中間にあたる桶狭間山で陣を張り、人馬の息を休めているとの事だった。


 信長は傭兵部隊に号をかけ、深作の屋敷を馬で出た。

 砂塵をまき上げ、馬の尻に鞭をくれ、朝日に向かい駆けに駆ける。


 深作率いる土豪の衆も、蜂須賀小六率いる川並衆も、そして静も、馬に乗れる者は馬を使い、徒歩かちの者も息を切らしてついて来る。

 歩兵の息が続く限り駆けさせて、今川勢が陣を張る、桶狭間山の山麓まで来て休止した。

 襲撃の前に、ひとまずこちらも人と馬を休ませる。


「殿」

 

 馬を下りた信長に、物見が新たな報せを持ってきた。


「只今、今川の本陣は桶狭間山のいただき付近にありますが、正面の善照寺砦ぜんしょうじへの防御として、善照寺砦と桶狭間山の頂の間に前軍が、折り敷かれる模様にござりまする」

「やはり、そう来たか」

 

 信長は驚かなかった。

 谷底の善照寺砦から桶狭間山の頂までは、一直線に結ばれている。

 ただ、谷といっても水は干上がってしまっている。


 谷底から頂に向かうにつれて、高く細くなっていく坂道に近かった。


 善照寺砦に入った織田方の軍勢から見れば、がら空きに近い正面を放置するほど義元も、こちらを舐めてはいないらしい。


 そして、前衛軍という名の『生きた盾』にされるのは、例により三河の衆に相違ない。 

 つまり今、その浅い谷底まで来た傭兵隊の正面には、貴奴きやつがいる。

 元康自らの指揮のもと、前衛隊が陣を張り、織田軍勢が陣取る善照寺砦に睨みを効かせている。


 信長は物見を下がらせた。

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