第五話

 丸根砦を攻め落とした元康は重治をつれ、延焼えんしょうを免れた物見櫓に駆け上がる。

 丸根砦は丘陵地に築かれた。

 ここから北に十丁(約1キロ)もない距離に鳴海城がある。


 丸根と鷲津砦を突破した先の鳴海城には、東に尾張の善照寺ぜんしょうじの付け砦がある。小高い丘に建てられた丸根砦の物見櫓からは、鳴海城も、善照寺砦も一望の元にする事ができる。

 

 熱田を出た信長の軍勢が、鳴海城の北側を通過して、善照寺砦の方向に進軍する さまも見て取れる。

 総勢三千にも満たないような軍勢だ。


 尾張国の総大将の信長が、率いて決戦に臨む本軍とは思えない。


 まるで前軍であるかのような心許ない数だった。その本軍を、騎乗の国主が率いている。


  目庇まびさしの長い黒漆塗りの兜には、三日月型の金の前立て。

 鼻から下を覆い隠す、 朱漆塗の面頬めんほお。顎の下で兜を縛る組み紐は、煌びやかな金色だ。

 あとは黒の喉輪、大袖、籠手、胴、草摺くさずり、脛当といった、当世具足で身を固め、堂々東へと進軍する。

 

 重治は信長の行く先を注視する元康に、晴れ晴れとした声音で告げる。


「我が軍勢は三万超えに至りまする。三千に足らざる本軍にございますれば、織田は最早もはや、籠城するより他に打つ手はございますまい」

「善照寺にでも、籠ろうというお考えなのだろうか……」

 

 元康は物見櫓の卓の上に一帯の地図を広げさせた。


 大高城の北に位置する丸根砦、また、今川の前軍が陥落させた鷲津砦を追撃もせずに素通りして、善照寺砦に入ったら、織田の次なる情勢は不明になる。

 

 善照寺砦は、三河衆で落とした丸根砦にも、今川義元率いる本軍が陣を張る桶狭間山にも程近い。


 どちらに攻め込む事もできる砦だ。

 

 三河を先に討ちに来るか、それとも本陣の桶狭間山に突撃するのか。

 織田方が出動するまで、わからない。

 しかし、今のうちは見たところ、その先の見えない善照寺砦に向かいつつあるようだ。


 元康は、眉根を寄せて苛立った。

 元康自身も昨日、今日と、ほとんど寝ずに歩き続け、戦い続けて、体力気力も限界に達しつつある。

 そんな主君を慰労しようとする為か、重治は笑い飛ばすように明るく答える。

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