第十五話

 元康は遠見をしていた丸根と鷲津の両砦と、大高城を隔てる黒末川に視線を移し、息を吐く。

 総大将の義元からは、丸根砦を落とせとの命を受けている。

 対して、今川の軍勢は明朝、鷲津砦を攻撃する手筈になっている。


 元康が入城した大高城と丸根砦の間には、この黒末川が流れている。


 馬で川を渡るには、潮が引き、最も川が浅くなる干潮時かんちょうじでなければ不可能だ。その低潮は、満月の今夜から明日の正午までとなる。

 今朝も、夜明け前から深夜になるまで兵達を歩きに歩かせ、ようやく大高にまで辿り着いた。

 馬も人も疲弊ひへいしている。


 だが、その兵卒を明日の未明、丑の刻(午前三時頃)には出陣させ、黒末川を渡らせて、丸根砦に攻めさせなければならなかった。

 

 一方の鷲津砦は内陸部にある。

 義元の軍勢が入城した沓掛城くつかけじょうから鷲津砦へは、ほぼ直進してへと進軍することができる為、容易たやすい戦と言えるだろう。

 

 攻め難い戦は、すべて属国に押しつけて、手柄は自分のものにする。

 今川義元という駿河の大大名は万事において、そういう男だ。


「……では、丸根砦への進撃は」

 

 黙り込んだ元康に重治が伺いを立ててくる。


「明日、丑の刻(午前三時頃)と皆に伝えよ」

「御意」

 

 重治は今川に対して恨み節ひとつ口にせず、杖の音を響かせながらやぐらを下りる。

 己の責務に万事を尽くす。

 それだけだと言わんばかりに雄々しく、凛々しい後ろ姿だ。


 あれらの忠臣の将として、するべき事をするのみと、元康は己にも誓い、天にも誓う。

 仰ぎ見た夜空には冴えた満月が上っていた。

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