第十四話

 大高城に入った元康は、二の丸の月見櫓つきみやぐらから、眼下に広がる尾張と三河の国境を見渡した。


 大高城は、山頂や山腹ではなく、小高い丘に建てられた平山だ。

 そして、伊勢湾に注ぎ込む黒末川くろすえがわの河口の南に位置している。


 黒末川を隔てた北には、大高城と鳴海城への備えとしての、丸根砦と鷲津砦が見てとれる。

 

 月見櫓に佇む元康の背後には、鳴海城への後詰めで重傷を負った吾妻重治あずましげはるが控えている。

 幸い、鉄砲の弾は貫通していて、傷さえ癒えれば大事はないとの医者の見立てを聞いた時、元康は心底胸を撫で下ろした。

 とはいえ、肩や腕、足に晒しを巻き、杖に頼って歩く姿は痛々しい。


「不気味だな」

 

 元康は重治に言うともなしに呟いた。月見櫓には三十近くもの燭台が置かれ、煌々と点された炎が甲冑姿の元康を照らしている。


「……と、申しますと」

「織田が静かだ」

 

 元康はやぐらの手摺りに手をかけた。


「こうも易々と大高城に入れるとは、な……」

「さほど、お気に留められる事では、ありませぬのでは」

 

 重治には信長が、駿河と三河の連合軍に怖気おじけづいたようにしか思えない。


「見ろ」

 

 元康は、月明かりに仄暗く浮かぶ黒々とした砦の一角を指差した。


「丸根砦には四百。鷲津には三百の兵を入れた後、織田は後詰めの兵を一向に増やそうという気配すらない」

「数では敵わぬものとみた織田方は、清須城に立て籠もり、我が軍勢の上洛を見送る腹づもりなのでは、ございませぬか」

「いや、それはあり得ぬ」

 

 ほとんど言い被せるようにして、元康は否定した。断固として突っぱねられた重治が、いぶかるような目を向ける。


「あの御方に限っては、自国を横切る敵勢を黙って見過ごすなどとは、考えられない。あり得ない」

 

 手摺りを握る元康の手に力が込められ、肩が怒る。


「不気味ではあるが……、致し方あるまい」

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