第十三話

「そういえば、随分厳しい養育係がいたって話は聞いてたな。文武両道。非の打ち所のない御家老様だったってな」


「そうだ。平手には何の落ち度もない。実際、平手は何でもできた。茶の湯も和歌もうたも、兵法も剣術も槍も鉄砲も。馬もそうだ。鷹狩りも、平手は馬の手綱を持たず、あぶみだけで操って矢を射った。未だかつて、あれほどの男を俺は知らない」


「大事な国主の嫡男を預けてもらって、張り切ってたんだろうな」

「ああ、何から何まで平手に習った。厳しい、うるさいとうとんだりもした。だが、それが爺の責務だった。厳しくせねばならない理由が平手にはあったのだ。俺を育てたのは平手だが、俺がうつけになったのは、俺の気質だ。決して平手のせいではない」


「けどな。向こうは御家の為にとか、大義の陰に隠れることができるから、何とでも物が言えただろう。だけど、あんたを思い通りにしようとしていた者どもに、逆らう理由が、正論が、あんたの方には何もない。そのまま圧し潰されて死ぬ前に、生き延びようと思ったら、反逆しかない。うつけになるしか他にない」

 

 静はこれまで聞いた事がないような、真摯な口調で言い切った。

 顔も笑っていなかった。

 平手の養育を支配だと言い、そうやって支配しようとする側に、我が事のように憤怒し、珍しく語気を荒げていた。


「……愁傷しゅうしょうな事を言う」

 

 信長は苦笑した。


 平手が支配しようとしていたなどと感じた事はかったが、屈服させられる側に寄り添う静が、ここにいる。

 

「人間、死ぬ前ぐらい愁傷にでもなるもんだ」

「そうかもしれぬ」

 

 静は照れ臭くなったのか、自分の肩にやたらに湯をかけ、落ち着きがなくなった。


 そうだった。

 明日は織田上総介信長おだかずのすけのぶなが、一世一代の大博打。

 それも一日限りの決戦だ。


 静と二人で話し込み、束の間だったが、すっかり忘れてしまっていた。


 静は満月を見上げていた。

 信長も、つられるように夜空を見た。

 そして、その頃、今川の大軍勢は沓掛城くつかけじょうへ、元康の軍勢は一糸乱れぬ整然さのまま、大高城へと入城した。

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