第六話 

 すわ、熊か。

 深作は身をひるがえして、腰の刀に手をかける。

 だが、立ち並ぶ杉の幹の間から、うっそうと茂る熊笹くまざさや、野草を踏みしだきながら現れたのは少年だ。


 両袖を外した単衣の着物は、だらしなく肌け、肩口から出た長い腕は、擦り傷だらけになっている。

 右手には弓を持ち、弓筒を背中に斜めに背負っていた。


 深作は、総髪を高々とくくった少年の、黄色の組み紐に目がいった。


 あの色艶は絹だろう。


 粗末な身なりにそぐわない、高価な絹の組み紐で、髪を結わえる少年がいるとするなら、ただ一人。

 その推測が事実なら。

 いや、推測ではなく事実だと、自身の中で言い換えた。一気に鼓動が逸り出し、喉が詰まったようになる。


「き、……貴様、ここをどこだと思っている!」


 棒立ちになる深作の傍らから、進み出たのは市松だ。

 山奥から林道に、一人で出て来た少年に、圧倒されていたものの、市松の罵声で奇妙な静寂が破られる。

 市松以外の側近も、深作を背にして庇い立ち、刀や槍を向け始める。


「御神体の山だろう? 百も承知だ」


 それがどうした。

 そう言わんばかりの横柄さだ。


 武装した男達など眼中にないかのように、キジから弓矢を引き抜くと、自分の単衣の腰縄にキジの首をくぐらせる。腰縄には、ウサギや雀も同じように括りつけられ、揺れていた。


「承知の上で殺生した、だと?」


 市松は忌々しげに語尾を跳ねあげ、少年に顔を近づけた。うさん臭げに上から下まで視線でなぞり、下から顔を覗き込む。


「小僧。……分別のつかない齢でもなかろうが? それとも頭が弱いのか?」

「よせ、市松!」


 深作は凄む市松を叱責した。


 大の大人に刀や槍を突きつけられても怯むでもなし。少年は刃先に一瞥をくれただけ。草履を履いた足の裏が、地面に吸いつくように揺るぎなく、背筋もピンと伸びている。

 かといって片肘を張った力みもなく、佇まいには気品すらある。


 袖を切った粗末な単衣も縄帯も、埃まみれで百姓の子のようではあるが、整いすぎて見えるほど、面立ちは少女の如く秀麗だ。

 すっと通った鼻筋や、朱をひいたような赤い唇。白い肌。切れ込んだような目尻と三白眼は、一種異様な色香を醸している。


「もしや織田三郎信長様では、ござりませぬか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る