第三話

 尾張国中央部の集落は、藩の直臣ではなく、小高い山の北麓ほくろくに、屋敷を構えた豪族が統括している。


 国主が何代変わろうと、土着どちゃくの豪族は、代々手持ちの集落を受け継いだ。中には高い塀や火の見櫓、広い濠で、護りを固めているほどに、財を成した豪族もいる。


 そんな屋敷を取り囲む水濠みずぼりにかかる石橋を、一人の百姓が駆け渡る。

 長槍で門を警護する門番は、槍を十字に掛け合って、取り乱す百姓を押し留めた。


深作ふかさく様……、深作の旦那様に、至急お取り次ぎ下さいませ」


 百姓からの、息も絶え絶えの主訴を耳にするなり、二人の門番も顔色を豹変させた。

 裏門の脇戸を開けて中に入り、百姓共々母屋を目指して疾走する。門番は母屋の縁側をひた走り、あるじの側近に報告した。


「騒々しい。何事だ」


 書卓に向かって居住まいを正し、写経をしていた深作は、居室に飛び込んできた側近を睨みつけ、静かに筆をすずりに置く。

 しかし、耳打ちされた深作は、瞠目をして息を呑む。


「……誠か? それは」

「はい。たった今、小百姓が訴えに……」


 門番は肩で激しく息をした。深作は、眉根を僅かにひそめたきりで、決然として立ち上がる。


「誰か居るか!」


 老いた農夫の見間違いではないのなら、集落を預かる身として由々ゆゆしき事態だ。声を張り上げ、側近達を呼びつける。


 と同時に、床の間の具足ぐそくびつを下男に命じて開けさせた。


 深作は着物を脱ぎ捨て、筒状の袖の下着に着替えたのち、いくさに赴く作法に従い、左足からはかま袴を履いた。

 脛当てと籠手も下男につけさせ、刀と脇差を腰に帯びる。


 同じように武装を済ませ、弓と槍をたずさえた ごうの者に、前後左右を囲めさせ、険しい顔で板葺きの正門を後にした。

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