第二話 

  山のふもとの畑に来た小百姓の女房が、腰が抜けたように座り込む。古びた単衣に前垂まえだれをつけ、網代笠あみじろがさを被っている。


「母ちゃん、どうした?」

「……また、やられた」


 ナカは日焼けして真っ黒になった顔を手で覆い、声を詰まらせ息子に答える。

 獣に踏み荒らされた畑のうね、食い散らされた作物の苗が、無残な姿をさらしていた。


「しょうがねえだろ。泣いたって」


 十三になった息子の日吉ひよしは、大人びた口調で言い捨てた。


 日吉は小さな顔には釣り合わないほど目が大きい。

 鼻梁は高くもなく低くもなく、先端がややツンと上を向いている。唇は上下ともに厚ぼったくて艶やかだ。

 ぎょろりとした目と、血色のいい赤ら顔が猿のようだと揶揄やゆされるのだが、日吉は文字通り顔を猿のように赤くした。


「こんなことで泣いてたら、この土地で百姓なんかやれねえよ。諦めろって言ってるだろ」


 ぐずぐずと泣き崩れている母の姿に、無力な自分が重なった。

 日吉はそんな母を見ているだけで気が滅入り、畑の方に目をやった。うねに残された足跡は、鹿かいのししのものだろう。

 苗を植え、程よく育った頃合いを見計らっているように、奴等は我が物顔で食い荒らしていく。

 毎年だ。

 

 そのくり返しだとわかっているのに、自分達の田畑がこの山麓にある限り、受け入れるより他にない。春夏秋冬、同じ事で同じように憤り、なす術もなく泣きをみる。

 十三歳になったこれまでも、それを。

 そして、これからも死ぬまでそれを続けるしかない己の因果。

 あらがいようがないのだと、自分自身に言い聞かせ、日吉は枝の折れた大豆の苗を次々引き抜き、投げ捨てた。

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