4話 瘴気の森
その水の中は、水中というよりかは、何もない空間に浮遊しているようだった。
いや、何もないわけではない。
白とも黒とも取れる眩い水の中を落ちているのだ。
腕の中にある少女の存在がなければ、自分が目を開けているかさえわからなかったことだろう。
引き摺り込まれたディアを追い直ぐに潜ったことで、彼女の足首を捕まえられたのは幸いだった。
もし少しでも遅れていたなら、前後不覚の空間で彼女を見つけられた確証はない。
ディアはきつく目を瞑り、息苦しそうに呼吸を止めている。
何のためにゴーグルを目に着けているのかわかっているのだろうか。
(ディア、大丈夫か?)
彼女に向けて声を掛けたつもりが、声は気泡となるだけで音にはならない。
限界が近いのか、ディアは苦悶の表情を深め、口からは気泡が漏れていく。
(……仕方ない)
引力に導かれるままに水中を落ちていった先には、不自然に揺らめく下向きの水面があった。
「ぶは!」
アサヒは水面から上がり、脱力するディアを引き上げ、隣に寝かせる。
不可思議なことに、水の中を通り抜けたはずなのに、衣服も体も濡れていない。
自分達を引き摺り込んだ正体不明の水溜りは、人間2人を吐き出すと、次第に透明になっていき跡形もなく消えていった。
(何だったんだ……あの水は……)
疑問に思いながら、現在地を確認しようと周りを見渡す。
周囲は岩石で囲まれており、どこかの洞窟の中だとわかる。
目の前には青白く光る、人の身長と同じくらいのクリスタルが石を割るように生えており、洞窟の中を柔く照らしていた。
そして、洞窟の外に見えるのは-。
(これは……やらかしたか……?)
場所についてある可能性を見出した時、「うーん」とディアが気づく。
「ディア、大丈夫か?」
「……気のせい、でしょうか。わたし、さっきの水の中で、く、唇に、な、何か、柔らかいものがあたあた当たって、その後……」
「気のせいだ」
「待って! ちゃんとほんとのことを教えてください! 絶対動揺したりしませんから!」
ディアの追い縋る程の必死の気迫に、アサヒは仕方なく答えることにした。
「息苦しそうだったから空気を送った。口移しで」
その後のディアの感情は激しかった。
「なるほど。人工呼吸というワケですか。それなら仕方がないですね。あの状況なら仕方がない。ありがとうございます。おかげさまで助かりました」
ディアが頭を抱えて激昂する。
「それどころじゃないわあああああ! なんであんなに引っ張られてるって教えてくれなかったんです!? なんであんな平然とブリッジしてんです!? わたしなんて一瞬で飲まれましたけど!? どんだけ怪力ゴリラなんですか!?」
ディアがその場に座り込み号泣する。
「わぁーーーん! わたしのファーストキス奪われたーー! アサヒさんにーー!」
ディアが真っ赤な顔でそこら中を転がる。
「きゃーーー! アサヒさんとキキキキキスしちゃったーーー! あ、でも人工呼吸なら無効!? 人命救助のためなら無効になるのかな!?」
といった流れを5周した後、ディアは処理し切れたようで、ようやく落ち着きを取り戻した。
「お待たせしました。すいませんね。時間取らせて。それで、何故何も言ってくれないんです?」
「何を言っても刺激になるだろう」
「まぁそうですけど」
ディアは風景がようやく視界に入ったようで、不思議そうに周りを見渡す。
「ここ、どこです?」
「一つ、思い当たる節がある。確信が持てるのはこの洞窟の外を見てからだな。クリスタルの首飾りの光は……大丈夫そうだな」
ディアの首にかけているクリスタルは強い輝きを取り戻していた。洞窟に生えているクリスタルが浄化してくれたのだろう。
ディアが地面に生えている人の大きさ台のクリスタルを見つめている。
「このクリスタル、マザークリスタル?」
「同じ色に光ってる。青白い光な。だが、大きさはマザークリスタルより全然小さいな」
「……? アサヒさんはこういうの、冒険先で見たことあります?」
「ない。それより、ほら、外を見てみるぞ」
洞窟の外へと進む。
外に近づくに連れて、徐々に濃くなっていく青臭さと土臭さに確信が深まっていく。
「ーーっ!」
洞窟の外に広がる光景に、ディアが息を呑んだ。
空を覆う背の高い樹木に、地面に広がる木の根や苔。
緑、黄、赤に光る草花。
そして、それらを際立たせるように漂う黒い瘴気。
--瘴気の森--
それも、長年冒険者を務めていたアサヒですら見たことがない地点。
自宅の前から転移し、瘴気の領域の中でも未開の森へと飛ばされてしまったのだとわかった。
◆
マザークリスタルの加護から外れた瘴気の領域。
そこには瘴気のダンジョン同様、トラップが生成されている。
毒を受けるものもあれば、無数のトゲが一瞬で地面から生えるものもある。
中でも厄介なのは『転移』のトラップであると言われていた。
転移のトラップに掛かった冒険者は、ほぼ全員が最後の冒険を余儀なくされる。
転移で飛ばされた先が幸運にも見知った場所であったならば、助かる見込みはある。
もしそれ以外の未開の地であったならば。
クリスタルの灯りが乏しく、帰り道もわからない冒険者に残された道は、ただ一つ。
最後の冒険を存分に堪能した後、ひっそりと瘴気に溶けることであった。
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