2話 お茶をしながら
ギルド集会所に戻るまでにまだ時間があった。
外は日没の刻となり、太陽が山に沈み始め、瘴気に纏われた空は暗転しつつ橙色の色彩を帯びている。
遺物の分別が終わった後、アサヒは自宅の窓辺に置いてあるダイニングテーブルを挟んで、ディアとお茶をしていた。
「今日初めて研究室から出ました。これが地上に出たモグラの気分なのですね」
「正確にはお前はまだ出ていない。穴の奥から出た穴の中のモグラだ」
「ノリが悪いですね。外は暑かったですか?」
「まぁ、夏の季節になってきたからな」
「夏はアイスやかき氷が恋しくなりますね」
「アイス……氷のことか。それなら実力領北部にある雪山まで取りに行くことになるな」
「おや? アサヒさん。ひょっとして、冷蔵庫というものをご存知ない?」
「学術領の研究所にあったあの箱だろう」
「その仕組みとは?」
「……知らん」
ディアがコップを置き得意げな笑みを浮かべる。
ああ、始まった。
「冷蔵庫は液体が気体になる際に周囲の熱を奪う状態変化を利用していて水媒を圧力により気化凝固させる冷凍サイクルを繰り返すことで室内を低温に保つ機械です。それでその冷凍サイクルというものの作りは-」
唐突に始まった濁流のような
ディアの出身地である学術領ノスタルジアは学術が発展しており、実力領では馴染みのない電力を用いた機械というものが存在している。
「-というのが冷蔵庫の仕組みで、冷凍室で食べ物や液体を凍らせることができるのです。これがあれば果汁を凍らせアイスを作ることができます。室温5度に調整した冷蔵室もあるんですけど、そこは食材を凍らない程度の低温で保存するところなのですよ。お父さんはビールを入れて毎日飲んでましたね。お酒じゃなくてもお水とかお茶とかを入れて飲めば、夏に暑くなった体をクールダウンさせることができるのです」
「ビール?」
「え?」
「ビールとは何だ?」
「えっと、学術領ではメジャーな、麦芽とホップを発酵させた炭酸のお酒です。実力領にある葡萄酒とは違ってフルーティさはあまりないようです。わたしは飲んだことがないのですが、お父さんはよく『この芳醇な味わいと喉越しが良い』と言ってましたね」
それを聞いた時、アサヒはよくわからないロマンを感じた。
芳醇な味わい、喉越しが良い。何だそれはよくわからない。
よくわからない。だが、惹かれる。
よくわかっていないのに、全身がそれを求めているようだ。
「飲んでみたい」
「え、でも、作るのはわたしたちだけでは難しいかもしれません。水は蒸留するとして、まずは麦芽とホップを手に入れないといけませんし、仕込み、温度調整、熟成等結構手間がかかります。雑味にこだわるなら、まずは温度調整できる機械を作るところから-」
アサヒはディアの説明を頭半分で聞きながら、もう半分でよくわからないビールなるものに思いを馳せていた。
冒険帰り、乾いた体に浸透するアルコール。
喉奥に流し込む、炭酸と甘味がなく爽快な味わい。
それを想像し、アサヒは音を鳴らして唾を飲み下した。
アサヒは剣士であるが人並み以上に器用であることを自負している。
その才能とは全ての武器を達人以上に扱えるだけではなく、物作りに際しても、道具を使いこなし大体の物を一級品に作り上げることができるのであった。
(学術領の技術を表沙汰にはできないが、自宅でひっそりと楽しむ分には問題ないだろう。どれほどの工程があろうとも作り上げてみせる。俺の器用さとはこのためにあったんだ)
それはまさに天啓のようだった。
決意を新たにしていると、ふと気配を感じ窓の外へ視線をやる。
家の前に刃渡り4尺の鉈を引きずった瘴気の魔物、オークの群れがやってきていた。
「お、なんかいるな」
「珍しい動物ですか?」
ディアも窓の外を見た。
「なんかいるぅぅぅーーーっ!?」
驚きのあまり椅子から転げ落ちるディア。
やれやれ、とアサヒはお茶を飲み干し、来客を迎え撃つべく席を立った。
「ちょっと行ってくる」
「行くってどこに!? あの群れを相手にどうするんですか!? オークですよ!? それよりさっき見た時にはいなかったのにどうして!?」
「とりあえず落ち着け」
「まさか急に現れた? この量が? どうやって? というかどうして国の中に瘴気の魔物が? マザークリスタルの加護下なのにどうして?」
落ち着けと言われたせいか、ディアがトークダウンして思案を続ける。
アサヒは、ギルド集会所から借りていたクリスタルの首飾りを自分の首から外し、ディアの前に差し出した。
「ディア、この首飾りを着けて自宅にいろ。何かあったら叫んで俺に知らせろ。いいな」
瘴気の森のクエストで消耗されており、クリスタルの輝きはすでに弱々しくなっていたが、オークに触れさせなければ問題ない。
しかし、ディアはそれを受け取ろうとせず、窓の外のオークを見つめたままだ。
「どうした? 魔物から出る瘴気なら気にするな。俺は5分くらいなら息を止めていられる」
「……何かがおかしい。いや、アサヒさんがおかしいのは元からですけど、何らかの前提が根本から間違っている気がしてなりません」
「どういうことだ?」
「……」
思考集中モードに入り、ディアが窓を眺めた姿勢でその動きを停止させる。
アサヒはそれに苦笑しながら、人形のように固まるディアの首にクリスタルの首飾りを通し、長剣を携え外へ出ていった。
※日本では、製造目的を問わずに、酒類製造を一律に免許(製造免許、販売業免許)の対象としており、免許を受けることなく酒類を製造・販売する行為を禁止しています。ご注意ください。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます