第56話 少女、詰め寄る。

 その論文書は、びっくりするほど古い物だった。


「何年前の書物です?」

「だいたい五百年ほど前の物だ。今の魔術体系の基礎ができた頃で、まだ魔法を使う魔女狩りが横行していた時代だな」


 魔女狩りとは、今では奇跡と呼ばれる魔法が異端の禁術と呼ばれていた頃の話らしい。私も学校でそれを習った時にはまぁ歴史なんてそんなものだろうな、くらいの認識でしかなかった。


 昔に『悪』とされていたものが『善』とされることもある。魔法はまだ、昔ばなしの絵空事程度の価値観でしかないけれど。


 ――でも、おかしな話だよね。


 わたしは少しだけ、世の中の不思議を知っている。

 どうやら国王陛下の中の人が、ずっと一緒らしいとのことだ。

 普通に代替わりをしているのであれば、その時代に合わせた価値観や、個人の主義主張により物事の良し悪しが変わって然るべきだと思うけど……どうして同じ人なのに、『魔法』に関する価値観が変わっているのだろう? 魔法が嫌いだから、新しく魔術を作ったのだと思っていたのだけど。


 こうした新しい疑問も、ノーラに出会ったから芽生えたもの。

 八百年前の悪女ノーラ=ノーズと出会ったことで、わたしの世界は明るくなった。


 そのうちの一つが、魔法という絵空事が現実のものだとわかったこと。

 その魔法が、伝説の悪女が、とても綺麗だとわかったこと。

 その魔女狩りと呼ばれた行為がどんな愚かな行為だったのだろうと切に思う。


 そんなことがなければ。そもそもノーラ=ノーズが封印などされなければ。


 ――今の世界はもっともっと素敵だっただろうに。


 と、そんなことを考えていた時だ。


「……トラバスタ嬢、どうかしたか?」


 あ、しまった。どうやらぼんやりしすぎてしまっていたらしい。


 今、ノーラが寝ていてくれてよかったな。

 零れそうになっていた涙を拭ってから、私はマークさんに「何でもありません」と答える。


 そして改めて文献を借りて目を通してみたら……。

 なるほど。細かい部分は読み込まないと理解が難しいけれど、この術式を組み込むことで、既存の式を過去へと飛ばすことができるらしい。未来に飛ばすならわからないでもないけど、過去へ?


 しかし、やはり高度な魔術にはそれなりの代償が必要とのこと。触媒などでの代用がほとんど聞かず、人間の直接的なマナが不可欠だとか。


「つまり……この魔術を使ったら、マナ欠乏症が発症するんだね?」


 マナ欠乏症はその名の通り、マナが足りなくなる病気のことだ。症状を簡単に説明すれば、老化現象が急激に進むらしい。マナは生命力と同義だから、イメージがしやすい症例だ。


 ともあれ、そんな命に支障がある技術が、果たして今のわたしたちに必要なのだろうか?


「そりゃあ、どうせならすごい花火をあげたいけれど……そこまでする必要あるかな?」

「そ、そうだよな……おかしな話をしてすまない」


 マークさんが慌ててわたしから文献を取り上げてしまう。

 あれ、これは何か対応を間違えてしまった様子。

 もしかして……。


「これでアイヴィンさんを助けたいって思ったの?」


 幸い、今も部室にはわたしたちしかいない。

 だから単刀直入に訊いてみれば、マークさんはうつむき気味に頷いた。


「……完全な解呪ができなくても、別の時間軸に飛ばすことができればと思って。だが実際、ここまでしなくても時間という概念は花火にも転用できるんじゃないかと思ったのも事実なんだ」

「なるほど……」


 たしかに魔力には体積と質量がない。そのため通常超えることができない次元への移動も可能なのではないか、というのがこの研究の発端的な仮説らしい。


 アイヴィンさんを助けたい気持ちは、わたしも一緒だ。

 それはシシリーの想い人ってだけにあらず……少なからず、わたし自身も世話になっている。


(誰が想い人だって?)

(あ、おはよう。ノーラ)


 どうやらタイミングよく、ノーラが目覚めたらしい。わたしの中で大きな欠伸をしている。


 毎日どれだけ夜更かししているんだろう? 身体はあまり怠くないからいいけど。

 ノーラに身体を預けている時も、彼女が常にわたしのことを気遣って食生活や肌の手入れなど、わたし以上に丁寧に使ってくれている。ささくれ一つできようものなら、さぁ大変と専用の魔法薬を作ってしまう始末だ。


 だけどノーラに構ってばかりいると、また現実のマークさんに不審がられてしまうからほどほどにしつつ……わたしはもう一度マークさんが抱え込んでしまった文献を見やる。


 じーっと見やる。

 じーっとじーっと見やる。


「な、なんだよ……」


 少し引いてしまったマークさんを今度はじーっと見つめて。

 にじり寄ったところで、わたしはニコッと微笑んだ。


「その文献、貸してくれないかな?」


 もちろん、これはノーラの真似である。




 そうして絶対に門外不出の約束を結んで借りた文献を見せる相手など一人しかいない。


(なるほど! おもしろい! その研究、私が預かりましょう‼)


 けっきょくはノーラの力を借りるのかってなってしまうけど。

 それでも、これがわたしがアイヴィンさんと、そして素敵な花火をあげるためにできる一番有用なことだと思うから。


 わたしができることは、ノーラが研究に集中できる環境を作ることである。

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