第49話 悪女、夏の最後を楽しく遊ぶ。

「母……さん……?」


 その呼びかけと涙は、つい半日前に見たものと同じ。

 だけど、今は希望とは反対の……。


 そのまま、アイヴィンの『母親だったもの』は瓦解した。粉々となった『母親だったもの』をアイヴィンは何度も何度も掬う。その砂は、彼の手から簡単に零れてしまうけれど。


 私がその光景を見下ろしていると、アイヴィンは「ははっ」と笑い出した。


「やっぱり……きみの言うことは本当だったんだね」

「私、なにか言ったかな?」

「この研究が成功するはずがないって……あぁ、ごめん。きみじゃないんだったね」


 ちょっと、まったく意味がわからないんだけど。

 それでも、その言葉はただ自分を責めているだけにも聞こえたから。

 私は本心を口にした。


「母親って、いいね」

「なにそれ、嫌み?」

「まさか。こんなボロボロになっても、最後まで子供を守ろうとするとかさ……そんな人が私にも居てくれたら、少しは救われたのかなって」


 そうしたら、こんな未練たらしく八百年も生きずに済んだのかなって。

 そんなことを思っていると、アイヴィンが再び声をあげて笑う。

 今度は得意げに鼻を鳴らして。


「あぁ、すごいだろ。俺の母さん!」


 うん、すごい。本当にあなたも、あなたのお母さんもすごいと思う。

 だから自然と、私も口角をあげていた。


「アイヴィンの好みの女性は『お母さんみたいな人』ってことだったんだね?」

「あ~……そう言われると、そうなるのか?」

「つまり“マザコン”だと」


 たしか今どきはそういう極度な母親好きをそう呼ぶんじゃなかったっけ? もちろん、あまりいい意味ではなく。それを問えば、途端にアイヴィンは眉根を寄せる。


「それを言われると……まるで俺がダメ男みたいじゃないか」

「まぁ、まだ親離れできなくてもいいじゃない。たった十八歳の子供なんだし」

「そりゃあ、八百歳に比べたら子供だね?」

「それはマザコンと言われた仕返し?」


 正確に言えば、八百二十歳のはずだけど。

 彼の嫌味を直球で指摘してみれば、彼も「もちろん」と軽やかに笑って。


 少しの無言の後に、彼は再び視線を落とした。


「少しだけ、一人にしてもらってもいいかな」

「えぇ、もちろん」


 ここまで破壊されれば、もう母親だった人形の復元は難しいだろう。たとえ本体はどうにかできたとしても、肝心のクリスタルがなければ『母親』としては機能しない。


 だから、私の出番はここまでだ。

 私たちが研究室を出ようとした直後、アイヴィンが声をかけてくる。


「もう、俺がいるだろう?」

「えっ?」


 その言葉に振り返っても、アイヴィンはこちらを見ていなかったけれど。


「たとえ八百年前にそんな人がいなかったとしても……もうノーラは一人じゃないだろ?」

「……母親を殺された直後にそれ言えるの、カッコ良すぎないかな?」

「知ってる。だから俺、モテるんだって」


 そして、私は扉を閉める。


(ノーラにはわたしもいるからね!)


 今だけ、私はシシリーに憑依したことを後悔した。


 こんなにも抱きしめたいのに。

 一つの身体を共有していたんじゃ、抱きしめることもできないじゃないか。

 



 そして翌朝、本当にアイヴィンは私たちを迎えに来た。

 城下は朝も多くの人たちで賑わっていた。どうやら昼と同様、仕事前に朝食や珈琲が飲めるように多くの出店がそんなメニューを用意しているらしい。

 だから、その輪の中に私たちも入れてもらって。


 それから城の中に案内されれば、たとえアイヴィンが「じゃあ、俺は用があるから」と別れたところで、本当に顔パスで役人の元まで通してもらえた。


 事前に魔導研究所のあの所長が話も通してくれていたらしく、役人の方には「父親の代わりに偉いねぇ」と褒められる始末だ。その子ども扱いに拍子抜けだけど……まぁ、しっかりと視察が派遣された後に、領民に悪いことにはならないように援助金なども約束してくれたので、大人に甘えることにいたしましょう。


 そんなやり取りの後、身体を伸ばしながら城から出てみれば。

 そこには大輪の花束を二つを持った色男、アイヴィン=ダール。


「もし宜しければお嬢さん、残りの夏を俺と過ごしていただけませんか?」

「デートのお誘いは嬉しいけど……すぐに学校に戻らないと二学期が――」

「それなら研究所に学校直通の緊急転送陣があるから、それを使えばいいよ」

「それ、職権乱用っていうんじゃないかな」


 まぁ、でも。それを使わせてもらえるのなら、一週間ほど移動時間に費やすはずだった時間が自由になるわけで。王都も観光も、それ以外の町にも足を延ばしてたりできるかもしれない。


 アニータにもお詫び品というお土産を買う必要もあるしね。

 それに……『お嬢さん方』と、私たち二人をエスコートする気概も気に入った。


(どうする、シシリー?)

(ノーラがデートしたいなら、付き合いますけど)

(なに、その言い方)


 私とシシリーが相談していると、彼は階段下から「ダメ?」と甘えた猫のような顔で手を差し出してくる。


 まぁ、私はどのみち悪女だ。

 いまさら彼の職権乱用くらい、大した罪にもならないだろう。


「付き合いましょう?」


 私はアイヴィン=ダールに手を重ねる。

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