第47話 悪女、盗み聞きをする。
「ねぇ、母さん。俺ね、学校に行って、色んな人に出会ったよ」
深夜の研究室の中から、ポツポツと人の声が聴こえる。
その少年の声はとても穏やかだった。
「貴族の学校って聞いていたから、いけ好かないやつらばかりだと思っていたんだけど……話してみると、そうでないコも多くてさ。そりゃあ、中にはどうしようもないやつもいるけど……高飛車なお嬢様かと思ったら、すごく友達思いなコだったりさ。そのコはいいところのお嬢様なのに、将来は魔導研究の道に進みたいんだって。勿体ないよね。そのまま暮らしていたら……何不自由することなく、いい生活を続けられるのにさ。こんなところの研究者になったからって、すべては王様のお膝元で、気遣いができるコこそ窮屈なだけなのにね」
これは……アニータのことだろうか。
そうか、彼なりにアニータの将来を案じて、推薦をしないのだろう。そりゃあ幼少期を貧しい村で過ごして、将来も国王に握られている彼からすれば――わざわざこんな場所に自ら踏み入れることはないと考えても不思議ではない。
そんな彼の独り言は続く。
「あとね、学年一有名ないじめられっ子とも仲良くなったよ。なんと八百年前の悪女に身体を乗っ取られちゃったんだってさ。めちゃくちゃ不運で可哀想だよね。どんな精神的虐待を受けているんだか……ちゃんと身体を返してもらえ――」
「ちょっと、なに勝手に言ってくれちゃってるのかな!」
妙な異名はあれど、シシリーのことはめちゃくちゃ大事にしておりますが⁉
思わずバーンッと扉を開け放つと、アイヴィンは少しだけ振り返って小さく笑う。
「ずっと聞き耳立てているとか、性格悪いのはどっち?」
「……そもそも、あなたが起きているのが意外なんだけど」
「そりゃあ、日中はみんながいてゆっくり母さんと話ができなかったからね」
なるほどね。彼からしたら、ようやく母親とゆっくり過ごせる念願の時間だったわけか。それは邪魔して悪かったかな。いつもよりラフなシャツは、彼の寝間着なのだろうか。特にセットされていない下ろした髪を、ゆるいワンピースを着た母親に梳いてもらっている。
十八歳の色男が母親に甘えているとか、一見すると受け入れがたい光景だけど――母親が無残に殺されてから十年。彼はこの時間をどんなに待ち望んでいたのだろうか。
(それでも、ノーラはやるんでしょ?)
(そう、だね……)
そんな彼の母親は、私たちの方を見向きもしない。ただ『母親』のような顔をして、アイヴィンの髪を梳き続けるのみ。
私がどう切り出そうか悩んでいると、アイヴィンの方から話しかけてくる。
「母さんの服……ありがとね。たしかに、ずっと裸じゃ恥ずかしかったよね」
「あぁ、それ先に気付いたのはシシリーだから。正直、私も言われるまで全然気にしてなかったよ」
「研究者ゆえってやつか。トラバスタ嬢は何が好きなの? お礼をしなきゃ」
「シシリーはチーズが好きだよ」
「じゃあ、今度美味しいお店を見繕っておくよ」
そんな、どってことない会話。
これが普段なら、さらにここから会話が弾んだことだろう。どんなチーズが好きか、とか、そもそもきみたちの味覚は共有されているの、とか。アイヴィンは会話上手だ。根掘り葉掘り、喋らなくていいことまで喋らされているのが常である。
だけど、今日限りは会話がここで止まる。
彼なりの――出て行ってほしいという合図なのだろう。
だけど、私は出て行かない。代わりに質問をする。
「……それは、
「そうだよ。皮肉にも、殺人人形の形態が一番魔力の伝導率がいいからね。母さんのクリスタルは十年製だから……通常のドールではもうクリスタルからの命令系統を感受できなくてさ」
なんの皮肉か、人殺しの道具は本当によくできた物が多い。ただ私から言わせれば……それはあくまで現在失われたとされている魔法を使って作成されているせいもあるだろう。魔術は多くの人が同じように扱える半面……自由度が低いのだ。そもそも人殺しの道具を作ろうという発想自体、どんどん廃れてほしいものである。
「その殺人人形も、一からアイヴィンが作ったの?」
「いや――現在の魔術レベルじゃ、これほど高性能のドールは作れないよ。これは以前きみが壊したドールと同一の場所で発見された二機だ。あっちの方が本当は耐久性が高かったから、あっちを本体にする予定だったのに……誰かさんが壊しちゃうからさ」
「そんな大事なものを学校に持ってくるのが悪いのよ」
「大事なものだからこそ、近くに置いておいたんだけど。まぁ、過ぎたことを言っても――」
仕方ない、そう言葉を続けようとしたのだろう。
だけど、彼はそれを口にすることができなかった。
なぜなら『母親』に首を絞められてしまったから。
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