第43話 悪女、眼鏡が気になる。


「そもそもアイヴィンがどうして城の事情に詳しいの? 私の書状が揉み消されたとか」

「研究報告や所長のおつかいだったりで、よく城に出入りしているからね。だから城のメイドさんとかと仲が良い人も多くてさ、色々と噂話を教えてくれるんだよ」

「この色男が」

「嫉妬?」

「いや、便利だなぁと思っただけかな」


 そんなことを話しながら、アイヴィンが私たちを連れてきてくれた先は、王都魔導研究所。

 へぇ、この石造りな三角錐の建物……八百年前にもあったな。というか、私もここで何年も研究していたな――と、この建物に来るまで思い出せなかったのは、王都の風景がすっかり変わっていたせいか、無意識にこの場所はクリスタルの中から見ないようにしていたせいか。


 だけど、いくら見覚えのある研究所だといっても、入り口を管理する魔道具などの様子はすっかり様変わりしているし、行き交う人の制服もかなり変わっている。昔は黒のローブだったのに、だいぶカッコよくなったね。


「懐かしいの?」

「ううん。こんな所、初めて来たよ」

「おかしいな。ノーラ=ノーズはここの出身って話だと思ったんだけど……」


 そんな感傷に浸りながら、延々と階段を昇って着くのは、見るからに一番偉い人がいる部屋である。そんな重厚な扉をアイヴィンは「連れてきましたよ~」と気軽にノックした。


 すると、勝手に開錠される音が響く。入れってことだね。


「それじゃあ、どうぞ。俺の女王様マイ・クイーン

「それ、久々だね」


 頭を下げてエスコートされるのも悪くない。


 そうして、部屋に中に入ると――そこは一般の執務室と変わり映えのしない内装だった。ちょっとした応接ができるようなソファとローテーブルがあって。本棚がたくさんあって。書類がたくさん積まれた机があって。少しだけ座り心地が良さそうな椅子があって。その椅子から立ち上がるのは、少しぽっちゃりした白髪交じりのオジサンだ。


「やぁ、よく来ましたね」


 そのオジサンは優しそうな顔で立ち上がる。そして「珈琲と紅茶はどちらが好きかい?」と指を振った。すると、離れた場所の茶器たちが踊り出す。ほう、見事なものだね。


「紅茶でお願いします」

「わかりました。アイヴィンは珈琲ですよね」

「えぇ、お茶菓子は買ってきましたよ」


 そう言って、アイヴィンはテーブルに紙袋を置く。途中、キャラメル味のポップコーンを買っていたのだ。これから会う人の好物だと言っていたけど……なるほど、この人も甘党なんだね。まぁ、頭を使うものね。


 あっという間にティータイムのセッティングが終わる。

 オジサン含めてソファへ移動が済めば、紅茶を一口飲んでからオジサンは挨拶を始めた。


「僕は現在、ここの所長を務めている者です。一応、アイヴィンの養父ということにもなっていましてね。息子が迷惑をおかけしていませんか?」

「おかげさまで、とても楽しい学校生活を過ごさせていただいております」


 私のにこやかな返答に、隣に座っているアイヴィンが「それって俺が迷惑をかけているってこと?」と口を尖らせてくるけど……そこは考えすぎじゃないかな。


 それはさておき、いきなり本題に入っていいものだろうか。おそらく、この所長さんが役人に話を繋いでくれるのだろうけど……思っていた以上に大物が出て来たね。魔導研究所の所長って、そこんじょそこらの貴族じゃ太刀打ちできないほどの権力があるんじゃなかったっけ? 王とまではいえずとも、宰相くらいの権限は持ち合わせているはずである。


 私一人ならともかく、シシリーの今後を考えるとこちらからずけずけ行くのもなぁ、と紅茶に口を付けていると、肝心のシシリーがとある物を凝視していることに気が付いた。


(どうしたの、シシリー)

(あの眼鏡、何かなぁって)


 眼鏡……と指された方を見やれば、所長の執務机の上に眼鏡が置いてあることに気が付いた。

 一見普通の……レンズがやたら分厚い眼鏡である。本当に分厚い。あんな分厚い眼鏡……今どき、ハナちゃんくらいしか掛けていないんじゃないかな。八百年前ですら、あんな分厚いレンズは時代遅れとされていたけど。実は私が知らないだけで、あれが時代の最先端だったり? 所長さんのかな、とも思ったけど、あんなに視力が悪いなら今みたいに談話する時にもかけていないと不便なんじゃなかろうか。現在の所長さんはちゃんとつぶらな瞳が直接見えている。


 すると、私たちの視線に気が付いてか、アイヴィンが話しかけてくる。


「あの眼鏡、最近所長が研究しているやつなんだよ。認識阻害の魔術がかけられているんだ」

「認識阻害っていうと……誰だかわからなくなる的な?」

「そうそう。貴族のお忍び用で制作依頼を受けたはいいものの……そもそもあの分厚い眼鏡自体がインパクトがありすぎてお忍びにならないんじゃないかとか、認識阻害の術式自体が、今後悪用されるんじゃないかとか、色々議論がされていてね」


 へぇ、なんかちゃんと研究してるっぽいじゃない?

 などと、私が感心していると、珍しく心の中がうるさい。


(すごーい! ノーラ、あの眼鏡掛けてみてよ! 気になる気になる)

(ふふっ、あとで用件が終わったらね)


 そっか。シシリーはああいうものに興味あるんだ。

 だったら、やっぱり将来は……と、その前に私こそ目先の用件をこなさないとね。パパの不出来の尻拭いをしなければと、所長に尋ねようとした時だ。


「アイヴィン! アイヴィン、大変だっ!」


 扉が何回も叩かれる。それに所長さんが「何かな?」と指を鳴らせば、外から白衣を着た人物が慌てて入ってくる。


「所長、失礼します! アイヴィン、例の被検体の数値が基準値を超えたぞ!」

「え、まじで⁉」


 その言葉に、アイヴィンが慌てて腰を上げた。今すぐ駆け出したいのだろう。だけど私と所長をチラチラと見ては……後ろ髪を引かれているようである。


 だから、私が「どうぞ」と手をやり、所長が「行ってきなさい」と許可を出せば、彼はすぐさま「ありがとう!」と呼びに来た研究員と走り出してしまった。


「やれやれ、騒々しくてすみませんね」


 開けっ放しの扉を、所長さんはわざわざ自分の手足で閉めに行き。

 その扉のそばで、所長さんがにっこりと微笑んだ。


「これも何かの縁ですし、あなたも僕の実験に付き合ってくれませんか?」

「いいですよ?」


 一方的に貸しを作るのも気が引ける。

 だから躊躇うことなく頷けば――所長は私に手のひらを向けてきた。


 攻撃的な魔力が膨れ上がる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る