6章 稀代の悪女に増える罪
第41話 悪女、門前払いをされそうになる。
◆
すごく貧しい田舎の村だった。
まわりには野山しかなく、馬車がまともに走れるような舗装された道すらない。もちろん、日頃の食事は自給自足だ。村のみんなで力を合わせ、食べ物を分け合い、日々を生きる。
そんな何もない村が、俺にとっての全てで、俺にとっての世界だった。
「アイヴィン、また水を作ったの?」
「だって最近は雨も少なかったし、畑も元気なかったでしょ? おばあさん家の水瓶にも水を足しておいたよ。ついでに喉が渇いたっていう隣村から着ていた人の水袋にも補給してあげた!」
その頃、俺はまだ八歳だった。女手一つで俺を育てる母さんの手伝いがしたくて、いつの間にか使えていた魔術。母さんが父さんと別れる前に、少しでも金の足しになるかと荷物の嵩とした魔導の本。だけど売る機会を逃していたら、いつの間にか俺が絵本代わりに読んでいたらしい。そうして気が付いたら、俺が魔術を使っていてびっくりしたと母さんはよく話していた。うちの子は天才なのかもしれない、と冗談のように大げさに、だけど嬉しそうにしながら。
そんな母さんに少しでも褒めてもらいたくて、自然とできることが増えていった魔術。村にとってただ一人の魔導士であった俺のことを『神童』と呼ぶ人もいたけど――そんな呼び名はどうでもよかった。
ただ、大好きな母さんに『ありがとう』と頭を撫でてもらえれば、それだけでよかった。
そんな、ある夜のことだった。
パチパチと爆ぜる音と、息苦しさで目を覚ませば、家の中が真っ赤だった。
火事だ。俺はすぐ水の魔術で火の勢いを弱める。
「母さん……?」
見渡しても、いつも同じベッドで寝ている母さんの姿がない。
俺が慌てて外へ出てみるも、どこもかしこも火事で村が赤く染まっている。それでみんなで消火作業に勤しんでいるのなら、俺も喜んで協力しただろう。だけど、動いているのは見覚えのない人ばかりだった。
まず先に思ったことが、すごくいい服を着た人だな、ということ。制服なのだろうか、ほとんど全員が同じような恰好をして、「残党を一人残らず殺せ」などと物騒なことを叫んでいる。
慌ただしく行き交う人々に呆気にとられていると、そのうちの一人が俺に気が付いたようだった。
「少年、君の名前は?」
「お、俺は……」
――そんなことより、母さんは?
そう尋ねたいのに、わざわざと寄ってくる制服の人たちが怖くて、思うようなことを喋れないでいた時だ。
「その子供だ」
さらに豪華な服を着た男が近寄ってきた。偉い人なんだろう。だけど年は若くて、二十歳を少し超えたくらいか。そんな男が、俺の前で膝を曲げた。
「少年、君の母親は死んだ」
「え?」
何を言われているのか、まるでわからなかった。
それでも、俺の思考を待たずに男は話し続ける。
「というより、この村の住人が君を除いて全員死んでいる。すまなかった。盗賊に襲撃を受けていると報告を受け、すぐに馳せ参じたのだが、すでに手遅れだった。代わりといっては何だが、今後の君の生活の支援がしたい。そして――」
――いや、本当に何を言っているの?
――母さんが死んだ? 嘘だろ。だって俺が寝るまで、普通に食器を片付けたりしていたんだぞ? ただ今日は俺が服を引っかけてしまったから、その穴だけ繕ってから寝ると言っていて……だから、俺が先にひとりで寝ていて……それで……。
そんな時、偉そうな人たちの隙間から倒れている人が見えた。それは女だった。エプロンを着けて、中肉中背の、少し気の強そうな、俺の……。
慌てて駆けよれば、それはやっぱり母さんで。なんて……苦しそうな顔をしているのだろう。目を思いっきり開いたまぶたが一向に動かない。切り裂かれた腹から流れる血が赤いのか、黒いのか、炎で無駄に明るい夜だといえど、俺に目には判断つかなかった。
ただわかるのは、母さんが死んでいるということだけだ。
もう二度と、俺の頭を撫でてくれないということだけだ。
「母さん……母さん……っ⁉」
俺はその場に崩れ泣く。盗賊……とかって言ってたっけ。そいつらはどこにいるんだろう? 同じ目に……いや、もっと酷い目に遭わせてやりたいのに……いくら周りを見渡せど、倒れているのは俺に優しくしてくれたおじちゃんやおばちゃんばかり。俺と遊んでくれた友達もいる。
本当に……俺しか残っていないのか……。
その現実にただただ泣くことしかできずにいると、偉そうな男が俺を見下ろしてきた。
「母親を生き返らせたいか?」
――そんなことができるのなら……!
俺は考えるよりも前に頷いていた。
すると、その偉そうな男は俺の頭を撫でる。
「それなら、僕の元で必死に魔術を学ぶと言い。君に最先端の魔術を学ばせてやる――代わりに、大きくなったら君の身体をくれないか?」
その取引の意味を、当時の俺はやっぱりわかっていなかったけれど。
母さんが生き返るなら、なんだっていい。悪魔にだって魂を売ってやる。
こんな男ではなく、俺はただ、もう一度母さんに頭を撫でてもらいたい一心で――俺は悪魔の取引に大きく頷いたんだ。
◆
「はあ? どうして入れないのかな⁉ 事前に書状は出しておいたでしょう?」
「ですから、『シシリー=トラバスタ様』のお名前は、来城予定者の一覧に記載がありません。一度お引き取り願えないでしょうか?」
あれから十日間。長い道のりをかけて、ようやく着いた王都フラジール。
その中央にあるフラジール王城の門の前で、私たちは言葉の通り門前払いを受けようとしていた。だけど、それで引き下がってしまえば実家に顔向けができない。
だから、私は可愛くお願いしているのである。
「そこをどうにかなりませんか? 父の不出来をはるばる一人で謝罪しに参ったのです。私が入れないなら、せめてご担当者様をここに呼んでもらうことはできませんか⁉」
(そのごり押し、可愛いのかな?)
(交渉事は勢いが大事なんじゃないの?)
実際、私があまりに可愛すぎるから門兵さんは困り顔。そのハナちゃんを彷彿させる分厚い眼鏡の奥はきっと絶対困っているはずである。この眼鏡、実は時代の最先端だったり?
「担当者と簡単に言ってくれましても、城で働いている方のほとんどは貴族です。そうそう門兵如きがお呼び出しできる方ではありません」
「そこをなんとか⁉」
「無理です」
……しかし残念、交渉は失敗。
それなら、もうこの場を強行突破するしかないか。シシリーに万が一のことを考えて、穏便に変装でもして忍び込むか……と思案していた時だった。
「……ご用件は、本当に税の担当者で宜しいので?」
「もちろんですとも?」
なんだろう。私は何度も『税収の書類の修正と援助金の申請に来た』と言っているじゃないか、とそろそろムッと顔に出そうになった時だつた。
「は~い、スト~ップ!」
突如、軽薄な声と共に後ろから抱きしめられて。
「すいませ~ん。この子、俺の彼女なんですよ。もう俺に早く会いたいからって城に乗り込もうとか……本当に可愛いやつだなぁ」
もし本当にそれが真なら、なかなか危ない彼女なのではないのかな。
そんなヤバい女の扱いをされて、私が見上げてみれば。
そこにはやっぱり見覚えのある色男がへらっと笑っていた。
「アイヴィン……」
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